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【児童発達支援センターB園③】諦めではない。ただ、受け容れたい

このnoteでは、女の子として生まれ、「ちいちゃん」と呼ばれて育ってきたかつての自分。男性として生き、「たっくん」と呼ばれ、福祉の専門家として働いている今の自分。LGBTQ当事者として、福祉の現場に立つ者として、「生」「性」そして「私らしさ」について思いを綴ります。(自己紹介もぜひご覧ください)
前回に引き続き、A乳児院から異動を命じられ、勤めることになった児童発達支援センターB園のことを中心にお話しさせてください。

新しい職場のB園は、身体、知的または精神に何らかの障害のある子どもたちが通う児童発達支援センターでした。

乳児院とは仕事のペースも内容も違うことばかりで、移動した当初はなにをすればよいかまったくわかりませんでした。ただ、やっぱり子どもたちと過ごす時間はとても楽しかったです。

私にとって新鮮な体験は、保護者とのかかわりでした。前の職場のA乳児院では、さまざまな事情で親とは一緒に暮らせない子どもの世話をしていました。親が失踪しているケースもありましたから、保育士である私と親とのかかわりもあまり多くはありませんでした。でも、児童発達支援センターの子どもたちは、毎日家から通ってきます。だから、私とご両親、特にお母さんとのかかわりも多くなったのです。

正直、最初は、「障害のある子どものお母さん」とどう接すればよいのだろうかと、少し身構えてしまっていたと思います。でも、実際には、お母さんたちとはすぐに仲良くなりました。「田崎先生って、男の子みたいでかっこいいね」と私のことをかわいがってくれました。(B園に異動した頃は、私はまだ「男の子っぽい女の保育士」でしたから。)

おかあさんとのかかわりから私はたくさんのことを学びました。中でも、「障害受容」は、私自身の問題にもつながる、重要なテーマでした。

B園に通う子どもたちにはさまざまな障害があります。そして、そのほとんどは一生付き合っていくものです。

しかし、親にとって、我が子の障害を受け入れることは簡単なことではありません。医師から障害名を告知され、その障害について調べに調べて、「うちの子に限って」と否定し、「治療や訓練をすれば、この子もいろんなことができるようになるのではないか」と希望を抱くのは当たり前のことです。

わが子を、何とかこの社会でよりよく生きていけるようにしてあげたい。そういう気持ちから、病院をあちこちと訪ねる親もいます。きっとよくなるはずだ、もっとよくなるはずだ、普通の子に近づくはずだ……そんな思いを抱えて。実際に治療や訓練によって「その子なりの成長」を見せてくれるのも本当のことです。

福祉の仕事をする中で、そうしたお母さんにじっくり話を聞くことがあります。お母さんの子どもへの思いは否定するものではありませんから、私はただお母さんの言葉に耳を傾けます。すると、お母さんが「あちこち病院を訪ねて、いろいろな治療を試すことで、子どもにしんどい思いさせてるのかなあ……」とぽつりとこぼすことがあります。

親は確かに治療を望んでいる。でも、本当に望んでいるのは、なによりも子ども自身の幸せなのです。

そして、お母さんたちはいつか、「私の子どもはこのままでいい」という障害受容に至ります。

このままでいいという思いは、「もうこれ以上治療はできないからしかたない」というあきらめの思いと、似ているけれど、やはり本質的に違うと私は思います。障害を治療するのではなく、障害のあるこの子が生きやすいようにしてあげたい、ありのままで生きていてもこの子が幸せを感じられるようにしてあげたい。そんな状態だと考えています。

B園の子どもたちのお母さんのほとんどが、「この子がよりこの子らしい人生を歩めるように」という思いを持って、子どもたちに接していました。

障害のある子どもたちと、我が子の障害を受容し、「この子らしい人生を送らせてあげたい」と願う親たちと接するうちに、私は「私は自分の体と心の性の違和感に対して、いつまで見て見ぬふりをするんだろう」と思うようになります。「一生懸命頑張ってるよ」と、子どもたちが私に声をかけてくれるから、私は「自分はこのままでいいのだろうか」と思ったのかもしれません。

次回は、私が自分の障害に向き合うきっかけをくれた、忘れられない親子の話をしようと思います。

※私が「障害」を「障がい」と記さない理由は、こちらをご覧ください。

【前シリーズ・A乳児園編もご覧ください!】



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