走馬燈売りの堕天使-マスティマ- #1 中
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トビー=マクガフはどうしようもない倦怠感と閉塞感に苛まれていた。
彼の働く小さなレストランはいつも常連で賑わう活気に溢れた場所であった。
客は慣れ親しんだ空気の中、何処か懐かしい料理の数々に舌鼓を打ち、親方の豪快な笑い声が響く厨房へ自然と惹き込まれていく。
学校も満足に通わず家を勘当同然で飛び出した彼を何も言わず住み込みで働かせてくれていた親方には心底感謝していたし、だからこそ店の為に懸命に尽くして来たつもりだ。
ここに来て約4年の月日が流れようとしている。
早く役に立ちたくて毎日暇を見ては料理のレシピを目で盗み、賄いで一通り自分なりに満足のいく出来の物を作ってきた。
そうであるのに未だまともに厨房を任せて貰えない現状に良い加減辟易して来ていた。
先日ようやく了承が得られそうだと思った矢先、ヘンな問答ではぐらかされてしまったと来てはどうにも納得がいかなかった。
「俺だって、俺だってやりゃあ出来るんだ。なのにどうして親方は認めてくれねぇんだ…
所詮俺は体の良い下っ端っつうことなんかね。はぁ…」
いつも仕込んでいるのと同じ芋の筈なのになんだか皮の模様がニヤけた面に見えてきてウンザリする。
「どうせ俺は学のない糞みてーな芋野郎ですよ、ッと!!」
雑に落とした刃先でガスンと芋が砕け切れる。
あぁ、邪険に扱ってしまった。申し訳無い、とついつい思ってしまう職業病の自分が情けなく、憎らしい。
「トビー!いつまでチンタラ芋切ってんだ!とっとと済ませて倉庫からスープの材料を取って来い!」
「…へーい、分かりましたぁ」
のそのそと倉庫に向かうが脚が重い。
いつもなら取りやすい場所にある筈の玉葱が1番上の段に乱雑に置いてあるものだから頭に来る。
「…つか、そうか、俺が置いたんだった。」
何処にも捌けられない苛立ちを感じながら手を伸ばすが微妙に届かない。少し離れた場所の脚立を持って来れば良いと分かっていてもムキになる。
「ぐっ、後ちょっと……ッッ、!うわっ!?」
がらり、と音が聴こえた時には遅かった。
棚の上に置いてある建材をしまった大きな木箱が玉葱の袋に引っ掛かって降って来るのがやけにスローモーションで視界に映る。
(やべぇ…避けきれな…!!)
ガズン!!!ゴキン!!と大きな音が聴こえた気がした。
意識が途切れる、と身体が身構えて居たからだろうか。数刻視界が暗転する。
…おかしい、何時迄経っても痛みも感じない、綺麗な川だって見えて来ない。死神みてーのがコンニチハでもして来るのかと思ってたけど…
意外と死ぬってのはあっさりしたモンなんだろうか。
ボーッとそんな事を頭が駆け巡ったのも束の間、戻っていく視界に死神が居てくれればどれだけ気が楽だったろうか。
一面の赤黒い水溜まり。転がった玉葱と木箱。
そして、真ん中に横たわる大きな背中。
「お、おい!嘘だろ親方!!!」
「バカ…やろ…ぉ、あれ程モノは丁寧に扱えと…しつこく言ったじゃねェ…か…」
「あ、あ…は、早く医者を…よ、呼ばなきゃ…」
「フン…へ、ヘンな気は起こすモンじゃねぇなァ…なんか、ふと頭ァ、よぎっちまったんだ。何か、良くねぇ事が…起きそうだってよ…
トビーよぉ、怪我、ねぇか、?」
「な、何言ってんだよ親方!ンなことより、あ、頭、血が、血が…!」
脚が動かない。手の震えが止まらない。
何でも良い、誰か、誰か助けてくれ…
誰か…ッ!!
……かつん…かつん…
虚ろな目のせいか、微かに陽炎が視界に浮かぶ。
音…?脚、音か?
「…生の運命に逆らいし憐れな眷属よ。今一瞬の安息と救いを与え給う。
我、最期の焔を燻らす者也。」
ふわり、とした声が鳴り響く。情景にそぐわない温かな優しい声色に、何処か哀し気な風が纏っている。
瞬間、目の前の風景は様変わった。
-2-
「…ッ…ここ、は、天、国?」
さっき迄居た薄汚い倉庫は何処にもなく、ありふれた町並みが拡がって居た。
「あれー?おかしいな、キミ、シゴト先とは関係ないよね?巻き込んじゃったかな、こりゃ。」
「う、うわっ!?なんだお前、しゃ、喋る猫!や、やっぱりここは天国、いや、地獄の使いって事も…」
「うーわー、勝手に酷いコト言わないでくれるかな?ボクは只の見物人、いや、見物猫、だよ。これからワクワクしながら観劇しようって時に萎えちゃって困るなー、そういうの」
「…トォル、あまり無駄口を叩くなら今日の晩御飯は無くなる。」
「ひぇっ、そりゃ無いよマスティマぁ!だってイレギュラーが居るんだから仕方ないじゃん!!」
「違う。彼は招かれた。きっとあの人は彼を受け入れたがってる。」
「あの人…親方の事か?
い、いやそれよりも!アンタ達は誰なんだ?ここは何処で、何が起こって…!」
「…一つずつ話す。あまり続け様に話さないで欲しい。私はそれ程早く話せない。」
…ど、どうなってんだよ、一体…
柔らかな、それでいて儚い声でとつとつと話す少女は長く美しい白髪を揺らしながら状況を話し始めた。
「先ず、私はマスティマ。生の運命から外れた憐れな眷属に最期の安息と救いを与える者、で、こっちの五月蝿いのは…」
「だーッ!そんな言い方で伝わる訳ないだろカタブツ少女!!
はぁ、ゴメンねお兄さん。ボクはトォル。まぁ、何処にでも居る斑猫さ。
んで、此処はあのオジさんの走馬燈の中。
本来まだ生きてる筈だった運命が何かしらで変わっちゃうコトってままあるんだ。そーゆー人が残した命の焔を使って最期にステキなモノを見せてあげよーってのがそこのカタブツさんのお仕事って訳。オーケー?」
「トォル…カタブツは酷い。5点減点」
「え、何そのポイント!?一体何が減ったの!?5点って何を基準に!?ちょ、ちょっとマスティマぁ!」
…一体、何が起きたんだろう。取り敢えず此処は天国でも地獄でも無くて、目の前の女の子と猫はよく分からない話を続けている。
ボサッとしていると目の前の家から若い男性が老人と共に現れた。
「…とっ、奴さん、御出ましだよお兄さん。」
「え、あれは…ちっと若いけど、親方?」
「此処はあの人の記憶の世界。今見えているのはあの人にとって大事だった思い出。
私の役目はその世界を作り出すコト。最期を見届けるコト。」
「最、期…って事はやっぱり親方は…」
「うん、君を庇って死んじゃうみたいだね、もうすぐ。」
「そ、そんな…」
「トォル…いい加減にする。さもないと…」
「わ、わわわ、口は災いの元ー!ってね、ほらほら、何か話してるよ。あの人!」
親方はもうすぐ死ぬ。
そんな事を当たり前の様に突き付けられた。
正直頭の中は訳わかんねぇけど…でも…
親方が最期に俺に伝えたかった事…
俺は…見届けないといけない。
to be continued…