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34年前の教護院⑩ついにかかってきた電話

奥さんは時々、生徒側のホールにやって来て、窓際にある椅子に座る。
生徒が半円を画くような形で、周りに集まる。
そんな時はだいたい何か話がしたい時だった。
奥さんはその日椅子に座ると、
だいぶ参ったように頭を抱えながら言った。

「いやぁー、参ったわ。
あれは酷いわ。」
と話し始める。

「〇〇さんのお父さんから電話があったんだけどね。」
私の父。
嫌な予感がした。
皆の前である手前、
私は顔面に血液が集まるような、
顔にピリピリした感じを覚えた。

「アレじゃー確かに、グレる気持ちも分かるわ。」

奥さんらしくない発言をした。
完璧を求める人の発言とは思えず、
私はどうしたらよいのか、苦笑いするしか無かった。

おそらく父は、酔っ払って電話をしてきたのだろう。
そして娘を電話に出さない事に、
相当グダグダと奥さんに文句を言ったに違いない。

父はアルコール中毒であり、
酒乱だ。
その事を
大人に相談しても、

「お父さん、お母さんが揃ってるだけ幸せなのよ。世の中にはね。
お父さんもお母さんも居ない子だっているんだから。」と言われる。

私はそれが嫌で、大人に父の相談をするのはやめよう。と心に決めていた。

だから、アル中を相手にする辛さが、奥さんに伝わった事が、
嬉しくてたまらなかった。
だいぶ頭を抱えていたので、
相当なストレスだったのだろう。
何を言われたのかは、
言わなかったが、想像はできる。

本来は申し訳ないと思うべきなのだろうけれど、
今まで誰にも伝わらなかった感情を
誰かと共有出来たことが、
嬉しかった。
…………………………………………

学院には年に数回、寮対抗の
スポーツ大会があった。
テニス大会、バレーボール大会、
など、さまざま。
夏は水泳大会。

そしてスポーツと言えば1寮。
とにかく1寮が強く、
私はあんなスポ根寮も嫌だと日頃から思うほど、凄まじい走り込みや、スポーツに力を入れた寮だった。
どんな競技でもだいたい優勝は1寮。
2寮はいつも4位くらい。

ある日のプールで、全生徒が集まっていた。
すると、
アナウンサーの
「逸見政孝」さんが、取材にやってきた。
あ!
逸見さんだ!

主に5寮で取材をしているらしく、
この日は、全寮が集まったので、
皆一人一人に握手をしてくれた。
優しそうな人。
でも、別世界の人なんだな。
そう思った。

私は比較的水泳は好きで、
泳ぎもできる方ではあったが、
テニスにしても、
水泳にしても、
中の上レベルくらいの
中途半端で、
外の教護院との対抗大会選手に選ばれることは無かった。
選ばれたら、寮から出て、練習に参加できるのにと、選手が羨ましかった。
選手が選抜された後に、私が平泳ぎで、高タイムを出した時は、
さすがに先生も驚いていた。
私は
いつも運が悪い。

そして
学院寮対抗水泳大会の日がいよいよやってきた。

私は、メドレーリレーで、
最後4番目のクロールで泳ぐことになっていた。
特に重要な競技でもなかったのだろう。私がアンカーで良かったのだから。
それに、他の寮のメンバーも、
そんなに気合いの入った選出でもなさそうだ。

寮対抗なので、やはりいつもの1寮が、強い。
ほとんどの競技で1寮が優勝を逃したことは無い。

そして最後のメドレーリレー。

選手は4人。
私は4番目の選手。

1寮の選手は、ちょっとメンバー的に早い生徒ではなさそうかな?
と思ったが、しかし、
最後のクロールの選手が、
1寮でも、1、2位を争う、
スポーツ万能選手!
さすが、1寮。どの競技でも負ける気はないようだ。

「よーい」パーン!合図の音
各寮選手が一斉に泳ぎはじめた。
平泳ぎ
背泳ぎ
バタフライ

1位を1寮と2寮で争っている!
ヤバい!ほぼ同時だ!
心臓がバクバクする。

いよいよ3番目の選手の手がプールサイドに届く。
そして
私は水に飛び込んだ!

負けられない!
負けたくない!

得意の負けず嫌いが私を突き動かす。

息継ぎもろくにせず、
泳ぎのホームなんかも気にもせず、
とにかくゴールに向かって、
無我夢中!
全力を出し切った。

プールサイドにタッチする。

終わった。
息が苦しい。ハァハァしながら
立ち上がると、大きな歓声が聞こえる。

勝ったのか?
負けたのか?
分からない。
私がキョロキョロしていると、

1位  2寮!

どこからか声が聞こえた。
勝った!
本当に勝ったんだ!

私は2寮の席、奥さんの元へ
駆け寄る。
皆が嬉しそうに興奮している。
奥さんも大喜びしてくれ、
満面の笑みで
ハイタッチを求めてきた。
私はそれに応じ、
なんとも言えない優越感を味わっていた。

「凄かったよ!ほぼ同時に始まって、どんどん早くなって、ギリギリだったんだよ。」と、
興奮しながら話してくれた生徒がいた。

全体成績では、優勝する事はできなかったけれど、それでも私の中ではしてやったりの出来栄えで、
個人的には優勝と同じ気持ちだった。

色んなスポーツ大会のなかでも、
こんなにも嬉しかったことは無い。
誰かに褒められなくても、
私は満足だ。

一通りの四季を越えると
気がつけば私は部屋の2番手になっていた。

1年か。
それでもまだまだ先は長い。
2番手ともなると、
部屋の全員と話ができる立場にもなる。
3番手の面倒を見たり、
部屋長がいないときには、
4番手の面倒もみる。

そう、だいぶ信頼されるようになり、怒られる事もだいぶ減る。
しかしそれでも時々、
やらかしてしまう。

よく怒られる生徒はだいたい同じ、
怒られない生徒もだいたい同じ。
そして、よく怒られる生徒ほど、
先生のムチの痛みを強く表現する。
怒られない生徒ほど、時々ムチを食らっても、あまり痛みを表現しない。
この違いは何なのか。
私は、よく怒られる側だろう。

どうしてなのかが分からない。
いや、分からない訳では無いのだが、やってしまってから気がつく。
そんな事が多かった。

でも一度だけ、
奥さんが、かばってくれた事があった。
元々は奥さんが怒り出したため、
先生が、縄跳びで私を叩き始めたのだが。
「パパ!やめて!」と。
それでも殴る先生に対して
「パパ!もういい!可愛そうだわ」と。
その言葉に、先生は手を止めた。
あれは一体何だったのだろう。

在籍年数が古くなってくると、
確かに、奥さんや先生の態度は、
少し変わってくる。
新しい子へ向ける態度とは違う。
そういえば、
まだ入ったばかりの頃、奥さんが
「古い子の方が可愛い」と言っていた気もする。

この夫婦に、生徒達が可愛いと思う感情があるのだろうか。


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