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周辺

「あるお店が予約が取れたんですけど,この日空いていますか?店近くの美術館がいいコレクションなのでそれも兼ねて如何でしょうか?」行かぬとはいえない強い磁力.優しい人からのお誘いにお応えし,都会へ出かけた.

久しぶりに訪れたその美術館は今日も本当に素晴らしかった.美術館を出る時間だけ決めてくださり,独りで巡らせていただいたので,自分のペースで拝見することができた.芸術,宗教,哲学は,知ってしまったらもう知らなかった世界には戻れない.という言葉をどこかで耳にしたが,まさにそれを体現するような.ひとつひとつの作品も素晴らしいが,美術館トータルの完成美を感じる.

私はなんでも本丸から攻められないタイプ.本丸に切り込んでバサッと崩すことができない.最近料理をするときにも気づいたことなのだが,調味料を鍋の真ん中に入れられない「癖」が分かった.そろそろと,鍋の端っこから調味料を入れる.食べるときも料理そのものよりも香りから食べる.あと神社も.駅に行く途中にある神社に立ち寄るとき,隅っこからソロソロと入る自分に気づいた.

何かものごとを理解するときも,本丸からではなく,外堀からじわじわと輪郭を明らかにして,なんとなく物の規模感,奥行き等を理解する.そもそも私は本丸がなにか見えていないということもある.何かを調べるときもそうだ.資料に手当り次第あたる.周辺の情報から,輪郭を作り,なんとなく本丸に近づいていく.美術館にしても一つ一つからではなく,総合の調和から自分のなかの美を感じる.

なんとなく核心の部分はちいさな点として見えている.がそれがどういったものなのかは自信もなくてわからない.だから外堀から攻めてゆく戦略を取る.

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ランチのお店は大変素晴らしくていちいち美味しさに感嘆した.マンションの一室で予約がとりづらいお店であることがすぐに分かった.他に二組いたがどちらもお連れの女性はモデルさんのようで,自分の場違いさ.怖気づいた…

私の尻込みをよそに,「この中の秋刀魚で一番いいやつどれかわかりますか?」「これとこれの塩のちがい,わかりますか?」などとカウンターごしで会話をしながらお店の世界観に浸っていった.丁寧な仕込みをされている姿をみているだけでも,心がパッサパサになっていた私には潤いの世界だった.

かつて西本願寺を訪れたときも同じことを感じたことがある.若いお坊様が丁寧に仏具を整えていたのをずっと拝見していた.畳の目なん目のところにこれを置く,などの決まりごとがあるようで,整えて,立ち上がり,整えて,立ち上がり,所作の一つ一つが美しく,心が洗われた.仕込みやものを整える所作って,私にとって瞑想みたいな域なのかもしれない.私は茶道を長年しているが,道具を扱うとき世界から音がなくなるように.

面倒な話は一切しなかった.仕事の話ももちろん,失恋の話も.旬のお魚の話やワインの話しかしなかった.自分の心のうちをちょっと相談してみようかな,,とも思って今日を迎えたのだが,そんなことせずとも,すっかり心の空気を入れ替えていただいた.本丸とは関係のない話をすることによって癒やされた.それでいいんだ,と思った.












 


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