【はつとうこう】noteはじめてみたよ
はじめましての人ははじめまして。
TASK+(たすく)と言います、よろしくお願いします。
みんなに日記とか何か記事を書いてもらいたいな〜
と思ってまずはやはり自分からやるべきだと思い、
いつまで続くか、更新頻度などはまだ未定ですが
ぼちぼちやっていきたいと思います。
さて、始めたはいいものの
実は文章を書くのが苦手なもんでして
あとそんなにネタもない………()
何から話したもんかと思ったんですが、
今回はあまり話したことのない
「デザイナー」になった経緯?でも話そうかなと思うんです
が、
先に注意として伝えときたいんだけど
基本的ネガティブ思考なのと性格の悪さが際立ってると思うんで
注意してね…………
実際デザイナーになってみての話なんだけど、
「デザイナーってすごい」
「センスいいね」
ってよく言われるんですが
実際僕もそう思います。
自分でセンスいいと思ってます。はい。
というか実際そう言われたいからやってる節はある。
言われて超気持ちいい。
褒められたらすぐ調子乗るタイプ。もうそれ。超それ。
もっとどんどん褒めてほしい。お世辞でももっと言って。
実際そういう裏側とか
苦労した背景全部ひっくるめてこの仕事合ってるな〜って
よく思うところあるのよね
そういった承認欲求はまぁ誰でもあるもんだろうし、
実際そういう思い上がりは本当に力になってくると思うから
変にいい性格しとんなって自分でも思っとります。
というかクリエイティブ職にまともな奴は居ない(褒めてる)
そんな思い上がりから始まって、クリエイティブ職に就いたお話が
ちょっと長く続くんじゃ。
時代は 中学・高校まで遡る。
元々ソフトテニス部だった僕だけど、
休み時間は図書室でアニメ・ゲーム好きの友達とくっちゃべってたりしてた
何でか知らんけどそのグループのほとんどの女の子は絵が上手くて、
漫画も書いてたり、イラストの交換や、書いた絵を見せ合いっこして
すごいキラキラして見えた。
自分もその輪の中に入りたくて、絵の練習もしてた
今見たら自分で描いた絵は
首から上の女の子をただただ量産していただけで
めちゃくちゃ下手くそだったんだけど
その頃はめちゃくちゃ上手く描けたと思ってみんなに自慢してたし
他にもすごいうまい子も居たんだけど
それに劣らないくらいに自分は絵がうまいと思い込んでいた。
またその時から副教科だけは成績がよく、
ものづくりだけはすごく興味があり、
演劇の小道具制作なんかも積極的に参加した。
美術は普通の成績だったけど、技術は飛び抜けて成績がよかった。
反対に勉強はできなかった
ノートを綺麗に取るけど取るのに必死で
内容を理解していない系のアホだった。
テスト勉強をするためのシートを作って時間が無くなったこともあった
典型的な馬鹿だった。
と、その時から思った
勉強と努力が死ぬほど嫌いで
薄々この頭ではいいところ行けないなと思い
スポーツ推薦で大学にいくか、普通の大学に行くかを考えてたんだけど
スポーツで大学行っても結局サービス業しか行けねえだろ。
と子どもながらに考えて、
どうせなら楽しそうなところに行きたいと思い
「とりあえずゲーム好きだし、ゲーム作りたい」
と安直な考えでゲーム制作ができる大学に進んだ
そこからが大変だった
あまり何も考えず、入学したものの
まず最初の壁にぶち当たる。
そう
ゲーム制作って
プログラムで組んでるんだね(笑)
さすがのさすがに
プログラミングが難しすぎる!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
そう、今更気づいたのだ
自分が、馬鹿だってことを!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
あんまり頭がよくなかったせいか、
頑張ればなんでもできると思っていたのか?
アホはどうあがいてもアホなのである。
となればどうだ??
自分に残された道はあと2つしかない……………
①一応チームをまとめるリーダー。ディレクター専攻に進むか
②ゲームの華。グラフィッカー専攻に進むか。
この二択だった
元々リーダー気質なんてまるでなかったので、
実質一択みたいなもんだった。
前からイラスト描いてたしいけるやろ(ハナホジ)
そんな安直な考えでまずはグラフィッカーを目指すのであった。。。
そんなこんなで1年2年を
授業中ゲームしたりバイトしたり遊びまくったりして
3年なったところでゼミに入った。
ゼミの課題や留学生との実力とレベルの差に
今までの思い上がりが ズッタズタ にされたのはこの時だったかな
ゼミでは同学年が10人くらいいるんだけど
教授がいいと思った順位で作品を並べ替えるのよね
自分が自分で最高にいいと思って提出したのに、
いくら頑張っても結局は中くらいの順位にしかならない
センスの塊を見せつけられるとさすがに凹む
泣きながら課題に頭を抱えてた時期もあったと思う。
何をしても、上位にはならず自分の力不足を嘆いた
その時からだっただろうか
人の作品を見て吸収して、自分のいいと思ったものを抽出するようになった
うちの大学は専門学校ではないので、
ゲーム専攻の授業だけではなく、ちゃんと語学も勉強する。
ゲーム音楽の授業もあったし、ホームページ制作の授業もあった
DTPの授業では印刷のことも習って、文字の配置の面白さを知った。
次第に時間は流れ4年生になった。
就職活動が始まった。
(ここから鬱展開)
と思いきや、面接が死ぬほど嫌いすぎて半年すぎた頃に
やっと焦って就職活動を開始
ゲーム会社ばかりに履歴書とポートフォリオを送り、
実力不足でまずは書類審査で8割落ち、
(ここは圧倒的画力不足)
あとはやはり面接が苦手過ぎで落ちまくる。
ゲームから印刷会社に業界を切り替えるも
元々やりたい仕事ではなかったので
「うちに入りたいという熱意が足りない」
「君は本当にうちに入りたいのかい?」
そう、言われることも多くなってきた。
でも、そんな時にふとセガの説明会のことを思い出した
グラフィッカーの方と話せる機会があって、
最後の質問の際、グラフィッカーの女性に
「イラストを描くたびに絵柄が変わってしまうんです。」
思い切って、今の悩みを言ってみたら
「絵柄が変わるのは、悪いことじゃない
むしろ仕事では絵柄を変えれるのは強み。」
だと。
言われた時はふーんそういうものか。
と思っていたんだけど、
後々この言葉が効いてきて
自分のことをもう少しよく考えた時に
イラストとか立体物を描くグラフィックが得意なんじゃなくて、
モノの配置、配色、平面的なデザインが自分は得意なんだって。
小さい頃からグラデーションの綺麗なものばっかり集めていた。
几帳面でノートだけは綺麗にまとめていた。
塗り絵が好きで先生の500色色鉛筆をずっと使わせてもらってた。
イラストを描くよりも、人の絵を塗る方が好きだった。
やっと気づけた。やっと気づいた。
今までの解けなかったパズルのピースがやっとはまった気がした。
でも、それに気づいた時はもう遅く、
就職できないまま卒業してしまった。
卒業してからも、奨学金の返却もあるので
新しいバイトを週6でこなしながら面接に行っていた。
やっとありつけた美容室のweb更新の面接では
扱っている化粧品のチラシを制作して持って行ってみた
が、
「こんなの私にでも作れる」
などと理不尽な大人たちの声に
ついに心が折れた。
就職活動をし始めて1年半くらいだっただろうか。
さすがに限界が近かった。
グラフィッカーの道はあきらめよう、
そう思っていた。
だけど同じく就職に悩んでいた友人が
自分のために求人を見つけてくれた。
アプリ開発の会社で、インターンとして働いてみて
会社がいいと思ったら採用してくれるという制度だった
面接が超絶苦手だった自分としては
この機会を逃してはいけないと思い
すぐに応募し、そこで働けるようになった。
そこから少しずつ、自分自身の力でイラレの使い方から調べ
デザインも時間をかけ、試行錯誤を重ね
いろんなデザインをひたすら見続け、
いい部分だけを抽出し、それを制作物に反映することだけを考え、
元々の得意な配色と配置を活かして、
自分の小さなセンスを磨き続けた。
HPのデザイン、アプリのUI、キャラクターのアニメーション
全てこなし、ゲーム業界ではできなかった
自分に合った仕事をやっと見つけることができた。
ゲーム業界に固執しすぎて、就職できないまま卒業してしまったけど。
自分の得意だったものに気づいて、仕事をいくつもこなしてやっと
自分のデザインに自信がつくようになってきた。
自分は、色の配色やモノの配置が好き
細かい違いに違和感を感覚で捉えることができるのが強み。
自分の強みがわかったから、
自分が作った綺麗なものをもっと人に見て欲しい。
これからもどんどん良いものを作っていって
自分の制作物で色んな人を喜ばせたい、驚かせていきたい。
そう思ってデザインを続けています。
おわり