見出し画像

日記の書き方を忘れた


寒さで目覚める朝が増えた。足先から首まですっぽりと布団に包まって寝たはずの夜が嘘みたいに思えるほど、朝には布団がどこかへ追いやられている。生粋の寝相の悪さが物語る朝。小学生のときは布団の上で180度回転していたこともあれば、寝室の部屋のドアから出て廊下で寝ていたこともある。嘘のような本当の話。ベッドへの憧れを拭いきることができず、落下という恐怖を抱えてベッドに挑戦してみたところ今までベッドから落ちたことは一度しかない(一度は落ちた)。人間の危機回避能力に脱帽した。ただ、ベッドに変えたところで布団が私から剥がれ落ちることには変わりなく、睡眠の質が悪くなる冬が近づいていることを身にしみて感じる。



冬の空気は澄んでいて、鼻につんとくる寒さが心地いい。秋が好きと言う人をよく耳にするけど、残念ながら今年は秋ありましたっけ。気候的には秋をあまり感じられなかったように思う。それでも、秋の風物詩と言われる金木犀は空気に紛れて泳いでいた気がする。画面から金木犀の香りでもするんじゃないかと思うほど、SNSは金木犀の写真で溢れていた。私は逆張り癖があるが故に金木犀ではないところに秋の到来を見出したいと思っていた。無駄に個性派に走る必要なんてないのに大多数のうちの一人になることが昔から嫌いだった。きのこ帝国の『金木犀の夜』を夜に一人で聴きながら感傷的になっている私が言えることではない。



雨の音さえ心地いい。たくさんの足音みたいで、これから何がやって来るんだろうとほんの少しわくわくする。なんてことはなくて、大学に行くことが億劫になるしセットした髪はぼさぼさになるし服も靴も濡れてしまう。こんな憂鬱な一日の始まりでも、大学で友達と会えたときの感動がいつもの数倍になることだけが雨の日には頼もしい。後期に入ると週2しか大学に行かなくなった。今まで単位を1つも取りこぼさなかった過去の私に拍手喝采。旅行しまくろうとも思ったけど、授業がないだけでやることはそれなりに詰まっている。なのにどうしてこんなに暇を持て余しているのかと言うと先延ばしにしているからでしかなかった。未来の私へ、ごめんなさい。



友達と会える貴重な月曜日。3限が終わり、4限のある教室に向かった。なぜか教室に人が少なくざわついていた。なんだろうと思っていると4限の授業が休講になったらしい。授業開始のタイミングで休講のお知らせという先生の粋な計らいは全然嬉しくなかった。4限終わりに合わせてバイトを入れていたのに時間が余ってしまう。友達は5限があるらしく、一緒にだらだら話しながら時間を潰すことにした。思い出そうにも一言も思い出すことができないようなとりとめもない話ばかりをしていると、いつもなら長く感じられる100分があっという間だった。私には後にも先にも友達との時間が必要なんだなと思った。



会いたいときには会いたいと伝えるようになった。寂しいときには寂しいと言えるようになった。人の繋がりなんて不確実で、証明できるものもない。だから、すぐに切れるし壊れるし引き剥がされる。そうしたこともあるし、されたこともある。きっと私はいつも相手のことばかりを考えすぎて我慢しすぎなんだ。自分のことをもっと愛すことができればという問題ではなく、相手への信頼ができていないという問題。こんな私と居てくれているのだから私がちょっとわがままを言おうと迷惑だなんて思うような心の持ち主ではないという信頼に欠けている。もっと人を信じることができればなと思う。雨上がりに雲の隙間から差し込む太陽のオレンジ色の光は信じていられるのに。






いいなと思ったら応援しよう!