Will Nyer Entführung
case.命田守
『ウィル!?おい!!ウィル!!!』
少しのノイズの後無線に突然入った治の叫び声にびくりと肩が震えた。一体なんだとかげまるに視線を向ければあいつも同じように首を傾げて手元にある救急隊に支給されている地図を開こうとしていた。俺も続こうと視線を動かした目線の端でももみが病院から飛び出していったのが見えた。声をかけようとしたけれど無線に入ってくる治の必死な声に地図に視線を落せばカジノ方面の少し先にある高速道路に距離を置いて走る2つの救急隊をしめす黄色のマーク。ぞくりと背筋に嫌な予感が走って無線のスイッチに手を伸ばした。
「治?おい、聞こえるか」
『聞こえてるよっ!!!』
「状況を説明しろ、何があった」
『ウィルがッ、誰かわかんねーやつに連れてかれたんだよ!!』
「ウィルが?!」
治の言葉に、ももみが何も言わずに病院を飛び出していった理由が分かった。頭の中によぎるのは二カ月前にあったかげまるの誘拐事件。あの時はかげまるを助けるために来たばかりのたえこを連れてヘリで街中を飛び回った。どくどくと嫌な音を立てる心臓を無視して奥の病棟からロビーに戻ってきたカテジ、俺達の話を聞いていたらしいましろ、よつは、たえこを見回し、此処は冷静に指示をしなければと口を開く。
「何人か病院に残って、」
《ピコン》【市民ダウン】
突然入ったダウン通知に条件反射で電子マップを開く。街中に通知はなく、マップをスライドして見れば北の牧場より少し上の辺りで市民がダウンしている通知が入っていた。場所、タイミング、そしてすぐ近くにある救急隊のマークに冷たい汗が背筋を伝い落ちるのと同時焦った様子の治の声が無線に入った。
『ウィルがッウィル!!!!』
唖然とした。
震える手で無線に手を伸ばしスイッチを押す。
「じ、じょうきょう、を、」
『犯人のやつッウィルを撃ちやがった!!!!』
「それはわかるが、」
『お、おい、何やって、』
《ピコン》【市民ダウン】
「は、」
『待て…ッ、待てよ、!っおい!』
《ピコン》【市民ダウン】
「治?、おい、治!!!!」
マップには重なるように通知が並んでいる。頭の中が真っ白になって思わず走り出した。ここから北のあの場所に向かうのなら救急車よりヘリの方が早い。なりふりなんて構ってなんか居られなかった。急いで屋上qのヘリポートに走ってヘリを出す。かげまるの時の犯人は、愉快犯のように彼を連れ回すだけ連れ回してあ満足したのか解放したけれど、今回は違う。救急隊に向けられる確かな悪意があった。ウィルを誘拐され、治を撃たれた。救急隊が警察の支持を待っているだけの守りだけの存在なんて言ったことはない。少なくとも、俺はあいつらを守るためならなんだってしてやるという気持ちで上空をただ北に向かって飛ぶ。
無線から治を呼ぶよつはの悲痛な声が響く。手荷物にはキットと包帯、ハンティングに行った帰りだったから銃も持っていた。いつも荷物が多くなりがちだけれど、この時ばかりはそれでよかったとただただおもう。
《ピコン》【市民ダウン】
治のデッド通知では無いことに安心して無線に手を伸ばす。
「状況は、」
『街の東側での通知だ、俺がいく』
「すまん、任せる」
『街の事は任せろ、ウィルのこと頼んだぜ』
「あぁ、勿論だ!」
間も無く、最初の通知があった辺りに到着する。マップを見ればどうやら警察もこちらに向かっているようだった。ヘリを地面に下ろして辺りを見渡せば、道路の近くに救急車が止まっていてそのすぐ近くに治がうずくまっていた。駆け寄ろうとしてヘリから降りると足元に水たまりでもあったのか水の跳ねる感触があって。視線を下げればそこに血だまりがあることに気づいてしまった。治が叫んでいたウィルが撃たれたというのはこの場所なんだろう。今すぐ助けに行けないことを苦々しく思いながら治に駆け寄った。
「治!!!」
「ッ、守、ウィルが、ウィルがっ」
「ウィルはどうしたんだ、」
「あいつっ、鬼ごっこだとか、ぬかしてッ...倒れたウィルを撃ってそのまま連れて行きやがったっ」
「何だって?!」
ファーストエイドキットを使って治を助け起こす。このまま連れて行こうかとも思ったが明らかに顔色が良くなくてそうしている間にもまた別の場所での通知が入った。
《ピコン》【市民ダウン】
場所は此処からそれほど離れていない。目の前の高速道路を北上して少しの辺りだ。ウィルの救難信号だと直感した。ダウン通知はそれほど長い時間は出せない。それこそ今追わなければ見失ってしまう可能性すらある。けれど、治をこのままにしておくわけにもいかなくて、歯がゆい思いに眉根を寄せていれば治に腕を掴まれた。こちらを見る相貌はまっすぐに、攫われてしまった仲間への心配の光が映っている。
「ここはいい、行ってくれ守、」
「だが、」
「警察だってこっちに向かってる。お前が追わなきゃ、」
そんな話をしている真横をピンク色の車がすごい速度を出して半ば飛ぶようにして走り抜けた。見間違いでなければあれはももみが彼氏と呼ぶメサ・メリーウェザーで、それを追うように鳥野エアーのステッカーを貼った青いヘリが飛んでいく。
「……ももみが危ないぞ!!」
「クッ、そう…、だな、子供に…ももみに無茶させるわけにはいかないな」
タイミングよく警察の車両が追いついたのを確認して立ち上がる。ももみが危ないぞって言われた勢いで不覚にも笑ってしまった。だが、おかげで心を切り替えることができた。自分に喝を入れるべく頬を両手で叩いて息を吐く。ヘリに乗り込見ながらもう一度地図を確認して行先を確認した。あの2人に任せて俺が本部から、なんてのは出来ない。個人の感情で動くのが間違いなんてことは分かり切っているけれど、大事な仲間を見捨てるような真似はもっとしたくない。警察が治から話を聞いているのを確認してヘリを浮上させた。
「救急隊を敵に回したこと、後悔させてやる。」
マップ上を移動する黄色を探してそちらに向けてヘリを飛ばす。一度こちらに戻るような動きを見せた車はいつの間にか北所の近くまで移動しているのを確認して舌打ちをする。
「ももみ、鳥野、聞こえるか」
『ももみパイセン、さっきから何度か呼びかけてるンすけど反応なくて、』
「それは、まずいな」
ピルボックス病院で一番ウィルを慕っているのはももみだ。慕っているというか、もはや執着に近いそれは親に見放された子供のそれなのか、無意識に彼を異性として求めているのか。俺には推し量ることはできない。けれどあいつらがお互いに信頼しているのは見ていてわかる。ももみが全力だからこそ、ウィルも仕方ないなんて言いながら受け入れているし、ウィルが怪我をした時一番に走っていくのはたいていももみだからだ。
少し前にかげまるとましろとももみと冗談でピルボックスの中の人間にももみが惹かれたら、なんて話をしたのを思い出した。例にあげたのがウィルではなくカテジだったからもしそうなったらカテジはもう2度ピルボックスの敷居を跨がせないなんて言って笑ったんだが。
「無事でいてくれよ、ウィル。俺たちが助け出すから、…頼むから諦めないでくれ」
#case.橘かげまる
病院から飛び出して、無我夢中で車を走らせる。
さっきからずっと吐きそうだし、というか車に乗る前に一度吐いた。ずっと忘れたいとおもっていたトラウマになっている記憶が呼び起こされてみんなから逃げるように病院から出たんだけど、結局駐車場で思い切り吐いてしまって。車に乗せたままだったタオルで乱雑に口元を拭って自分の車に乗り込んだ。
だって、追いかけなきゃ。僕の働く病院の仲間が、家族が、酷い目に合ってる。
僕のみに起きたあの事件がほんの2カ月前だってことがいまだに信じられない。そのぐらい強烈に頭に刻み込まれた記憶。
あの時、僕とカテジはダウン通知を受けて救助に向かったのに結果的に自分が人質になってしまって。捕まって、放してくれと何度頼んでも笑って流されるばかりで。しかもそれが自分が面白いと思ったから、自分さえ良ければそれでいいからなんてくだらない理由で連れ回されてあの時はほんとに怖くて怖くて怖くて怖くて。普通に笑って話していた相手が自分を誘拐するなんていう異常さもそうだし、その癖悪びれも無いその態度も何もかも。犯罪者の不満なんて知ったこっちゃない。罪のない人間を巻き込んで自分が被害者のつもりでいられるその神経が分からない。その時までは自分が被害者でないのならと気にもとめていなかったけれどそれを期に僕の中の考えは変わった。変わらざるを得なかった。未だにその傷は癒えない。癒える訳が無い。
あの笑い声を聞けば体は震えるし、あのピンク髪のお面を見るだけでも吐き気がする。あの時の犯人はそんなこともつゆ知らず、自分の事ばかりでこちらに負わせた傷なんて知ったこっちゃない。普通に考えれば加害者はいつだって被害者の気持ちを思わないのだから、当然のことだろう。それでも、僕はずっとずっとずっとずっと許せないままでいて、そんな気持ちを今日までずっと押し殺し続けていた。
無線で聞こえる仲間の声はずっとウィルの事を心配するものばかり。あの時も救急隊の仲間は僕のことを助けようと必死になってくれた。あの時の声がどれだけ心強かったか。あの時の声にどれだけ助けられたか。だからこそ、今度は僕がウィルを助けないといけない。自分のために、仲間のために。
ただただまっすぐな高速道路を車が出せる速度の限界を出したまま走り続ける。
じわじわストレスが溜まっていくのを感じる度に最近吸うことが減っていた煙草に火をつけて肺いっぱいに煙を吸い込んでは吐き出すのをくりかえして。前の車を追い抜いて、時には対向車線にまではみ出した車は高速道路をどんどんと進んで。そのうち、北の牧場を少し過ぎたあたりで救急車が止まっているのが見えた。その近くにはパトカーが数台。治が肩を借りる形で救急車の後部座席に乗せられるのが遠目に確認できたから、車のスピードは緩めないままどんどん先に進んでいく。
普段ならきっと速度違反で切符を切られてもおかしくないけれど、彼らもこの車に乗っているのが救急隊員だということは認識しているのだろう。何を言われるでもなく、追われるでもなく、車は止まらずに進む。
『各隊員、聞こえるか』
「はい。隊長今どこにいます?」
『俺は今北所方面に向かってヘリを飛ばしてる、あ。いや今戻ってるな』
「ウィルの現在位置は」
『わからん。ただももみが追ってる。その後ろにぎんがついているが』
「…」
『とりあえず俺もあとを追う。』
「隊長、無理しないでくださいね」
『……』
《ピコン》【市民ダウン】
重なる通知にマップを開けばちょうど自分の運転する車の走る対向車線にこちらに向かって動く黄色の点滅があることに気づいてあわててハンドルを切る。対向車線に車が何台も走ってきているのが見えたけどそれを遮るように車を止めればぶつかる直前で何台もの車が止まって、その後ろに止まり切れない車がぶつかって事故を起こしている。近づくヘリの音に窓を開けて空を見れば救急隊のヘリが山側からこちらに向かって飛んできている。そして、渋滞の向こうには鳥野のヘリがこちらに向かってきていた。
「隊長!!!」
『かげまるか!!ナイスだっ!』
「犯人の車は、」
『今また戻ってきた!ももみの車と鳥野のヘリが追ってるあれだ!』
隊長の言葉に視線を渋滞する車の方に向ければ真っ黒のスーパーカーがももみの車に追われて逃げてくるのが見えた。カスタムはしてなさそうに見えたしきっと盗難車両なのだろう。けれど、そんな事よりもずっとずっと気になったことがあった。
割れた車の窓ガラス越しに見えたあれは、あの、ピンク色は
「────っ、は、は、は、は」
息が荒くなって鼓動がどんどん早くなる。
目の奥が熱くなって、頭が痛くなって、どんどん視界がブラックアウトしていく。
がちがちと奥歯が音を立てて、恐怖に体が震えた。
手探りで助手席に放置したままにしていたコンビニの袋に手を伸ばして口元に充てた。
落ち着こう、落ち着こうと考えても肺は痙攣したように震えて酸素を得ようとするし、頭はずきずき傷んで。
考えるな考えるな考えるな考えるな考えるな考えるな考えるな考えるな考えるな考えるな考えるな考えるな考えるな考えるな考えるな考えるな考えるな考えるな考えるな考えるな考えるな考えるな考えるな考えるな考えるな考えるな考えるな考えるな考えるな考えるな考えるな考えるな考えるな考えるな考えるな考えるな考えるな考えるな考えるな考えるな
辞めろ、違う、俺は、僕は───────────
気を失っていたらしい。道路を塞ぐように止めた僕の車のせいで酷い渋滞が起きていた。逃がさないつもりで道路をふさいだし、それは仕方のない事だけれど。震える手でハンドルを握って何とか車を路肩に逃がした。そのままふらふらと車の外に出て地面に蹲る。さっき、病院の前で散々吐いたからもう腹の中から出てくるものなんてない。口の端から唾液と胃液が混ざったものが地面に落ちてしみこんで消えていく。
地面に積もった雪が白衣にしみ込んでどんどん体が冷えていくのが分かった。
「……はぁ‥‥」
ガシガシと頭を掻いて立ち上がる。自分の中に残るトラウマがこうして未だに僕の心を体を乱す。ドロドロに汚れた白衣にスラックス。革靴の中にも雪がしみこんでじわじわ体温を奪っていく。
「っ、よし…」
もう迷わない。犯人が、あの姿をしていたのは幸いだったかもしれない。
その後ろ側にいるのが誰だっていい。
あの姿をしている犯人を──す、ことで、きっと僕は、
車に乗り込む。白衣の汚れていない部分で顔と口元を拭って大きく息を吐いた。
いこう、みんなのところへ。
皆で、帰るんだ。ピルボックス病院へ
#case.伊藤カテジ
カルテを書くのに、病棟の奥で患者と話していて通信が入ると声が聞こえないので一時的に切っていた。廊下で細部をかき込んでふぅと一息ついたところでロビーの方からバタバタと足音が聞こえてなんだなんだとロビーに戻ってみれば。ちょうどさっきダウンした患者と奥で対応中で一時的に無線を切っていた。だからロビーに戻ってきた時、隊長が何かを指示しようとして口を開いたのと同時に入ったダウン通知に思わず眉根を寄せた。
《ピコン》【市民ダウン】
隊長が屋上に、かげまるが外に向かって走っていったのを不思議に思いながらなんだか呆然とした様子で立っているましろに視線を向けた。その手はズボンを強く握りしめて、体はどこか震えているようにも思える。心配になって肩を叩いてやろうとしたのと同じタイミングでなった通知に小さく息を吐く。
「おい、なにが」
《ピコン》【市民ダウン】
「患者だ、」
よつはとたえこが受付にいるのを確認してましろの腕を引いて救急車に向かって走る。ダウンの場所はピルボックス病院からそう離れてはいないから行って患者を抱えて戻って来ればいいだろう。運転席に座ってちらりとましろを見ればまだ何か考え込んでいるようだった。
「ましろ」
「ぁ、あぁ、カテジ、どうした」
「どうしたはこっちのセリフだ。何があったのか説明してくれ」
「あぁ…その、ウィルさんが、誘拐されたらしくて…」
「ウィルが?大丈夫なのか?」
「ダウンが入ってた…治先輩も追いかけてたみたいなんだが…またダウンが、入って…」
「それやべぇじゃねぇか」
「あぁ…」
誘拐と聞いて脳裏によぎったのはかげまるの誘拐事件。あの時は俺も救急車で必死にかげまるを追いかけた。あの頃病院にいたのは俺と隊長。よつは、それに治。人数もいない頃だったし必死に追いかけてどうにか取り戻した時、かげまるはずっと怖かったって泣いていた。自由の効かない状態で半日近く連れ回されたんだ。それはそのはずで。もっと早く事態に気付けていれば取り戻すのも早かったのに、当時の俺には知識も技量も足りなくて、結局隊長と警察が助けたことを後になって知った。自分の不甲斐なさに苛立ちもした。でも、今はこれだけ人数が増えて俺達にできる事も増えたからだからこそ、それぞれがやるべきことをするのが大事だと思った。だって俺たちは医者だ。俺たちは救急救命士だ。あの頃とは何もかもが違う。隊長は出て行く前に何人か病院に残れって言っていた。それはつまり、仕事を、住人を優先しろと言うことだ。ましろが歯痒い思いをしてるのも知ってる。俺だってウィルには助けられた。だからこそ、あいつが心配するような状況にならないために、俺たちが街を守らなきゃいけない。
現場に到着する。車から飛び降りればバーガー屋のてつおとぷら子が壊れた車の中で伸びている。時間にしてもそこまで余裕があるわけじゃないだろうから急いでゆりかごを出しててつおを引きずり出した。向かい側を見ればましろもぷら子をゆりかごに乗せていた。二人そろって救急車に戻って来た道を急いで戻る。今はこいつらを助けるのが最優先だ。
「カテジ、そのな」
「おう、どうした」
「ウィルさんが、心配で」
「あぁ」
「でも、もう現場には治先輩も、鳥野さんも、ももみさんも、隊長も、医局長も向かってる」
「そうなのか」
「俺は、俺が行って何ができるんだって思ったら足が動かなくて」
「あぁ」
「俺は、俺だって、ウィルさんにはお世話になってるのに、行っても何の役にも立てない自分が悔しくて」
「…」
「ここに来てみんなと同じ白衣を着れるようになったのに、俺はまだまだなんだって、」
病院の前に到着して車を車庫に戻す。ましろは少し暗い顔をしたままだけれど治療室に向かって走り出せばそのままついてきた。ベッドに患者を寝かせて治療を始める横でましろもぷら子の傷の具合を見ていた。
「なぁ、ましろ」
てつおの傷に視線を向けたままさっきまでのましろの話を思い出す。ましろの話は分からないわけではない。俺だって多分、最初から話の輪の中にいればきっと走り出していただろうことは想像につく。だけどそうじゃなくて、俺たちの仕事はあくまで救急隊だ。
「俺たちは、医者だ」
「あぁ。」
「隊長、医局長、ももみ、鳥野、治が向かってるんだろ」
「あと多分、マグナムさんもだな。ロビーに居たはずなのに姿が見えないから」
「マグナムまで行ってんのか。ならよォ、俺たちはあいつらを信じて待てばいいじゃねぇか」
「え、」
「勿論ウィルが心配じゃないわけがない。俺だってすげぇ心配してるけどよ。俺たちみんなで行ったら街のやつらは困るじゃねぇか」
「…そう、だな」
俺は、隊長を、医局長を、治を、マグナムを、ももみを、鳥野を、信じてる。けれどそれと同じくらいましろやよつは、たえこ、シソジも信じてる。あいつらが助けにいったんなら俺たちにできることは街の平和を守ることだろう。
「なぁ、ましろ。俺たちは医者なんだよ」
「そうだな」
「あいつらがウィルを助けに行ってるのだって、俺たちがここに居て、街を任せていいと思ってくれてるからだ」
「、そう、か」
「そうだ。」
てつおの包帯を巻き終わっていい加減に起きろよと額を軽く叩いた。俺たちがこんな話をしていたから多分気を使ってくれたんだろう。入院病棟の方を指さしたら何故かポケットに角刈りバーガーを詰め込まれた。
「なんだあいつ」
「お礼かお詫びのつもりなんじゃないか?俺はアゴタコスだったし」
「そうか」
使った治療器具を片付けてロビーにつながる廊下を歩く。すぐ後ろをついてきたましろを見てすっと拳を突き出した。
「この街の平和は、俺たちバディドクターが守ろう。あいつらならきっとウィルを連れ戻してくれるさ」
「あぁ、そうだな。」
病院の外でサイレンが近づいてくる音が聞こえる。
ましろもこちらに拳を突き出して俺の拳にぶつけた。浮かべる表情はさっきまでの不安そうなものとは似ても似つかない。二っと口角を上げて笑った相棒と一緒にバタバタと駆け込んできた警察を迎えるべくロビーにつながる扉を開いた。
#case.神崎治
最近出張が多かったけど、ようやく落ち着いてロスサントスに帰ってくることが出来て、しかも今日は久しぶりに全員が揃うってこともあって正直めちゃめちゃテンション上がってた。街中で事故があって救急で搬送して、そういえば最近救急車のシステムが少し変わったんですよ、なんて同行していたウィルに言われて、手が空いたこともあったから軽く説明を聞いて。そんなことをしていたら無線が入ってそれが俺を呼ぶものだったからウィルにちょっと断って無線のスイッチに手を伸ばした。
パァン、パァン、って少し遠くからエンジンをふかした音が聞こえて、ん?ってほんとに一瞬の隙だった。いきなり真っ黒の車が走ってきて中から人が飛び出してきた。なんだ?って思ってたらそいつはダッシュでウィルに近づいてその両手に手錠をかけたと思ったらまた車に乗って走り去っていってしまった。
車に連れ込まれる瞬間のウィルも、え、ってちょっとびっくりした顔をしてて。フリーズしてしまったけど、そんな場合じゃないって慌てて救急車に飛び乗った。びっくりしたけど、追いかけなきゃって救急車を出してサイレンを鳴らしながら追いかける。幸いなことに俺もあいつも勤務中だったから公務員に義務付けられてるGPSは表示されていて、それを頼りに高速道路をぶっ飛ばす。走って走って走って走って、たどり着いたのは牧場とか空輸バイトの時にしか来ないようなちょっと開けた場所で、そのど真ん中に犯人とウィルがいた。車から引きずり降ろされて俺に見せつけるように地面に倒されたウィルが俺を心配そうな目で見る。俺なんかよりずっと不安なはずなのに、俺なんかの心配なんかしてないで、自分の心配をするべきなのに。助けなきゃって、慌てて車から飛び降りて、駆け寄ろうとした瞬間に犯人が銃を取り出して、ノーアクションでウィルの腹を撃ち抜いた。短く上がった悲鳴と同時にその銃口がこちらに向いてパスン、と間抜けな音が鳴ったと同時に俺の腹に熱が走った。無我夢中で無線でウィルと俺が撃たれたことを叫んで、あぁ、これ以上無理だ、倒れそうだってふらつく足で一歩、二歩歩いたかと思えば犯人の持つ銃がもう一度ウィルに向けられて、──────
「ぅぐ、う…ぅう…」
痛くて悔しくて辛くて、蹲って唸る俺を見て一頻り高笑いした犯人はダウン状態のウィルをまた車に乗せて去っていった。腹立たしくて、けれど体は言う事を聞かない。チクショウ、チクショウって、呟くたびにずきずき腹は痛んで目の奥が熱くなって涙がこぼれた。空からは雪が降ってきて体がどんどん冷えていく。ただでさえ血も流れて体力が奪われているのにとため息を吐く。指先がかじかんでだんだんと眠たくなってきてしまった。このままじゃ、見つかる前に凍死しちまう、なんてぼんやり考えたとき、ばばばばばばばば、と大きな音がして、聞きなれた音にどうにか視線を空に向ければ救急隊のヘリが上空からゆっくりと落りてきた。
「治!!!」
「ッ、守、ウィルが、ウィルがっ」
「ウィルはどうしたんだ、」
「あいつっ、鬼ごっこだとか、ぬかしてッ...倒れたウィルを撃ってそのまま連れて行きやがったっ」
「何だって?!」
中から出てきたのは守で、その手にはファーストエイドキットが握られている。俺のすぐ隣にしゃがみこんだ守は手慣れた様子でキットの中から治療器具を取り出して腹の傷を丁寧に治療した。最初に撃たれた麻酔のせいもあって和らいでいく痛みに浅くしかできていなかった呼吸がしっかりとできるようになって、頭をふらふらさせながらなんとか体を起こす。ようやく動くようになった手で守の腕を掴んでウィルを助けに言ってくれと言おうとした瞬間耳もとでなった通知に体が震えた。
《ピコン》【市民ダウン】
慌ててマップに視線を落とせばここからそう離れていない位置で出された通知に車に乗せられ連れ去られた後輩の姿が頭の中によぎった。あの状態からでも、俺達が助けに行くって信じて通知を出してくれたのか。そうだよな、俺達は救急隊だ。患者がいるってわかってるのにあきらめるなんて、そんな真似するわけがない。
「ここはいい、行ってくれ守、」
「だが、」
「警察だってこっちに向かってる。お前が追わなきゃ、」
ウィルが死んじまう!、そう叫ぼうとした俺の目線の先でピンク色のボディにに可愛いイラストのステッカーが貼られたメサ・メリーウェザーが段差を利用したのかまるで飛ぶようにして爆速を出したまま通り抜けていった。俺の記憶が正しければっていうか、どう考えたって救急隊のステッカーだらけのあの車は後輩であるももみの愛車だ。多分救急車が止まってたからウィルがいないか確認のために走ってきて、いないってわかったからそのまま走り抜けていったんだろう。そのあとすぐ鳥野のヘリも、ももみの車を追うように飛び去っていった。呆気に取られていたけれどこのままあの二人が犯人につっ込むつもりならそれはそれで色々まずい気がしてきた。なんて言ってもウィルの事が大好きであることが周知の事実になりそうな、強火、なんて最近言われてるももみと楽しいことなら犯罪まがいの事でもやってきた鳥野だ。下手をすれば二人が犯人を殺してしまう事すらあり得るんじゃないか、なんて考えて思わず血の気が引いた。
「……ッももみが危ないぞ!!」
「クッ、そう…、だな、子供に…ももみに無茶させるわけにはいかないな」
勢いに任せて口から出た言葉だったけど。それでも思わずって感じで笑ってしまったのを口元を手で隠すことでごまかした守は俺を見ないようにして立ち上がった。まだちょっと肩が震えてるのをごまかしても無駄だぞって思いながら見ていれば向うの方からパトカーのサイレンが聞こえた。守にもそれは聞こえたらしい。こちらをちらりと見て手を上げてヘリに乗り込んでいった背中を見送って一息吐く。警察へは俺から事情を説明しておけばいい。何よりもまずウィルを助けることが最優先だ。
守が乗ったヘリコプターが見えなくなった頃、パトカーが救急車の横で止まる。中から出てきたのはれむとマヌ太郎のコンビだった。
「こんばんはー」
「あぁ、すまないな。わざわざ」
「ダイジョブよー事件?事故?」
「事件だなぁ、でも、犯人は隊長とかが追ってるから」
「それでも僕らも追いかけないといけないんだけど」
「わかってるんだけどな、俺入院しないといけなくて」
「北の方が近いんだけど」
「すまない、ピルボックスに連れていってほしい。ついでに事件の話もするから」
「しょうがないね~。僕が救急車運転する?」
「オッケ~イ。おれは、パトカー運転するね~」
救急車の中で、警察である後藤れむに今起きている誘拐事件の話をする。病院の裏口で俺と話していたウィルが目を離した一瞬のスキをついて誘拐されたこと。犯人はさっきの場所までウィルを連れて行って、俺の目の前でウィルを撃ったこと。そして、駆け寄ろうとした俺の腹を撃ってダウンさせた後ウィルにもう一発、銃を撃って気絶したウィルを担いでそのまま逃げてしまったこと。
れむが警察の無線に報告しているのをぼんやり聞きながら俺を撃って、ウィルを攫って行った犯人について考える。ボイスチェンジャーを使っている可能性もあるが、犯人は女だったような気がする。勿論小柄な男という選択肢も捨てきれないのだけれど、体のラインが女のようにも見えた。そして何より、俺達救急隊にとって忌まわしい記憶に残っているあのお面。ピンクの髪の女の子のお面は、かげまるが誘拐された時に犯人がつけていたものと同じだった。かげまるは俺達に気づかせまいとしているけれどあのお面を未だに怖がっているのを知ってる。長く一緒に働いてるし気づかないほうがおかしいだろう。
だからこそ、わざわざあのお面を使って救急隊を誘拐する、なんて事件を起こした犯人が許せない。相手は、完全に俺達救急隊に悪意も敵意も持ってる人間だってことがよくわかる。
「はいとーちゃーく」
「あぁ、すまない。肩を貸してもらえるか?ちょっと撃たれたところがまだ痛くてよ」
「あぁいいよーマヌちゃ~ん」
「なんダイ?れむ君」
「神崎さんが肩貸してほしいってさ。まだ傷跡が痛むみたい」
「おぉ~そうネじゃあ僕が担いでいこうかナ」
「えぇ、いやちょっと」
よいせ、なんて言いながら俺の腰に手を回そうとしたマヌ太郎の行動に血の気が引く。患部は腹だ。肩に担ぎあげられたりなんてしたら、傷口が開く可能性だってある。一歩二歩後ずさってその手から逃れようとしていたら病院の中からカテジとましろが出てきてほっと息を吐いた。これで、少なくとも傷跡に直接触るような移動方法を選ばれずに済みそうだ。
「治?!」
「神崎先輩!?」
多分、俺達がウィルを追いかけていた後もピルボックスに残ってくれていたんだろう。二人の服には少しの血の跡が残っていて、病院のロビーの奥の方を見ればてつおとぷら子が二人でロビーのテレビを見ているようだった。よつはの姿が見えないのを不思議に思いながらもとりあえず犯人に腹を撃ち抜かれた事と、隊長に応急処置は頼んだがあくまで応急処置だったから治療してほしいことを伝えれば二つ返事で奥にある診察室に連れていかれた。
「あぁ、そういえばなんだが。治お前無線切れてねぇか?」
「え?」
「あぁ、ダウンしたら切れちまうんですよ、それ」
「そうだったか?すまない。自分の事で精一杯だったんだ」
「いや、俺達は良いんだがな」
無線を起動して救急隊の無線につなぐ。途端に聞こえてくるのは俺を震える声で呼び続けるよつはからの通信だった。思わずその声に驚いてよつはの名前を呼ぶのと隣でカテジがため息を吐いたのはほとんど同時だった。
「ねぇさん、ずっとお前の事呼んでたんだぞ。ダウンしてるから気づいてないだけだろって俺達は言ってたんだが。」
「とりあえず、あれですよ。神崎先輩。治療終わったら奥の病室案内しますんで天羽先輩を安心させてあげてください。」
「勿論だ。俺としたことがよつはの声に気づけずにいたなんて…」
無線のスイッチに手を伸ばす。カテジはさっさと診察台に乗れと言わんばかりに俺を見ていたけれど惚れた女を安心させる方がどう考えたって優先だろ。
「よつは、ごめんな?無線今つないだんだ。」
『…っ、あ、あら、治じゃないの』
「うん」
『仕事中はちゃんとつないでなきゃだめよ』
「そうだな。すまない」
『そうだ、ウィル君はどうしたの?』
「あー、ウィルは隊長と鳥野、あとももみが追っかけてた」
『そうなの…治はこの後どうするの?』
「うーん、それがな、俺だけ先に病院に戻ってこなきゃいけなかったんだ」
『え、それはどういう、』
とん、と肩を押されて診察台の上に寝転ぶ。大きくため息を吐いたカテジの様子に苦笑いを漏らして、降参だという意味で両手を上げた。
よつは、大丈夫だろうか。あんまり沢山泣くと飴玉みたいに綺麗なあの目が溶けだしてしまわないかと少しだけ不安に思いながらいつの間にか刺されていたらしい麻酔にころりと眠りの世界に転げ落ちた。
#case.天羽よつは
『ッウィルが誘拐された!!』
隊長と治の業務連絡をぼんやりと聞きながら今度の休みにももみと買い物に行こうって話で盛り上がっていた。そこにたえこも入って来て私が服を見立ててあげるわ〜なんていうものだから笑ってしまってじゃあ3人で休みを合わせなきゃ、なんて笑って話していたところに治の叫ぶような怒鳴るような声が聞こえてびくりと肩を震わせた。いきなり何?って思ったのだけど、治の言った攫われた、という言葉を頭が理解したのと同時にヒュ、と息を飲む。隣にいたももみが小さな声で何かを呟いてカウンターを飛び越えて病院を出て行くのを小さな背中が、彼女の桃色の髪が入り口の自動ドアに消えたのを見て知った。治は、誰が攫われたって、?え、ウィル君って言った?ウィル君が攫われたの...?いつもももみがウィル君に駆け寄って言ってるのは知っている。ウィル君の言うことに強く賛同し過ぎるせいで強火だなぁって笑われている事も。そんなウィル君が攫われたのだとしたらももみが飛び出していったのもわかる。そんなももみの姿を確認して、ロビーで何やらしていたらしい鳥野君もいつの間にか姿を消していた。
隊長とかげまるが会話しているのがロビーと受付を隔てた扉越しに聞こえる。扉があるって言っても部屋が分けられているわけじゃないから当然のことなのだけれど。無線ではずっと治が今どこにいてどう言う状況で相手の車は、なんて言っているのが聞こえるのだけど、内容が頭に入ってこない。まるで水の中に沈んでそのまま外の声を聞いているかのような気分だ。身体は芯に氷が投げ込まれたかのように冷たくなっていくのに手のひらに滲む汗は止まらないし心臓がどくどくと嫌な音を立てる。落ち着かなきゃってゆっくり手のひらを心臓の位置に当てて深呼吸を繰り返す。落ち着かなきゃ、落ち着かなきゃ、私まで慌てたって仕方ないのよ、大丈夫、治もウィル君も、きっと大丈夫、治がきっと連れて帰ってきてくれるわ、だから、だから、
《ピコン》【市民ダウン】
『っウィル!!!てめぇええええーーーー!!!!!!』
治の悲痛な叫び声。犯人に向かって怒鳴るような声が聞こえて体の震えが増した。そっと、救急隊に与えられているマップを開く。ここからずいぶん離れた位置にある救急隊を示す黄色のマークとそのすぐ横で点滅するダウン通知。かげまると隊長が何かを言って走り出していった音が聞こえるのに膝が、体が震えて動けない。私の後ろではたえこが呑気に大丈夫かしらねぇ、なんて言っているのが聞こえて、でも、私はマップから目が離せなくて――
《ピコン》【市民ダウン】
街中でのダウン通知にカテジ君とましろくんが走り出していった。コレから患者が来るのなら処置室で待機してなきゃいけない。それなのに、怖くて動けなくて、どんどん呼吸が浅くなるのを感じる。視界が涙でぼやけるのを白衣の袖で拭って、口元に手を当てて過呼吸になるのを防ごうとした。なのに――
《ピコン》【市民ダウン】
《ピコン》【市民ダウン】
「ひ、」
さっきまで、治のものだと信じていた救急隊を示すマークがダウン通知に変わった。ウィル君のものと並んで点滅するそれを見ていられなくて椅子が倒れるのも厭わず、私はスタッフルームに逃げ込んだ。
この街に配属されたばかりの頃、救急隊はなぜか事件に巻き込まれやすくて。中でも印象に強く残っているのはかげまるの誘拐だ。普段はあっけらかんと笑ってムードメーカーで、悲しい空気とか壊すのも得意で。そんな彼が怖い怖ってずっと泣いてたのが印象的だった。この人、こんな風に泣くんだって、それだけ怖かったんだっていやというほど伝わって。PTSDになったのに、それを知らせないように必死になってて、それが少しだけ悲しくて。私たちと日常を過ごすことで少しずつ改善されてるみたいだけれどそれでもふとした瞬間に、何かを見て、何かを聞いて怯えているの、ずっと気になっていた。
治とカテジ君が妙なことで言い争いになって、カテジ君が私を手錠で拘束して逃げたあの時。かげまるのあの恐怖を少しだけわかったような気でいた。知っている人が信頼していた人がそんなことしてくるなんてって。ほんの少しだけ、カテジ君が怖くなって、それでも、その後きちんと謝ってくれたから私は平気だった。
ウィル君が誰にさらわれたのかなんてわからない。けれど、彼を気に入っているのは確か彼女だった。もし犯人が彼女であるなら、また、彼女は私の大切な人たちを苦しめるの?
それだけじゃなく、今回は前みたいな、冗談半分の犯行じゃない。もし犯人が彼女でないにしても。救急隊に悪意を向ける人間がいてこうして行動に移すだけでなく、明らかな殺意を持って動いているという事実が恐ろしくて。
2回鳴ったダウン通知。現場には隊長も、かげまるも、ももみも、鳥野君も向かった。けれど治が撃たれてしまっている以上みんなが同じように怪我を負う可能性だってあって、そんな中で私一人がこうして怯えているわけにはいかないのに。
「、おさむ…?」
声が聞こえない。隊長も私と同じように治に声をかけているけれど、返事はない。
「おさむ、ねぇ、おさむ…?」
いつもの、太陽みたいな元気な声が聞こえない。私が不安になったとき、抱きしめてくれる優しい手が、暖かさがない。大丈夫だ、気にすんなって、明るい笑顔で笑って、私の髪を撫でてくれる彼が今傷を負って倒れているのに、助けに行けない自分が悔しくて、辛くて。は、は、は、は、と浅くなった呼吸に胸元を押さえてその場に蹲る。頭の中でどこか冷静な自分がパニック症状を起こし掛けてるわね、なんていう。普段なら対処法だっていくつも思いつくのに、今は一つも。ただ、過呼吸を起こしているのは確かだったからどこかに袋はないかって床に倒れそうになりながら視線を走らせるけれど普段から整理整頓されているから手の届く場所にビニールや紙袋もなくて、目の奥からじわじわと涙が零れ落ちた。呼吸が出来なくて頭がガンガンしてもうだめ、ってなった時、バックヤードの扉が開く音が聞こえてパタパタと誰かが駆け寄ってきたのが聞こえた。
「ちょっとアンタ!倒れるならせめて目の届く場所で倒れて頂戴!」
「おはようござい、え、どうしたんですか!?」
奥の宿直室からも誰かが出てきたのが聞こえて、がさがさと音が鳴ったかと思えば口元にあてられたハンカチと紙袋の感触。ブランケットが掛けられて暖かい手に背中を撫でられて、漸く冷えていた体に少しだけ体温が戻ったような気がする。ゆっくりと体を起こされて、たえこが私を運び出す。こんなに弱いつもりじゃなかったのに、ほんと、嫌になっちゃうわ。
近づいてくるサイレンの音に、ゆっくり体を起こす。C病棟の奥の方にある病室に寝かされていたらしい。あの後気を失ってしまったのだと気づいて時計を探す。時間はそれほど立ってない。カテジ君もましろ君も戻って来たのだろうか?ふらふらする頭を押さえて無線で治の名前を呼ぶ。相変わらず返事はなくてどんどん不安になって声が震えてしまった。
『なぁ姉さん。治のやつは大丈夫だ。あいつの事だから無線つけ忘れてるだけだって』
「えぇ…わかっているのだけれどね」
『俺らはとりあえずこのまま病院待機するからよ、姉さんは無理せずに休んでてくれ』
「ありがとう、カテジ君」
サイレンが病院の前で止まった気配がしてマップを確認したら病院の前に警察を示すGPSがつと、救急隊を示すGPSが3つ表示されていた。治が帰ってきたのだと思って、呼びかけるけれど返事はない。
「治、ねぇ戻ってきているの?」
「治?」
「返事をしてちょうだい、治?」
「ねぇ、治…」
バタバタと扉の向こうで人の足音がして患者が運ばれてきたのだとわかった。だけれどマップに表示されているのは救急隊を示すマークばかりで患者の出すダウン通知は見えていない。まさか治が怪我をしたのかともう一度無線に呼びかける。治?治?治?治?ぴぴ、と小さく誰かが無線をつないだ音が聞こえて小さなノイズの後、ずっとずっと求めていた治の声が聞こえた。
『よつは、ごめんな?無線今つないだんだ。』
「…っ、あ、あら、治じゃないの」
『うん』
「仕事中はちゃんとつないでなきゃだめよ」
『そうだな。すまない』
「そうだ、ウィル君はどうしたの?」
『あー、ウィルは隊長と鳥野、あとももみが追っかけてた』
「そうなの…治はこの後どうするの?」
『うーん、それがな、俺だけ先に病院に戻ってこなきゃいけなかったんだ』
「え、それはどういう、」
もう一度、ピピ、と通信の音がして小さくノイズが乗った。
『すまないな、治はちょっと麻酔で眠らせた。治療終わったらよ、そっちに連れていくから面倒見てやってくれ』
「えぇ、分かったわ」
ふぅ、と息を吐いてようやく心も体も落ち着いたのを理解した。私はもう大丈夫。だってここには治がいるもの。壁にかけられた鏡の中の自分は泣き腫らした目をしていて、アイラインなんて黒く滲んでしまっている。こんなんじゃ、治に心配されちゃうわね。
自分の中で、よし、と喝を入れて立ち上がる。治の治療、少しかかるだろうし、今のうちにお化粧直して彼を迎える準備をしなきゃね。
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