夏の亡霊は美少女だった 第十話
***
『寝てた、ってあれひどいだろ(笑)』
『え、っていうか事故って、お前大丈夫なんか』
『そうか、直ったならよかった。実はちょっと、お前がメール無視してたからちょっと険悪になっちまったんだわ』
『いや、誰も事故って知らなかったからさ、すまん!また飲みにでもいこうぜ、また誘うわ』
公太は受信メールフォルダを閉じて待ち受け画面に戻すと、携帯電話を閉じた。美雪の様子がおかしかったことについて、洋二にメールをした後のやりとり、あわせて4通。
詳しいことはわからなかったが、どうやら病院で洋二宛に送った『すまん寝てた』とだけ書いたメールが気に障った奴がいたらしい。もしかしたら洋二本人かもしれない。入院中だったとはいえ、流石にものぐさが過ぎたな、と公太は少し後悔した。
「ねーねー、コウちゃん」
ベッドに横になったまま、寝返りを打つような形で振り返ると、テーブル脇の座布団の上に座っているヒナと目が合った。
美雪とのデートを終えて、商店街で解散した公太は美雪のことを送ったあと、スーパーに寄って帰ってきた。既に日は落ちて外は暗くなっているが、先ほどから美雪や洋二とメールのやり取りをしながら、ベッドの上でゴロゴロしている。歩き回ったせいか、疲労を感じていた。
「なんだ?」
「明日またお散歩いこうよ」
「なんで? いや、別にいいけど」
あらたまったように言うヒナに違和感を感じつつも、公太は承諾する。ヒナはこころなしか、嬉しそうな表情になった。
「あの商店街さー、あたしもいろいろ見てみたい!」
「今日だってあちこち見てただろ?」
公太と美雪が話したり買い食いをしながら歩いている間、公太に相手をされず暇を持て余していたヒナは、店の表に商品を並べている書店やら文房具屋、民芸品などを見て回っているようだった。商店街と言っても直線でおそらく200メートルもないくらいだろう。不動産屋や寄合所のような、めったにお世話にならない建物だって数多い。何度も見て回って楽しめるような場所ではないと、公太は思った。
「そうじゃなくてー」
だが、ヒナが言いたいのはそういうことではないようだった。
「コウちゃん、今日は美雪ちゃんとずっと一緒だったじゃん」
「そりゃ、まあ」
「あたしだってさー、コウちゃんとお話しながら歩きたかった」
「ええ……」
しおらしく言うヒナに、公太は戸惑った。
「それにさ、あたし一人でお店の中とか入れないし。見てみたいお店とかあったけど、コウちゃんと美雪ちゃんは興味なかったみたいだし」
「透明になって壁をすり抜けたりって、できないの?」
「できない。と、思う。人間は壁をすり抜けたりしないでしょ」
「あぁ……」
そういえば、ヒナが壁を透過しているところは見たことがなかった。生きていた頃にできなかったことは、死んでからもできないのだろうか。死んでしまってからも物理法則の呪縛に縛られるというのは、世知辛いものだと思った。少し、ヒナがかわいそうだった。
「明日予定ないし、散歩行くか」
「やった」
公太の言葉を聞いたヒナは公太に背を向けて、小さい声で嬉しそうに呟いていた。そして公太に向き直ってから言葉を続けた。
「コウちゃんてさ、優しいよね」
「そうか?」
自分が特別優しいと思ったことはないし、そうそう人から言われたこともない。「優しそうな人だよね」とは、特に褒めるところがない人間に対する常套句だとも思っていたから、言われても少し抵抗があった。
「こないだも道を訊かれて教えてたじゃん?」
「あれは別に、断る理由もないし……」
「そういうのが優しいんだよ」
「……」
公太は頭を掻いた。にこにこと笑顔を見せられながら褒められるというのは、なんだかむず痒いような気がする。
「でもお人好しが過ぎると、騙されるからね。気をつけたほうがいいよ?」
「お、おう。そうだな」
ヒナがどこまで本気で言っているのか、公太にはよくわからなかった。
***
やけに人通りが多いな、とは思っていた。商店街に向かう道中、風船を持った子供を連れた家族や、大きな紙袋を抱えた人とすれ違った。何か、お祭り独特のような匂いというか、雰囲気を感じる。
いざ商店街に着いてみると、昨日とはうってかわって人でごったがえしていた。もっとも、ごったがえしていると言っても田舎レベルのそれである。わざわざ半身にして避けながら歩かなければならない、というほとではない。それでも、普段は寂れた商店街にしては驚きの人出だった。
「お祭りか何かかな」
「そうみたいだよー、電信柱にポスター貼ってあったし」
「あ、そうなの」
昨日来たときは見落としていたらしい。そういえば夏祭りの時期だな、と公太は思った。夏休みやら入院やらですっかり曜日感覚を失っていたが、今日は土曜日だ。家族連れも含め、たくさんの人が出歩いていた。
今日も空は晴れ、気温は暑い。商店街の端にあるゲートの付近には、特別に設置したのか霧のようなものを吹き出す機械が置かれており、周辺には人だかりができていた。
「なんかお祭りっていいよね!」
「わくわくするな」
「ね!」
公太とヒナは、二人揃って浮足立ちながら商店街へと入っていった。ゲートのすぐ内側に立てられた屋根だけのテントへ向かうと、公太は商店街の地図が描かれたチラシを1枚もらった。この店では何が安いだとか、ここには何の屋台がある、ここでは福引をやっているだとか、いかにもお祭りらしいことが書かれている。裏側は福引に参加するためのスタンプラリーの台紙にもなっているようだったが、そちらはスルーすることにした。どうせポケットティッシュくらいしかもらえないだろう。
人の隙間を縫いながら歩いていくと、お祭りらしい匂いが強くなった。いろいろな店が店舗の前にテーブルやらワゴンやらを置いて、中にはレジを外に持ち出して軽食を売っているところもある。
「これ、逆に店に入るの大変そうだな」
「そうだねー、でもそれもいいんじゃない。お祭りの空気を楽しめるのは今日だけでしょ?」
「明日までみたい」
「どっちにしろ、特別だよ」
「だな」
祭りの空気にあてられて、公太も気が緩んでいたのかもしれない。ヒナと話す声も若干大きくなっていたが、それでも周囲の人は誰も公太の『独り言』を気にしなかった。独り言だろうが誰かとの会話だろうが、多少の声は周囲の喧騒に飲み込まれていた。
「あ、わたあめ売ってる」
公太がヒナの指差す方を見ると、金物屋の前に背の高い木の枠が立てられ、何かのキャラクターがプリントされたビニールのような袋に詰められた綿菓子がたくさんぶら下げられていた。金物と綿菓子では脈絡がないと公太は思ったが、祭りでやれることが他にやることがないのかもしれない。
公太が別のほうを見ると、金魚すくいを出している店もあった。クリーニング屋だ。水つながりだろうか? いやいや意味がわからない、と公太は内心思った。様子を見ていると、金魚すくいで遊んでいる子供たちの対応もそこそこに、浴衣を着ている客を見つけては、クリーニングお安くしますよ、と営業をかけていた。商魂たくましいものである。
至るところから香ってくる良い匂いにつられそうになりつつも、公太とヒナはゆっくりと人の間を歩いていった。
「ねえねえコウちゃん」
「ん?」
「なんか、あの人困ってそうじゃない?」
ヒナの向く先を公太が見ると、三十代くらいと思しき女性が少し歩いては足を止め、向きを変えて少し歩いては足を止め、という動きを繰り返していた。いかにもオロオロしている、という表現が似合いそうな様子だった。
「まあ、困ってそうだな」
「誰かとはぐれちゃったんじゃない?」
「かもな。道に迷うわけもないだろうし」
女性のすぐそばを通る人の中には、様子を気にして視線を送る人もいたが、特に誰も声を掛けたりはしていなかった。公太も同様、そのまま通り過ぎようとしたが、目の前にヒナが出てきて道を塞いだ。物理的に止められるわけではないだろうが、反射的に公太は足を止めた。
「なんだよ」
「ね、あの人困ってそうじゃない?」
「いや、うん、そうだけど」
まわりから見れば、何も無いところで立ち止まって独り言を呟くだけの怪しい男だ。公太は先に進もうと左右から回り込んでヒナを避けようとしたが、ヒナはその度に行く手を遮った。
「ね、あの人困ってそうじゃない?」
ヒナは微笑みながら、ふたたび同じことを言ってきた。公太は妙なプレッシャーを感じた。表情と違って、目は全く笑っていないように見える。
「……わかった。わかったよ」
ついに公太は根負けした。公太のことを優しいと言っていたのは、このための伏線だったのか? と邪推してしまうような状況だ。できれば避けて通りたかったが、あからさまに困っている人を完全に無視してしまうのは、いささか良心が痛むのもまた事実だった。
「すみませーん」
公太は女性に近付くと、声を掛けた。冷静に考えれば言葉の選択がおかしいような気もしたが、知らない人に声を掛ける時の相場だ。だが、女性は気付かないようだった。
「すみません、どうかしましたか?」
先ほどより少し声を大きくして、公太は再び声を掛けた。女性は一度ビクッとしたが、振り向いて公太の顔を見た。警戒されているような空気を感じる。当たり前だよな、と思いつつ公太は言葉を続けた。
「なんかお困りのようだったんで、その、どうかしましたか?」
「……」
「えっと、何か手伝えることでもあれば」
女性は言うべきか言わざるべきか迷っているような素振りを見せたが、意を決したように表情を変えると口を開いた。
「あの、息子の姿が見えなくなってしまいまして……」
「お子さんとはぐれた?」
「はい……その、よろしければ探していただければ……」
気がつくと、いつの間にかヒナは女性の後ろに移動していた。両手で握りこぶしを作ってうんうん頷きながら、期待の眼差しで公太を見ている。公太は心の中でため息をつくと、女性に尋ねた。
「何歳くらいの子でしょうか?」
「えっと……5歳なんですが、身長はこれくらいなんです」
腰くらいの高さを手で示しながら女性が言う。
「ちょっと目を離しただけなんですが、見えなくなってしまって……」
「わかりました」
気が動転しているのだろう、あまりろくな情報を得られなかったが、公太は大丈夫だろうとタカを括った。そんなに小さい子が一人で歩いていれば目につくはずだ。女性もずっとウロウロしていたのだから、きっとこの辺りにいるのだろう。
公太はとりあえず近くを探し始めようとしたが、道の脇で手招きしているヒナに気付き、そちらに近付いて話し掛けた。
「さっきの話、聞いてたか? これくらいの男の子みたいなんだけど」
「あ、うん、聞いてたよ」
「もしかして、もう見つけたとか?」
「いや、そうじゃないんだけどさ」
もったいぶるヒナに、公太は少し苛立ちを感じた。
「あのさ、コウちゃんあたしのこと肩車してみてよ」
「は?」
思わず口を衝いて出た言葉だったが、ヒナは特に気にしていないようだった。ある程度はリアクションを予想していたのかもしれない。
「高いところから見たほうが見つけやすいでしょ? あたしなら目立たないし」
「……目立たないっていうか、なんていうか」
「えへへ」
照れ笑いをするヒナだったが、いやいやそうじゃないだろう、と公太は胸の中でツッコミを入れた。目立たない以前に、ヒナの姿は公太にしか見えないのだ。
「てか、乗れるの? 触って大丈夫なの?」
公太は、病院でヒナと最初に会った時のことを思い出していた。自分は死んでいると言ったヒナに、公太は触って確かめようとして、ヒナはそれを「やめたほうがいい」と止めた。それがあったから、公太はずっとヒナには接触しないように気をつけてきたのだ。
「コウちゃんも慣れてきたし、今なら触っても大丈夫だと思う」
「どういう理屈なんだよ、それは」
「いいからいいから、とにかくちょっとこう、屈んでみてよ!」
膝と腰を曲げながら上目遣いに言うヒナに従って、釈然としない思いを抱きつつ公太は屈んだ。膝に手をついて、人が乗れる体勢になる。
「もうちょっと下げて」
「ん」
公太は深く膝を曲げた。地面を向いている公太にはヒナの脚くらいしか見えなかったが、ヒナは公太の肩に乗ろうとしたようだった。
少し待っていると、公太の見ている地面が少し歪んだように感じた。目まいを起こした時のような感じで、少し気分が悪い。膝に手をついた格好でなかったら、フラついていたかもしれない。
「もういいよー。立って立って」
頭の上から声がする。いつの間にか、顔のすぐ横にヒナの両脚があった。重さは感じなかったが、もう肩の上に乗っているらしかった。
「支えなくて大丈夫か?」
脚を掴んで支えるべきかと思い公太は聞いたが、実際にヒナの脚を支えられるのかはわからなかった。公太が触れても透けるだけだ、とヒナは言っていたはずだ。
「大丈夫ー、頭掴んでるから」
「そう」
ヒナの答えを聞いて、公太は膝から手を離し、腰を伸ばした。目まいは収まっていたが、気分の悪さは抜けきっていなかった。
「なんかさ」
「うん?」
「肩が重い気がする……頭も」
「あはは、幽霊にでも取り憑かれたんじゃない?」
「それは笑えないな」
言葉とは裏腹に、公太は苦笑を浮かべた。そのまま、ぶらぶらと脚を遊ばせているヒナを乗せ、公太はまた表の道に戻った。肩の上に乗ったヒナの様子はよくわからなかったが、周辺を見回しているようだった。
「いやー絶景かな絶景かな。今度からこれで散歩しようか」
「勘弁してくれ……」
そのまま少し歩いたところで、ヒナが声を上げた。
「あっ」
「なんか見つけたか?」
「人がたくさん集まってる。小さい子もいっぱいいるよ。大道芸かな?」
公太もヒナの声の向く方を見ると、道行く人の頭越しに、人集りができているのを見つけた。
「ちょっと行ってみるか」
「うん」
人集りのほうへ近寄ってみると、曲がり角の小さな公園のような開けた場所で大道芸人がショーをしているようだった。缶のようなものの上に板を乗せ、その上でバランスを取って立っているのがかすかに見えた。テープでも掛けているのか、周辺にはけっこうなボリュームで音楽が響いている。
ヒナの言った通り、周囲には小さい子もたくさんいた。だが、どの子も夢中になって見ているようで、親と一緒にいるのか、それとも一人で見ているのか判別がつかなかった。
「これじゃわからねえな」
「そうだね……」
「とりあえず母親のほうをこっちに連れてくるか」
「あ、それいいね!」
公太は踵を返すと、先ほど女性がオロオロしていた場所まで歩いて戻った。それなりに時間が経ったと思ったが、女性はまだ同じあたりで探しているようだった。時折道行く人に声をかけようとしては、ためらって声を掛けずに終わる、ということをしているようだった。
「すいません」
公太が声を掛けると、先ほどと同じように女性はビクリとしてから、公太の顔を見ると少しだけ警戒を解くような表情になった。
「あ……息子は、見つかりましたか……?」
「いや、そうじゃないんですけど、あっちのほうで大道芸やってて」
「はあ……」
「んで、小さい子もたくさんいたんで、その中にお子さんもいるんじゃないかなって」
公太の言葉を聞くと、女性は少し驚いたように目を大きくした。
「それは、どちらでしょうか?」
「一緒に行きましょう。ついてきてください」
不安そうな顔の女性を連れて、公太は再び大道芸をやっている場所までやってきた。人集りが見えてきたあたりで、女性は公太のことを追い越して集団のほうへ近寄っていった。息子を探しているのか、集団の外をうろうろと歩いている。そのうちに一人の子供を見て、表情を変えた。
「あ、いたみたいだね」
「それっぽいな」
女性は人集りの中から息子と思しき子供を一人引っ張り出すと、その場にしゃがんで説教を始めたようだった。
公太とヒナがその様子を見守っていると、再び子供は観客の中に戻っていった。どうやら大道芸が終わるまでは見ていくらしい。母親の女性は観客に混じっていく息子を見送ると、公太たちのほうへ近付いてきた。
「ありがとうございます……息子が見つかりました」
「はい、そうみたいですね。良かったです」
「よかったよかった」
女性には聞こえていないだろうが、ヒナも公太の頭の上で言った。
「なんとお礼を言ったら良いか……」
「ああ、別に構わないですよ。気をつけてくださいね」
視線を泳がせながら謝意を表そうとする女性に、むず痒いような気分になって、公太は手をひらひらとさせた。まだ何か言いたげな女性だったが、公太はその場を離れた。それ以上お礼を言われても変な気分になりそうだったし、あまり長くていてもお互いに気まずいだろうと思った。
「見つかってよかったねえ」
「だな」
「やっぱりさ、コウちゃんって優しいよねー」
今のはヒナが無理矢理手伝わせたんだろう、と思ったが公太は否定するのをやめた。感謝されるのは悪い気分ではない。特に自分が損をしているわけでもないし、ムキになる必要もないと思った。
「ところで、今思ったんだけどさ」
「うん?」
公太は、商店街の道の脇、至る所に生えた街灯に備え付けられているスピーカーのことを見上げながら言った。
「案内所にでも行ってさ、迷子の放送とかしてもらったほうがよかったんじゃないか?」
「あっ」
ヒナは声を上げた。どうやら、二人揃ってその発想に至らなかったらしい。あの母親の女性も含めれば三人だ。気が動転すると、当たり前のことにも気付かなくなるものだな、と公太は思った。
「たしかに、そっちのほうが賢かったかも」
「だよな」
「でもさ、あの大道芸の人、すごい大きな音で音楽流してたじゃん?」
「ああー……」
「放送流しても、あの子聞こえなかったかも」
「じゃあ、結果オーライだな」
公太はなんとなく、自分の行動が不正解ではなかったことに安堵した。結果オーライでも、正解は正解だ。
「ところで、ヒナはいつまで俺の上に乗ってるんだ?」
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