帯文の功罪
本好きとして、帯文もつい気になる。そして、あまり感心しない帯文に出会うとやや悲しくなる。
先日も、とある人文出版社の、硬派な文庫レーベルの本で、そんな文に出会ってしまった。よもや、この出版社に限ってそんなことは…と思っていたのだが、「日経新聞で紹介 大反響」と書いてあるところからして、既に違和感を覚えた。
とある、外国語学習に関する翻訳ものの古典的エッセイ。原著の出版は1970年代のようだ。
この作品、決して「楽して外国語が学べる方法」といったハウツーものではない。むしろ、いかに時間をかけ、情熱を傾けて取り組むかが重要だということが、16ヶ国語を習得したという著者に寄って語られる味わい深いものだ。
帯文にはこうある。
自国を出ることなく、純粋に学習という形で16ヶ国語を身につけてしまった著者の驚異の物語とその秘訣!
さらに、裏返すとこんなことも。
外国語学習に挫折し続けた方へ
本書を読めば、必ず外国語が身につけられるという楽天主義に感染すること間違いなし!
こんなにたのしく学べるのか!!
モチベーションがあがらない時にこそ、この本を読んでみてください。
日経新聞を愛読するような「ビジネスパーソン」には、このような惹句が響くということなのだろうか。
せめてもの救いは、帯の折返しに本文冒頭の「著者のことば」を引用する形でこうあることだろうか。
質問)
あなたのように多数の外国語をものにするためには、何か特別な才能がなくてはならないのでしょうか。
答)
いいえ、特別な才能など必要ありません。
わたしの考えでは、芸術を除くあらゆる人間による活動の成果とか効力とかいうものは、関心の度合と、この関心の対象を実現するために費やされたエネルギーの量いかんにかかっているのです。
40年間にわたしが観察し得たさまざまな事柄について、この本の中で語っていきたいと思います。
注意深く読めば、「語学は才能ではない。いかにエネルギーを費やし、努力したかで決まるのだ」という、当たり前だが決して簡単にはなし得ないことについて書かれているのだということが分かる。
だから、これを読んで「楽観主義に感染する」など、本来あり得ないはずなのだ。
ちなみに、先ほどの「著者のことば」の引用部分の後にはこんな言葉が続く。
ことばを、そのありのままの姿で愛している人、他人の考えを伝えたり、自分の思いを表現したりするのにどんな言語的手段を駆使したらより美しく個性的になるかということに関心のある人ならば、必ず望むものを手に入れることでしょう。
「言葉を愛する人」への、なんとも優しいメッセージだ。
まぁ、扇情的でお気楽風な帯文に惹かれて購入した人が、この本を読むことで言葉の世界の奥深さに気づいて、「語学というものはそう簡単にはいかないようだぞ。これは楽をせずに向き合わなくては」と思うケースが1件でもあるのであれば、この悲しくなる帯文も一応の意味はあるのかもしれない。
もしかして、そこまで計算されたものなのだろうか。この出版社なら、そんなことをやりかねない。
散々帯文の悪口を言ってしまったので、どこの出版社の何の本かは、ここでは明らかにしないこととする。気になる方は、お調べいただくか、こっそり私に聞いていただきたい。