箪笥が一竿、箪笥が二竿
「箪笥」という言葉、最近あまり聞かなくなった気がするのは気のせいだろうか。「衣装ケース」と言うのかもしれないし、何なら最近は壁の中にくり抜かれた空間を指して「クローゼット」と呼ぶことが圧倒的だ。
そんな中、年末年始に実家に帰り、久しぶりに「ザ・箪笥」を目にした。
フローリングに古びた箪笥。ややシュールかもしれない。
この箪笥、というかこの部屋自体、7年ほど前に亡くなった祖父が使っていたもので、2年ほど前にリフォームした場所。その時に畳張りからフローリング張りになった。
どうやらその際、さすがに箪笥を処分するのは忍びなかったようで、今もこうして鎮座ましましているという次第だ。
作られた年代などは不明だが、特段丁寧に使っていたというわけでもなさそうで、それなりの年季を感じる。
ちなみに、好奇心に負けて中を覗いてみると、一番上の引き戸の中に、半世紀以上も前の表彰状が出てきた。小学生だった母親のもの。当時は居間にでも置いてあった箪笥なのだろうか。
ここまで書いていて、ふと思い出したことがある。今はもう取り壊してしまったが、千葉にあった母方の曾祖父の家にも箪笥があった。
取り壊す直前に足を運んで撮ったもので、かなりの汚れなためお恥ずかしいのだが、まぁこれも含めて家を壊してしまったようなのである意味記念である。
一瞬、先ほどの箪笥とまったく同じものかと思ったのだが、よくよく目を凝らすと細部がやや異なる。ということは、当時は収納家具のバリエーションなどそんなにはなかったということだろうか。
上に引き戸、その下に小引き出しが3つ、真ん中が観音扉で、下が引き出し2段。おそらく、下2段は主に着物を収納するためのスペースか。
どちらかと言えば北欧テイストの家具が好みの私にとって、これらの箪笥はどうにも厳しい(いかめしい)。そしてなんだか生々しい。さらには、恥ずかしながらこれらが多少なりとも価値あるものなのか、それとも粗大ごみ同然のものなのかの判断もできない。
でも、せっかくこの世に残った実家の一竿、自分の好みに合わないからといって捨ててしまってはいかにももったいない。廃棄処分だけはしないようにしようと、改めて思うのである(その前に母親の手で捨てられてしまう可能性もゼロではないが)。
今日はそんな、とりとめのない箪笥のお話。