芸は身を助けるかもしれない
落ち込みすぎて「やばい」状態である自覚がある.心折れてぐたっとしているとき,暇が一番良くないことを私は知っている.何かしなくてはと,あたりを見渡すとピアノが目に入った.埃をかぶり洗濯物置き場になっていたピアノをぎいっと開けてみた.
そう,うちにはピアノがある.昨年別れた元作曲家の恋人の置き土産.色んな意味で重たいので.業者さんに頼んで処分してもらうか,売るかとか処分の仕方に1年ずーっと迷っていた.でもふと,数日前ピアノ弾いてみようと思ったのだった.
わたしは音楽に関しては色々やったほうだろう.自我のない頃から,琴,三味線,弦楽器,ピアノ.ジャズ好きが高じて大人になってからはジャズフルートを習っていた.自分にとっての初めての音階はドレミではなく,ちんとんしゃん,とか,弦楽器の開放弦C(ツェー線)とかA(アー線)だったので,鍵盤の「ド・レ・ミ」が未だにちょっと大人っぽくて,遠くのきれいなお姉さんのように感じる.
久しぶりに楽譜を見てみたがびっくりするくらい音符が読めない,手が動かない.両手なんて神の領域のような気がした.ピアノ習ったのは小学生の頃だったかな.バイエルとか,なんか色々やった気がするが.
いつもの私なら,まあいいやきらきら星ができれば,という程度で,となる.
が,私はピアノのレッスンのアプリをみつけ,年会費を払ってピアノを習うことにした.暇をよほど撃退したかったのだろう.ピアノ教室に行くのは,出不精・コミュ障の私にとってハードルだったので良いチョイスだ.
弾けなすぎるので,レッスンには集中力を要する.ほかのことを考える余裕がない.音符を追いかけるその余裕の無さは,今の自分に本当に必要なことだった.集中することによって精神が助けられている.どうゆうメカニズムなのだろうか.できるときは毎日30分程度はピアノに向かうようにし,ひとつひとつ課題をクリアしてく.まだ初めて数日だが,少しづつ楽譜を読めるようになってきた.
芸は身を助けるーっていうのは意味が違うと思うけど,芸術に身を添わせることによって,自分の心が落ち着いていくのがわかる.音楽に集中すること,美術史を掘り下げて学ぶこと,それらはわたしを別世界へ連れてってくれる.そして気づきを与えてくれる.すべてを忘れさせてくれる.瞑想に近い状態.
今日も予想していところからカウンターパンチが飛んできて,ゲソっとして帰宅した.彼と会うのは秋でいいや.多方面の整理がついたところで会えばと思っている.
まだ落ち込みから立ち直れないが,少し心整ったら,がらがらと音を立てて環境が変わっていくーそんな予感がする.世界に芸術があってよかった.
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