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本の中で出会う人

今読んでいる本のジャンルがある程度ニッチなものだからかもしれないが、このところ、読んでいる本の中に見知った人の名前を見つけることが続いている。

ただ、「見知っている」といっても顔見知りなわけではないし、ましてや向こうがこちらのことを知っているわけでもない。一方的に、著作等を通じて存じ上げているだけのことだ。それでもある本の中に見覚えのある名前を見つけると、「おぉ!」と思う。

例えば、最近はもっぱら言語学者の黒田龍之助さんの著作(エッセイ)を読んでいるのだが、まず相原茂さんのお名前に出会った。
相原さんは中国語学者で、NHKの中国語講座で存じ上げて以来、その優しい語り口と文章から伝わってくる思慮深いお人柄から勝手にお慕い申し上げてきた方。黒田さんは(主に)ロシア語、相原さんは中国語と専門にする言語は違えど相通ずるところがあると思っていたのだが、黒田さんの著述は相原さんの影響を受けている部分もあるとのことで、なるほどと思わされた次第。

次に出会ったのは貝澤哉さんというお名前。私は学生時代に「全体主義文化論序説」という授業を履修したことがあるのだが、その時講義をしてくださったのがこの貝澤先生。どうやら黒田さんと貝澤さんは、同じロシア語専門学校の同窓生だったらしい。
私が学生だった当時、貝澤さんはイーゴリ・ゴロムシトクの著作を『全体主義芸術』(2007年、水声社)として翻訳・出版されたばかりで、それに関連して「いかにプロパガンダが人心を掌握していったか」について語られる講義が「全体主義文化論序説」だった。熱っぽく語る先生の語り口と表情は印象的で、今でもありありと先生のことを思い出すことができる。
ちなみにこの講義のレポートは「全体主義について取り上げた本を読み、自由に論じよ」というもの。私は高田里惠子 (著)『文学部をめぐる病い―教養主義・ナチス・旧制高校』(2006年、筑摩書房)を題材にした。この講義は私にとって大変意義深く、「プロパガンダと民衆」というテーマに強い関心を抱くきっかけとなった。このテーマは今なお関心事だ。

そして今日は、千野栄一さんのお名前を見かけた。先日語学塾に行く前、塾の最寄り駅で古本市が開催されていたのだが、そこで本当にたまたま手に取ったのが千野さんによる『言語学のたのしみ』(1980年)と『注文の多い言語学』(1986年)(いずれも大修館)だった(どれくらいたまたまかと言えば、会場の横にあるお手洗いで手を洗い、さて塾に向かおうかと思いつつも古本市が気になり、数多ある棚の中から何の気なしに店内中央部付近にあった棚の前に立ってみたところ目の前に本があった、という具合)。
千野さんの名前はそれらの本で初めて知ったのだが、スラブ語系のご専門ということで世代は黒田さんより上だがお知り合いかもしれない、という程度に思っていた。すると案の定、黒田さんのエッセイに千野さんのことが書かれていたのだ。なんでも、黒田さんが大学生の頃、新宿の語学講座で千野さんからセルビア語を教わっていたらしい。

黒田さんをご存じない方にとってはなんのこっちゃ状態で大変恐縮なのだが、このように自分が知っている方のことが他の方の著作で書かれているのを読むのは、「偶然の再会」のようで面白い。
そういえば一時、読む本読む本に埴谷雄高氏の名前が出てきたことがあった。あの時は氏の『死靈』を読んでみようかとも思ったが、結局挫折してしまったなぁ。

本を読む楽しみは色々である。

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秋本 佑(Tasuku Akimoto)
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