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【児童発達支援センターB園①】男みたいな女より、お母さんみたいな女がいい

このnoteでは、女の子として生まれ、「ちいちゃん」と呼ばれて育ってきたかつての自分。男性として生き、「たっくん」と呼ばれ、福祉の専門家として働いている今の自分。LGBTQ当事者として、福祉の現場に立つ者として、「生」「性」そして「私らしさ」について思いを綴ります。(自己紹介もぜひご覧ください)
A乳児院から異動を命じられ、勤めることになった児童発達支援センターB園のことを中心にお話しさせてください。

私は、短大を卒業してから、ずっと福祉の世界で働いてきました。これまで4つの事業所に勤務しましたが、どこで働いても「幸せとは何か」「自分らしさとは何か」を深く考えることになりました。

「女性」という身体的性別と、「男性」としての性自認が一致しない自分は、きっと「女性」として妊娠・出産することはない。だったら、仕事を通して子どもに愛情を思いきり注いでみたい……そんな思いで勤務したA乳児院では、親の愛情に恵まれない子どもたちと生活する中で、子どもたちのために働く喜びを味わいました。自分自身に自信が持てない私でも、人の役に立てるということを知り、そして、生まれてくる意味とは、幸せとは、そもそも親とは…を深く考えることになりました。

A乳児院で子どもたちと過ごす日々は本当に楽しいものでした。自分は、一生ここで働くのだろうと思っていました。しかし、26歳のとき、心身に障害のある子どもの通所施設である児童発達支援センターのB園への異動の命令を受けたのです。

A乳児院を運営する社会福祉法人は、さまざまな福祉事業を展開していたので、異動があるのは当たり前のことなのですが、「まさか自分が!」という思いでした。

異動の理由はわかりません。ただ、「あんな男の子みたいな子は、乳児院で小さな子のお世話をするよりも、もう少し大きな子の相手をした方がいいのではないか」と考えている人がいるようなことを、ひとづてで聞いたことはありました。

A乳児院の同僚、そして子どもたちは、「男の子みたいな女の子」の私をそのまま受け止めてくれていました。でも、「乳幼児の相手は、お母さんみたいな女性の方が合っている」と私の知らないところで誰かが思っていたのかもしれない。そんな噂を聞いて、「このままの自分ではダメなのだろうか」と悲しい気持ちになりました。 

最近は、男性保育士も増えていて、保育園で保父さんを見かけることは珍しくありません。ただ、乳児院には関しては今でも、男性の職員は非常に珍しいのが実状です。

ただ、私は、女性職員であっても男性職員であっても、子どもを愛するという点では違いはないと思います。子どもへの愛情には、性別のラベルを貼るのはナンセンスです。だから、ゲイカップルが里親になって赤ちゃんを育てることも、十分可能だと信じています。

ともかく、異動命令は私にとっては大変ショックでした。これほどやりがいを感じる仕事から外されるくらいなら、いっそ辞めてしまおうかと思いました。でも、親に頼ることもできず一人で生きていたその頃の私には、仕事を辞めてどうやって生きていくのかが想像できませんでした。

「ひとまず新しい職場でやってみて、ダメだった時に考えよう」。そう自分を納得させて、異動を受け入れました。

その後、私は、「児童発達支援センターのB園への異動がなければ、今の自分はない」と断言できるほど、貴重な経験を積むことになります。

次回から、児童発達支援センターB園での日々についてお話しします。

※私が「障害」を「障がい」と記さない理由は、こちらをご覧ください。

【A乳児院の物語はこちらから】

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