さえずり230906-2
レス・バクスターがいい。40年代から50年代にアメリカで活躍した作曲家。今聴くと映画音楽っぽく感じる曲も多いが、純粋なムード音楽、イージーリスニングの元祖。ディズニーや名犬ラッシー、オードリー・ヘップバーン、僕らが無意識に憧れてしまっていた頃の「アメリカ」の匂いがぷんぷんする。繁栄を享受するWASPの典型的な空気感が漂ってはいる。
西欧文化の優位性がこの作曲家の意識の中にあったろうとアジア人の僕は感じてしまうが、一方でエキゾティズムに溢れ(まあ流行なのだ)、南米、アフリカ、太平洋、アジアの音楽的要素も多く取り込んでいる。今の視点で見れば、理解の浅い偏見に満ちた取り入れ方ではある。しかし本人にとってみれば見下すつもりなどない、それなりに敬意のこもった扱いであったのだと思う。
『南太平洋』というミュージカル映画があった。舞台は南太平洋のとある島。ところどころに実写映像が挿入されていた気もするが、基本全編ハリウッドのスタジオで撮影している。
同居人の元同級生でエジプトと日本のハーフの友人が、映画『アラビアのロレンス』は許せないと言っていたという話を何度か聞いた。アラブの歴史を捻じ曲げているということらしい。またアラブ人を野蛮で好戦的に描いているとも。その通りだと思う。だがあの映画は20世紀初頭の、アラブに魅せられた一イギリス人研究者の挫折を描いた物語。実際に映画を観た上で許せないと言っていたのだろうか。
1967年の『007は二度死ぬ』は日本が舞台だ。浜美枝がボンドガールを演じ丹波哲郎も出演したこの作品での日本の描き方は、エキゾティズムに溢れ、われわれから見るとやや差別的だ。しかし1956年『八月十五夜の茶屋』に比べれば遥かにマシである。1989年『ブラックレイン』になると、リドリー・スコット描く日本は日本人の気付かないリアリズムに満ちている。
アメリカのミュージシャンたちも1960年代以降、南米音楽やアフリカ音楽、アジアやその他の地域への理解が進み、もはやエスニックブームとかワールドミュージックとかいう言葉も死語に近い。とはいえ60年以上前のレス・バクスターの音楽には、理解が浅く、偏見に満ちていたとしても、黄金時代のアメリカが持っていた素朴な魅力が溢れている。