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「青花の会」と『工芸青花』のこと

昨日、定期購読している『工芸青花』の10号が自宅に届いた。

『工芸青花』とは、平たく言えば「青花の会」という会員組織が年3回出版している機関誌。編集長はかつて『芸術新潮』にいらっしゃった菅野康晴氏である(初掲時、菅野氏の肩書を「元『芸術新潮』編集長」としておりましたが、誤りでした。大変失礼いたしました。お詫びして訂正申し上げます)。
2014年に発足し、気づけばそろそろ丸4年になるところ。記録を見たら、私は2015年12月に入会している。
はじめに「定期講読している」と書いたが感覚としてはちょっと違って、会員組織が先にあり、その活動の一環として本が送られてくるイメージ。

上記のページで会の趣旨が説明されているのだが、以下の引用で始まっている。

人間にとって政治経済的諸関係はたしかに、その中で生きねばならぬ切実な所与であるだろう。しかしそれに劣らず、いやあるいはそれ以上に、煙草入れや提灯やこまごました飾りものは、一個の人間にとって生の実質をみたす重要な現実なのだ。 (渡辺京二『逝きし世の面影』より)

政治経済を横目で見つつ、「生の実質をみたす」ものに焦点を当て、愛情のこもったまなざしで見つめる。
『工芸青花』は広く「工芸」に属する文物を取り上げ、美麗で大判の写真と落ち着いたトーンのエッセイで紹介している。「本」というより、文字通りひとつの「工芸品」のようで、非常に端正の取れたたたずまいをしている。奥付のシリアルナンバーも手作業でスタンプ捺しされており、愛おしさを覚えるのだ。ISBNも付いていない。

私が入会したそもそものきっかけは、単純に『工芸青花』が読みたかったから(その意味で、決して優良な会員ではない)。年3回、各冊を8,000円で購入するよりも、年会費20,000円を払った方が安いのだ(そして今は一冊が税込12,960円なので、年会費の方が圧倒的に安くなっている)。それゆえ、会のもう一つの柱である「茶会、花会、茶話会等の催事」にはまだ足を運べていないのが実は心苦しいところなのだが。

ずっしりと重みのある本を手に取り、表紙のクロスのザラザラとした手触りを味わいながらページを繰っていると、不思議と心が落ち着いてくる。それはたぶん、ここで取り上げられているものが「政治経済」の対極にあるからだろう(細かいことを言えば、古美術を蒐集するためには金銭が必要、という事実はあるのだろうが…)。

そして、新潮社という商業出版社の中で、このようなプロダクトを創るという試みもまた、新しい「出版」の形を予感させて興味深い。この点、創刊時の菅野氏に対するロングインタビューで詳しく語られており、今読み返しても面白いのである。会費を払ってもらって良質なコンテンツを届ける、という観点で考えるならば、noteも近しいものがあるかもしれない。

私の日々の投稿を読んでくださっている方々の中にも、既に「青花の会」の会員でいらっしゃる方もいらっしゃるかもしれない。ハマる方にはかなり響くと思うこの会と本、ご興味のある方はぜひ。

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