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秋は寂しい季節

今日から新学期だ。空気が少し冷たくなって秋めいてきたことに、ちょっと寂しさを感じるから、なんだかんだ今年の夏も楽しかったんだなと思う。

特にどこかに行ったわけでもないし、仕事も休まず毎日行ったし、休日も家で過ごした普通の日々だったけど、それなりに“夏”の特別な高揚感が影響したのだ。太陽の光をめいっぱいに浴びて、あらゆる生き物が生を謳歌する夏には、私達人も高揚せずにはいられない。

秋が寂しいのは、夏が終わるから。だけではない。いつからか分からないけれど、私の中で秋はそれ自体寂しい季節として刻まれている。たった27年しか生きてないけど、その中で経験してきた様々な秋の記憶が毎年蓄積してきた。

1番古い記憶は12歳の秋。卒業の気配が迫ってきて、当時好きだった子と別の学校になることを嘆いていた秋。その子と3年後に偶然再会して、ピアノの発表会に呼んでもらったのも秋。嬉しくて、彼が弾いた曲をその後何回もCDで聞いた。恋は成就しなかったけど、友達になれた。そのまた3年後、高校3年生の時にもう一度彼のピアノのコンサートに呼んでもらったのも秋。もう「好き」ではなかったけど、初恋の人が弾いたその演奏はやっぱり特別で、大人っぽくなった音から卒業後の月日の移ろいを感じて寂しかった。楽しい高校生活だったから、卒業して友達と離れ離れになるのも寂しかった。

大学に入って、新しい人を好きになって、人生で初めて告白をして、振られたのも秋。留学して、家族や友達や恋人が恋しくなっていたのも秋。

これだけ寂しい記憶が積もったら、秋の匂いを嗅ぐだけで寂しくなるのも当然だ。乾いた土の匂いも、金木犀も、銀杏も、北風の匂いも全部寂しい。キリキリと胸が痛くなるくらい、一人を感じていた時期もあった。

秋は色んな生物が冬に向けて眠ったり、世代交代するために、枯れてゆく季節だ。夏あんなに大勢で鳴いていた蝉も、青々と茂っていた樹木も、秋にはひっそりと孤独になっていく。たった数十年しか生きてきてない私ですら、秋の記憶が刻まれて、こんなに寂しいのだから、地球はどれだけ寂しいだろう。何十億年もの記憶を重ねてきた地球の秋に、寂しさの気配が蔓延しているのも不思議ではない。何にもなくたって、きっと秋は寂しい。

でも、日の入りがすっかり早くなって暗くなった夕闇に家々の明かりがぽつぽつと灯る風景とか、ひんやりと冷たい空気にどこかの家から漂ってくる夕飯の匂いとか、そういう誰かの暮らしの温かさが際立って、それに救われるような思いがするのも秋だからこそ、と思う。

今は胸がキリキリするような孤独を感じることはもうない。秋の気配を感じると胸の奥がチクっとするくらいだ。感受性が鈍ってきたのか、昔の記憶が薄れてきてどうでもよくなってきたのか。多分どちらもあるけれど、諦めがついてきたのかな、と思う。所詮、究極的にはみんな一人なのだ。その代わり、そばにいてくれる人の温かさが沁みるようになった。寂しいけれど、寄り添える幸せもある。それが秋だと思う。

胸の奥のチクっとした痛みは多分ずっと消えないけど、それもきっと私が生きてきた歴史の証だからと、今はそれすらも愛しく思う。

#エッセイ #つぶやき #ひとりごと