記憶の縄釣瓶petit: のど自慢とふるさと歌まつりと紅白歌合戦。

『NHKのど自慢』を最近ときどき見る。少し前までは大嫌いだった。以前は東京の担当アナウンサーが全国に出向き放送していた。そこには確実に中央が地方を見下す視線があった。番組の構成はほとんど変わらないが、最近はその週ごとに地元局の若手アナウンサーが司会している。鐘を鳴らすのも地元オーケストラの打楽器奏者だったりする。
「中央が地方を見下す視線」で思い出すのは、かつてのNHKの人気番組『ふるさと歌まつり』だ。看板アナウンサー宮田輝が全国に赴き、毎週地元の民謡や踊りを紹介していた。しかし小学生で東京をはずれた埼玉の「地方」で生きていた僕は、どことなく「中央が地方を見下す視線」を感じていた。
父が亡くなる直前、僕は病院で看護師を怒鳴りつけたことがある。もう20年前のこと。看護師が父に対して、赤ちゃんか幼児に使うような言葉で接していたのだ(多くの人は想像できると思う)。父は70代、亡くなる数週間前までは頭もはっきりしていた。プライドの高い人だった。僕は彼を(反発もしたが)尊敬して育ってきた。「なんだその喋り方は!」「親父をなんだと思っているんだ!」そんなことを病院内で叫んでしまったかもしれない。宮田輝を思い出していたかもしれない。
NHKは「みなさまのNHK」である。この「みなさま」という言葉には、二重、三重、四重の意味が影を落とす(鳩山由紀夫が首相時代、国民というときに必ず「のみなさま」と付けていた選民意識と、NHKの中央意識は無縁ではないと思うが、その件について論じるのは他に任す)。いずれにしろ宮田輝は、毎週でかい体を折り曲げて背の低い老人や少年、地方人にマイクを向けていた。マイクを向けられた側は、テレビに出てるんだ! という高揚感で一杯になってしゃべり、歌っていた。
僕の記憶にある『紅白歌合戦』の司会者(白組キャプテン?)といえば、はじめ高橋圭三だ。テレビ草創期のバラエティ『ジェスチュァ』や『私の秘密』さらには『私は誰でしょう』で見事な司会ぶりを見せた、いわば戦後バラエティの司会術を築いた人だ。黒柳徹子が長く紅組キャプテンを務めていたが番組の進行上は総合司会に対するアシスタントという扱いだと感じていた。白組キャプテンが総合司会である代わりに白組応援団長としてハナ肇や植木等が活躍していいたが、紅組応援団長が誰だったか、いわゆる「三人娘(美空ひばり、江利チエミ、雪村いづみ)」が務めることが多かったように思う。
その高橋圭三がある年突然NHKを退局し、民放へ活躍の場を移した。NHKの看板アナがフリーアナウンサーとして民放で稼ぐ先駆けだったのではないだろうか。彼はその後長く『日本レコード大賞』の司会を務めた。そのころ『日本レコード大賞』は12月31日午後7時から8時55分頃までの放送。日劇だったか東京宝塚劇場だったか、午後9時から始まる『紅白歌合戦』に向けて歌手たちはパトカーが先導する車で日比谷から渋谷へ向かうのがニュースにまでなった。
つまりレコード大賞が発表される頃には、それまで客席に顔を揃えていた歌手たちの多くはすでに会場を後にしていて、渋谷で紅白の入場行進に備え衣装替えまで済ませ、日比谷で大賞発表後、曲を歌い終えた受賞歌手が最後に入場するのが恒例だった。その頃はまだNHKアナウンサーが紅白に対抗した民放の一大イベントに言及することはなかった。

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