ビジャ選手の引退に想う
ヴィッセル神戸のダビド・ビジャ選手が
今シーズン限りでの現役引退を発表した。
「サッカーに引退させられるのではなく、
自分の意志で引退を決めたい」
この言葉には、
様々な理由で引退「せざるを得なかった」選手が存在する中、
自ら引き際を決めることができることへの誇りや
周囲への感謝の気持ちが詰まっていたのではないか。
※以下、あくまで個人的な解釈(思い込み!?)です※
一方で、彼が言うところの「サッカー」には
ファンやメディアの存在も含まれていて
過度な期待やプレッシャー、心無い批判により
1人の選手が引退「させられる」こともあり得る
このサッカーを取り巻く環境に対して
彼なりの方法で
警鐘を鳴らしているような気がしてならない。
ピッチで輝きを放つ選手が引退を発表すれば
「まだまだやれる」「もったいない」
衰えていく己の身体に抗いながら現役を続ける選手には
「もう限界だ」「さっさと引退すべき」
などと好き勝手に「正しい選択」を主張する。
下部リーグに活躍の舞台を移せば
落ちぶれただの都落ちだのと揶揄し
第一線への返り咲きを目指すものには
いまさら無理だと嘲笑う。
彼らのプライベートや家族までも標的にして
これでもかとばかりに追い詰め
そして引退後も「理想のアスリート」であり続けることを求め
サッカー以外の世界で目立つことを良しとしない...
批判はメディアが果たすべき役割の一つであり
ファンには大きな期待を寄せる権利があるが
1人の人間の人生を壊し
仕事を奪うことが許されるはずがない。
選手の決断がリスペクトされる世界になりますように。
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