夏の亡霊は美少女だった 第五話
そういえば、ヒナは公太が事故に遭った場所の付近の地縛霊だと言っていた。彼女はどれくらい前に死んだのだろうか。気になった公太は直接たずねることにした。
「ヒナって、何年くらい前に、その……亡くなったの?」
「……なんで?」
「いや、その、幽霊として過ごすのもひとり暮らしみたいなもんじゃないかな、って」
特に目的もなく質問していた公太は、思い浮かんだことを喋っただけだったが、ヒナの表情が曇るのを見て失敗に気付いた。
「……バカにしてる?」
「いやいやいや、そういうわけじゃない。ごめん」
手遅れとは知りつつも、公太は謝った。それは、公太の処世術のひとつだった。
人の機嫌を損ねてしまった時は、とりあえず謝って神妙な顔をしておけばだいたいなんとかなる。美雪と付き合い始めてからのこの数ヶ月でも、何度かそういった状況を経験していた。そして、実際それはだいたい成功してきた。とはいえ、なんとなく美雪に鬱憤が溜まってきている気もしている。それがいつ爆発するのかは、公太には予想もつかなかった。
「……まあ、いいけどさ」
公太の思惑通り、ヒナも自分から折れてくれた。申し訳無さそうな雰囲気を出して黙っておけば、よほど鈍感でもない限り、いたたまれなくなって自分から喋りだしてしまうのだ。
「正確にはわからないんだけどさー、たぶん7年くらいになるのかな」
「えっ」
「えっ?」
なんとなく一年くらいのものかと思っていた公太は、思わず驚きの声を挙げた。
「てことは、実は俺より年上ってこと?」
「実は? どういうこと?」
「いや、見た感じ高校生くらいだから、てっきり歳下なのかと」
「ぷっ」
きょとんとした顔で公太が喋るのを聞いていたヒナは、我慢できなかったという様子で、公太の言葉を遮るように吹き出した。本人も想定外だったようで、あわてて両手で口を覆っていたが、ニヤつくように吊り上がった頬は隠し切れていなかった。
「うん、そうだね。あたしのほうが歳上かな。コウちゃんは今いくつなんだっけ?」
「なんか聞き方が気に食わないけど……二十歳だよ」
「そっかそっか。うん、やっぱりあたしのほうが歳上ってことになるね」
声を弾ませるヒナに、公太は少しムッとした。
「歳上っていっても、ふたつみっつくらいしか変わらないだろ」
「うん、うん。そうだね」
公太の不満げな声に気付いていないのか、それともあえて無視しているのかはわからなかったが、ヒナはなおも嬉しそうにしているのだった。
「ふふ。死んじゃってるとさ、誰もあたしのことに気付かないんだよね」
「えっと、何の話?」
急に話題を変えたヒナは、公太の疑問には答えずに話し続けた。
「あたし自身よくわからなくなってたんだ。最初のうちは自分の手があって、足があって、っていう気がしてたんだけど、だんだん曖昧になってきてね」
たしかに、肉体がなければそういう感覚になるのかもしれない、と公太は思った。
「で、なんとなく季節の移り変わりみたいのも見えてはいたんだけど、暖かいのか寒いのか、感じなきゃわからないでしょ? そのうち、自分が起きてるのか寝てるのかもよくわかんなくなってきてね。最終的には、目だけになったっていうのかな? ただ動いてるものを追いかけるだけの存在になっちゃったわけ」
「それはまた……」
公太には何も言えなかった。最も今の気持ちに近い言葉を探すなら「かわいそう」だと思ったが、それを口にするのは流石に憚られた。
「道路のそばだから車は頻繁に通るじゃない? 最初はそれを眺めてるのも楽しかったんだけど、すぐに慣れて飽きちゃって、それでも他にやれることもないし、ずっと見てたの」
「……」
「で、コウちゃんが派手に吹っ飛んだから面白かったの」
「……え、その話だったの?!」
ヒナが辛い気持ちを吐露していると思って話を聞いていた公太は、思わず肩をがくっと落とした。
「いやいや、コウちゃんには感謝してるんだよ? おかげでこうしてまた、人と話せてるわけだし」
「でも、なんでその、普通の人の姿になったわけ?」
「えっと、それは」
ヒナは言葉を区切ると、ひと呼吸ほど考えるような素振りを見せた。
「あたしもよくわからないけど、たぶんコウちゃんが人だと認識したからじゃないかな?」
「どういうこと?」
「今お見せしている映像はイメージです、みたいな?」
「え」
今のヒナの姿は、公太のイメージ。そう言われて、公太は病院で初めてヒナと話したときのことを思い出した。そういえば、最初は姿がぼんやりとしていてよくわからなかったような気がする。声だけでイメージした姿を見ているだけ、ということだろうか。たしかに、自分が思い描く美少女に近い姿だとは思った。
(いやいや……)
公太は小さく咳払いをして、考えるのをやめた。これ以上考えていると、考えたくないことまで思い浮かんできそうだった。
「あたし、美少女なんでしょ?」
「オーイ!」
あっさりと思考を引き戻そうとするようなヒナの発言に、思わず公太は指を揃えた手の甲で空を叩いた。
「あはっ、冗談。ま、とにかくさ」
一呼吸置いてから、ヒナは言葉を続けた。
「これからよろしくね、コウちゃん」
「よろしく、と言われてもな……とりあえず、座ってもいいかな」
「どうぞー、お構いなく」
ずっと立ちっぱなしだったことに今更気付き、公太はベッドに腰を下ろした。
お構いなくと言いつつも、ヒナは特に断りも入れずテーブルを挟んで公太と向かい合うように床の座布団に座った。
「今オレから見ると、ヒナは座布団に座った」
「うん、座ったよ?」
「あ、本当に座ったのね?」
公太は、今自分に見えているヒナの行動や仕草も自分のイメージに過ぎないのではないか、と疑問に思ったのだった。
「あたしは勝手に動いてるから、そこは気にしなくていいよ」
「……よくわからないな」
「あたしもだよ」
そう言ってヒナは笑った。
ヒナは気にしなくても良いと言ったが、公太にとっては気になることも残っていた。
「あのさ」
「うん?」
「ヒナは今、俺に取り憑いてるんだよね?」
「言い方は気になるけど、そんな感じかな」
「ってことはさ、どこに行ってもついてくるわけ?」
「だいたいね」
「……」
その先に踏み込むべきかどうか公太はしばし迷ったが、どうやら察してくれそうにないヒナの様子を見て、思い切って切り出した。
「あのさ、トイレとかにもついてくるの?」
「え」
公太の質問に、ヒナは口を開けたまま固まった。
「いや、そういうことになるじゃん?」
「ならないよ!」
「なんで?」
「なんで、って……」
ヒナは口ごもったが、少しの間逡巡した後で答えた。
「あたし別に人の排泄行為とか見るの趣味じゃないし」
「は?」
「あっ……べ、別にそういう趣味を否定するわけじゃないよ? もしコウちゃんがそういう」
「いやいやちがうちがう! そういうことじゃなくて!」
話があらぬ方向へ向かい始めたところで、公太はヒナの言葉を遮った。世の中にはそういう性癖の人間がいることは公太も知っていたが、少なくとも自分は違うと思っている。
「そうじゃなくて、俺からどれくらい離れることができるのか、ってこと」
「どういうこと?」
「家のトイレくらいなら、今の距離くらいあればドアの外にいられるだろうけどさ。例えば大学なんかだとトイレ自体が広いわけでしょ?」
「あー、そういうことね」
ようやく公太の質問の意図を理解したらしいヒナは、手を叩いた。
「それくらいなら大丈夫かな。たぶんだけど、本気出せばコウちゃんから30メートルくらい離れられると思う」
「え、そうなの?」
「ほら、それくらいの自由度がないとストレス溜まるじゃん?」
「えぇ……」
幽霊にストレスも何もあったものかよ、と公太は思ったが、口にするのはやめておいた。代わりに、新たに浮かんだ疑問を訊ねることにした。
「もしかして、今までヒナが見えなくなってた時って、ただ単に遠くにいたわけ?」
「そうじゃないよ。だいたいコウちゃんのことが見える場所にいたよ」
「なんで見えなくなってたの?」
「うーん……多分だけど、認識の差じゃないかなあ?」
「どういうこと?」
続けて疑問符を浮かべる公太だったが、それに答えるヒナも、よくわかっていないような表情をしていた。
「あたしがここにいる、ってコウちゃんが思えばいるだろうし、いないって思えばいないんだよ」
「俺が念じれば、出たり消えたりするってこと?」
公太の疑問に、ヒナは少しだけ考える素振りを見せてから答えた。
「そういうわけでもないかな……昨日は、あたしが疲れたからいなくなったわけだし」
「それだと、俺の意思じゃなくてヒナの意思で決まってない?」
「じゃあ、共通認識じゃないかな?」
「共通認識?」
「初めての共同作業、的な」
ヒナにそう言われて、公太は数年前に参加した親戚の結婚式で見た、ケーキ入刀を思い出した。二人が一本のナイフを持ってケーキを切る。
共通認識ということは、つまり公太の考えるヒナと、ヒナの考えるヒナが一致すれば、公太にはヒナが見えるようになる、ということだろうか。
「いや、全然わからん」
「だよねー」
ヒナはあっさりと公太に同意した。
「まあまあ、あんまり深く考えなくていいと思うよ? あたしが見える時は普通に話せばいいし、見えなければいないと思えばいいんだから」
「うーん……そんなもんかなあ」
適当にはぐらかされているような印象を受けたが、だからと言ってすぐに何かできるわけでもない。とりあえずは、それで納得することにした。
「ところで念のため確認なんだけど、ヒナのことは俺にしか見えてないんだよね?」
「多分……あの場所にいた時は、たまーに動物が立ち止まったりしてたけど、結局見えてなかったと思う」
あの場所とは、公太が事故に遭った現場のことだろう、と公太は把握した。動物は人間よりも勘が良いと言われるし、動物ですら見えないなら本当に誰にも見えないのだろうな、と思った。
「それってさ、もし俺がヒナと話してるところを誰かに見られたら、独り言を呟き続けてるように見えるんだよな?」
「あっはは、そうだね! 変な人だと思われるかも!」
「そうだねじゃないよ……」
いかにも楽しげに笑うヒナを見て、公太は小さくため息をついた。
「じゃあさ、人前では姿を見せないようにしてくれ」
「それは約束できないかな。さっきも言ったじゃん、あたしにもよくわかってないんだよ」
「いや、でもなあ……」
公太は病院でヒナと話している時に、うるさいと注意してきた同室の男性の顔を思い出していた。きっと彼には公太のことが、大声で独り言を喋り続ける頭のおかしい若者と見えていたに違いない。
「大丈夫ダイジョーブ、そのうち慣れるって!」
「はあ……それじゃあ、他の人がいる時はなるべく話し掛けないでくれよな。俺も無視するから」
「え?」
「え?」
意外そうな声を出したヒナに、公太も思わず同じような声をあげた。
「なんで無視するの?」
「それは無視するでしょ。他の人には見えてないんだから、俺が一人で喋ってるように見えるんだよ?」
「えー?」
ヒナは口をとがらせた。
「いや、そういう意味で慣れるって言ったんじゃないの?」
「変な人だと思われるのも、すぐ慣れるって」
「そっちかい」
公太の懸念を全く考慮していなかったヒナの様子に、再び公太は空を叩いた。
「とにかく、外ではあんまり話し掛けないようにしてくれ。頼むよ」
「あはは、りょうかーい」
軽いノリで答えるヒナの声を聞き、公太の不安は余計に膨らむのだった。
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