34年前の教護院④それでも人は環境に慣れる。
それは、ほんの少しだけ寮の雰囲気に
慣れつつあったある日に起こった。
私たちの部屋がお風呂を終え、
いつものように事務所に報告しようとすると、
何やら生徒達がお得意の雰囲気で
うつむいている。
もう、毎日のように見る風景。
事務所に群がり、下を向き、
今、怒られています!と。
どこから見ても明らかな様子。
私たちはそこへ隙間を縫って入り、
1人ずつ
「奥さん。お風呂いただきましたぁ」できるだけ可愛らしく、高い声で言う。
事務所内には先生と奥さんが、
いつもの心臓を突き刺す様な雰囲気で睨みつけてくる。
それでも一応返事はしてくれていた。
そして、私の番、
「奥さん。お風呂いただきました。」
頑張って高めの声で報告する。
先生と、奥さんが一緒に事務所や、生徒側の寮に出てきている時は、必ず奥さんに声をかけるという決まりというか、風潮が2寮にはあった。
「はい。」
返事はしてくれた。
と、ほっとしていると、
先生から声をかけられた。
「お前もやってるだろ!」
「えっ」と声が出た。
全くなんの事やら分からない。
「湯船にブラシ浮かべてないか?」
先生のその問いに
ブラシ。湯船。あ、ヘアブラシの事かと気付き、「やってません。」
「本当か?」
「やってません。」
「そうか、新しい割に大したもんだな。」と、先生に言われ、もしかしてちょっと褒められたのかと思ったりもしたが、気のせいだろうと直ぐに切り替えた。
しかし、それを聞いてもまだ、
私には分からなかった。
どういう事だろう?
湯船にブラシ。
確かに私の部屋の人達も、
ヘアブラシを何故か湯船に浮かべていた。
正直、やる意味が分からなかったので、真似をしなかったと言うところが本音だった。
また、何故ヘアブラシを湯船に浮べることが、
そんなに駄目な事なのかも分からない。
どうしてそれでこんなに、
寮中の生徒達が、事務所前で立ち尽くし、先生、奥さんが怒っている意味が、全く分からない。
案の定、やっていた生徒達は皆、
竹刀で1人ずつお尻を叩かれることとなった。
痛みの具合は何故か皆違うようで、
物凄く痛がって、足を高めに上げ、ゆっくりその場をウロウロ歩きながら必死に堪える生徒。
かと思えば、痛くないのではないかと思うくらいに動じず、ただ顔だけて、グッと堪えるような生徒。
ほとんどの生徒が罰を受けたなかで、今回は免れたことに
私は、人間の本性が現れた。
「あー、良かった。」
ただそれだけ。
他の生徒が可哀想という感情は、
一切湧かなかった。
そしてこの事件。
何が問題なのか、最後まで理解が出来なかった私は、やっぱり馬鹿なのだろう。
この2寮という空間に居ると、
何が正しいのかが分からない。
逆らっても、正直でも怒られる。
そして別の日。
奥さんが、寮の外水道で小学生の上履きを洗っていた。きっと先生と奥さんの子供の上履き。
すると皆何故か、
「奥さん代わります!」と可愛く言う。
奥さんは「大丈夫よ。」と応える。
すると生徒は、
「ありがとうございます。」と可愛く言う。
奥さんは「はい。」と返事をする。
これを寮全員が繰り返す。
私は始め、何故奥さんが自分の子供の上履きを洗っているのを見て、代わらなければならないのか、
それを言わなければならないのか、
腑に落ちなかった。
しかし、言わないと、誰が言わなかったか必ずバレるので、私も心にもない同じ事を奥さんに可愛く言った。すると、皆と同じ対応が返って来た。
ようやく普通に返事してくれるようになった事に、喜びがあった。
後に聞いた奥さんの話によると、
「やり過ぎなくらいの、小さなことでも正していけば、社会に出た時に調整がきく。目上の人にも代わります。と言えれば、仕事でもきっと役に立つ。」
そう言っていた。
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だいぶ寒くなってきた頃、
奥さんの「部屋替えするよー。」
との声に、皆がホールに出る。
1室(いちしつ)から順番に、
1番手(部屋長)、2番手、3番手、4番手と
発表される。
最後の
4室(よんしつ)は、あと2~3ヶ月程で退院間近の生徒が1名か2名入る。
4室にもなると普段の行動パターンも皆とは少し変わる。
3番手から2番手に出世する子や、
4番手から3番手に出世する子もいる。
私はまだまだ4番手からは上がれなかったが、
私にも後輩が出来ることとなった。
新しく入ってきたその子は、髪は金髪で、
やはり始めから2寮の甲高い声が、
出せるはずもなく、
お決まりの恐怖の洗礼が始まった。
比較的冷静に、それを、
見て見ないふりをしていた。
そう、私が初めて寮にやって来た日のように。
あの時と、反対の光景。
私もあんな感じだったのだろう。
そう考えると、