【児童発達支援センターB園⑥】「自立して生きる」とはどういうことか
このnoteでは、女の子として生まれ、「ちいちゃん」と呼ばれて育ってきたかつての自分。男性として生き、「たっくん」と呼ばれ、福祉の専門家として働いている今の自分。LGBTQ当事者として、福祉の現場に立つ者として、「生」「性」そして「私らしさ」について思いを綴ります。(自己紹介もぜひご覧ください)
前回に引き続き、A乳児院から異動を命じられ、勤めることになった児童発達支援センターB園のことを中心にお話しさせてください。
「自分で体を動かせないし、コミュニケーションもできない子どもが自立できるの?」。そんな質問をされたこともあります。私は「はい、もちろんできますよ」と答えてきました。
26歳の時に保育士として働いた児童発達支援センターB園には、身体、知的または精神に何らかの障害のある子どもたちが毎日自宅から通ってきました。子どもたちの障害の種類や程度はさまざまで、日常生活での排泄、食事、着替えなどに必要な支援の内容もまたさまざまでした。意思疎通が困難な子どももいました。
そうした子どもたちの療育を通して、私たちは1人ひとりの子どもの「自立」を支援していました。
障害のある人に向き合ったとき、私たちは「できないこと」に目が向きがちです。しかし、「できないこと」は、その人の一面でしかありません。
確かに、B園の子どもの中にも、コミュニケーションがとりづらい子、自分の意思をはっきりと表すのが困難な子はいました。ただ、成長はゆっくりだったり、一般的な発達のしかたとは違ったりしても、できることが増えていくケースは少なくありませんでした。
私は、重度の障害があり、書いたり、話したりといったコミュニケーションが困難な高校生の相談を幼少期から受け持っています。身体障害があり、手で機械を操作することが難しいその高校生は、近頃、視線入力で自分の感情を表せる機器を使うようになりました。お母さんは「子どもの絵本を読み聞かせると、『そんな子ども向けの絵本はイヤだ。ばかにするな!』と怒るんですよ」と私に教えてくれました。それは、私たちが普段使っている書き言葉や話し言葉での言語表出ではありませんが、母親には確かに読み取ることができるメッセージとして送られてくるのです。
障害のある子どもたちも、自分の思いや感情を持っている。ただ、私たちの側に、それを受け取るアンテナがないのです。コミュニケーションが難しい子どもたちも、いろいろな考え、気持ちを持っているのです。
障害があるということにとらわれてしまい、だれにも可能性があるということを見失ってはいけないと思います。だれもが、生きる力を随所に持っているのだから、そこに目を向けたいのです。
障害の有無にかかわらず、だれもが、だれかに助けてもらって、つながりの中で存在しています。1人だけで生きている人はいません。そして、年齢と共に、助けてもらっている部分が多くなります。体が動きにくくなれば、食事の宅配を利用したり、掃除を手伝ってもらったり、介護付きの施設に入ったりすることもあります。高齢化が進む日本では、そうした人たちはこれからの社会ではますます増えていくでしょう。
では、高齢者のように、自分ができないことについて支援を受ける人たちは、自立していないのでしょうか。そんなことはありませんよね。できることは自分でやって、できないことは助けてもらいながら生活することが「自立」なんです。受ける支援の内容が違うだけです。
障害のある人たちにも自分の価値観、ありたい姿、伝えたい気持ちがあります。周囲がそれを見逃さず、丁寧に受け止め、実現を支援することでその人なりの自立が始まります。
B園の保育士はみな、子どもたちにその子なりの生きがいを見つけてほしいと思って支援していました。できれば、家族や友人、社会での人とのかかわりの中で生きがいを見つけてほしいと考えていました。だからB園では、子どもたちに日直などの役割を担ってもらっていました。ほかの人の役に立つ充足感や達成感、ありがとうと言ってもらえる喜びを味わってもらうような工夫をしていたのです。
次回も、B園の子どもたちのお話を続けます。
【これまでの「児童発達支援センターB園」の物語はこちらから】
【前シーズン「A乳児院」の物語も是非ご覧ください】
※私が「障害」を「障がい」と記さない理由は、こちらをご覧ください。
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