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僕は誰と戦っていたのだろうか~野球が下手くそだった話~
こんにちは、たぁしぃです。
自己理解プログラムをスタートしてひと月が経過しました。プログラムにはオンラインイベントというものがあって、同時期にプログラムを受講している受講生(仲間)と交流を持つことができます。私は、このイベントが大好きで、他の受講生と話をすることで自己理解の深堀りが進んでく感覚です。何より、同じ目的を共有する仲間との時間はかけがえのないものだなと実感しています。
さて、今日はプログラムをスタートして、行き詰ったワークについて書きたいと思います。
自分にブレーキをかけている思い込みに気づくためのワーク
「恐れていること」の根底にはどんな思い込みがありますか?(〜べき、〜でなければいけない)
最初に浮かんだのは、「成功できるという確信を得てから行動すべき。」という思い込み。私の上位資質である、「最上志向」「着想」「慎重さ」が悪い方向に向かっている様子が分かります。
しかし、続く質問
恐れを生み出している思い込みは、過去のどんな体験から生まれていますか?
これに、うまく答えることができませんでした。そこで、まだまだ根底にはもっと根深い思い込みがあるのでは?と考えて深堀りをしていきます。
「成功できるという確信を得てから行動すべき。」
→なぜ、成功しなければならないのだろうか?
「周りから認められる環境にいなければならない。」
→たしかに自分はいつも、周りから認められているのだろうか?と気にしています。
そして、なぜそう思うのか?という問いに答えることで
「みんなから褒めてもらわらなければならない」
「下手くそは参加してはいけない」
と言うふたつの思い込みに気づきました。
褒められることが多かった幼少期
「塗り絵が上手だね」
「幼稚園生なのにアルファベットを全部覚えているんだ」
「算数が得意なんだね」
「難しい漢字を知っているね」
「字がキレイだね」
「歴史に詳しいね」
「ゲームが強いね」
小学生のころまでは、親や友達のお母さん、先生など大人から褒められたという記憶がたくさんあります。
友達からかけられた言葉は「下手だね」の方が記憶に残っているのはなぜだろう。
小学1年生のとき、僕は兵庫県西宮市に住んでいました。1985年の阪神タイガース優勝で関西は大いに盛り上がっていて、僕も友達たちも自然と野球に興味を持ち、野球と阪神を好きになっていきました。小さな公園でプラスチックのバットを持って、簡単な野球を楽しんでやっていたのを覚えています。「将来の夢」はプロ野球選手になることでした。
小学校2年生のとき、横浜の小学校に転校しました。野球好きの友達もできました。ただ、違ったのは、割と広めの空き地があって、そこではグローブや金属バットを使った本格的な野球が行われていました。そこで、気づいたんですよね。「僕は野球が下手だ」と。打席に立っては、ほとんどボールに当たらずに三振ばかり。守ってもエラー。そのうちに、友達たちも「こいつは下手だな」と理解したようです。
今でも、忘れられない出来事
いまでもあるのかな?チームを決めるときに、代表者同士がじゃんけんをして、欲しいメンバーを順番にとっていく制度。僕の地域では、「とーりっぴ」という掛け声でじゃんけんをしていました。もちろん上手な人から決まっていくので、僕は最後まで残ります。そして、奇数の日は僕だけが残ります。すると、代表者が「はんぱとりじゃす」という掛け声でじゃんけんをします。勝ったほうは、最後に残った一人を「いる」か「いらない」を選択できます。そして、勝った方が言います。
いらない
負けたチームのメンバーは、「ああ…」って顔をしています。
その時に、思いました。野球は好きだけど、周りに迷惑をかけるなら参加しない方がいいな。
そのうちに、僕は友達たちと野球をやらなくなりました。
野球は好きだったので、家の近くで一人で壁投げをして遊ぶようになりました。友達とはファミコンの野球で遊びました。
そして、体育の授業や昼休みのドッジボールの経験から、自分が野球だけではなく、運動が苦手なんだと確信します。体育は周りに迷惑をかけないように、とにかく目立たないようにして過ごしました。
中学では野球部に入りたかったけどやめておきました。高校受験では、甲子園に行けそうな高校を選んで「応援する」と決めました。将来の夢は、プロ野球選手からスポーツ記者に変更。
もう大好きな野球はやらないと決めていました。
周りから認められる環境にいなければならないという思い込み
いつの間にか「周りから認められる環境にいなければならない」という思考になっていました。
だから、私はいつも気にしています。
「みんなは認めてくれるかな?」
「自分が出た大学って、一般的にはレベル低いよな」
「世間の人たちはいいよな、土日休みで」
「普通の40代ならこれくらいの年収だよね」
みんな、一般的、世間、普通
ああ、僕は誰と戦っているのだろう…。
誰に認めて欲しいのだろう…。
認めて欲しいのは、自分自身。
そして、家族と仲間。
それで良いんだよな。そもそも、自分自身が自分を受容して、活き活きと過ごしていれば、家族や仲間は認めてくれるはず。認めてくれない仲間ならいらない…。
世間がどうかとか、普通はどうかとかはいったん置いておこう。そんなことにあらためて、気づくことができたワークでした。
下手くそでも参加して良かった話
そして、最後に野球の話に戻ります。
私は今46歳で、草野球歴24年になります。人生の半分以上は、野球をやっています。野球をやらないと決めたのになぜか。
大学生の時でした。アルバイト先の2つ下の後輩が、野球部出身でした。その頃、僕は大学のキャンパスで、キャッチボールすることにハマっていて、グローブを買ったことをその後輩に話しました。
後輩が、
「え、じゃあ本格的に9人集めて野球やりましょうよ!」と言い出します。
もちろん、躊躇しました。
「いや~、でも俺、下手だからさ。キャッチボールくらいしかできないから」
後輩は引きません。
「キャッチボールできるなら、いけますよ。やりたくないですか?みんなでユニホーム作って。下手でもいいですって、俺、教えますよ。」
その時のアルバイト先は、異常なくらいバイト同士の仲が良くて、その後輩が声をかけたら、あっという間に10人以上集まりました。
そのうちに、知り合いのチームと試合をするようになって、それだけではなくネットで対戦相手を見つけて試合をするようになって…。気がついたら年間50試合くらいしていました。
でも、本当に弱くて、45試合くらいは負けました。
僕はたぶん100回以上三振しました。
それでも、チームは明るかったし楽しかった。
ああ、野球って下手でも楽しいな。
下手くそでも、一生懸命やるっていいな。
年末の忘年会では、チーム投票でMVPに選んでもらいました。
打率は1割にも満たない。三振も多いし、エラーも多い。
選考理由は
「熱い気持ちが伝わってきたから」
「どんなに負けていても大きな声を出しているから」
「チームが一丸となれたのはたぁしぃさんのおかげ」
泣きました。野球でMVPになる日が来るなんて…
小学生の頃の夢、プロ野球選手にはなれなかったけど、
大好きな草野球チームでMVPになれました。
たぶん、プロ野球選手になるより意味があると思います。
プロ野球選手は30代で引退ですが、僕は46歳で現役です。
趣味は、下手くそでも参加していい。
大切なのは仲間。お互いを受容できる仲間を持つこと。
最後まで読んていただきありがとうございました。