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愛が走っている
先延ばし症候群でもいつかやるときは来てしまうのだから、置いてきたものは取りに戻らないといけなくなる。子宮頸がんワクチンを女性のみなさんは打っているでしょうか。この癌について詳しくは知らないけれど、発生率が高く私たちが一般的に知っている癌ほどの重みを感じられないくせに癌は癌なのだ。発見が遅れると死に至ってしまう。そんなの恐ろしい!私の生まれた2003年(平成15年)は無料でワクチン接種できる対象ということで、無料ならさすがの先延ばし症候群の私でも頑張ることができた。無料とセット割引という言葉が好きです。
病院に行くために母子手帳が必要だからと実家から郵送された。母子手帳なんて存在しか知らなかった。ちょっとした興味本位で中身を覗いてみる。当たり前だけれど、私はあの母の娘なのだと手帳に書かれている母の字を見て実感する。出生時の身長や体重、体のサイズなどが記載されていた。加えて、母の妊娠中の体調記録のようなものと6歳になるまでの細かい記録があった。これほどまでに自分の成長を客観的に見ることはないし、ましてや私の記憶にはないけれど、過去にちゃんとあった成長を見ることができるのが不思議な感覚だった。
生後1ヶ月ごとに記録があり、1歳を迎えると1年ごとの記録に変わる。かかった病気や予防接種したワクチン、体の記録にプラスして悩みや不安、感想を自由に記述できる欄があった。そこはびっしりと母の字で埋め尽くされていた。見てはいけないものを見ているような感覚で読んでみると、下瞼で支えきれないほどの涙が溢れてきた。私は両親にとって初めての子供であり、初めての女の子だった。母にとって初めての育児で、当時の不安で不安でたまらない心境に思いを馳せると涙が止まらなかった。
「2月1日、『まんま』と言う」
「手を合わせて『いただきます』をする」
「別れ際、バイバイをすると泣き出す」
「6/22、初めて2歩あるいた」
「はさみやのりを使って工作をする」
「なわとびが連続でとべるようになる 12/22」
何かが出来るようになったときの日付が書かれていることに驚いた。初めて言葉を発したという感動は確かに記録したくなるかもしれない。なわとびが連続でとべるようになっただけで日付を記載しているのを見ると、心に火がぽっと灯るようなあたたかさを感じる。他にも幼稚園で好きな子ができたらしいとか弟が生まれてからお世話の手伝いをするようになったとか水に顔をつけれるようになったとか(ちなみにこれも日付が書いてあった)、どうしたって母の愛を感じずにはいられなかった。
私が5歳を迎えたとき、1人目の弟が生まれた。私は娘からお姉ちゃんになり、しっかりしていないといけないんだと小さいながら気づいていたんだと思う。私の記憶にある中では甘えたりわがままを言うこともあったけれど、心のどこかで何かを妥協したり自制したりしている部分が常にあった。一人娘でいられた5年間は短いのか、長いのか。きっと一人だから親の愛を100%受けられるというわけではないのだろう。親は一人ひとり100%以上の愛を与えて育てていると思う。もっと言ってしまえば、愛に限度なんてなく、0から100までのメーターで測ることさえできないのかもしれない。
丘の上にある公園へピクニックをしに行った。ちょうど幼稚園生たちが遠足に来ていたらしく、お昼を食べ終わった後には芝生で追いかけっこをしたりだるまさんが転んだをしたりしていた。私にはこの子どもたちが"愛"にしか見えなかった。色も匂いも形も違う、たくさんの愛が、青い空と緑の芝生に挟まれた土地の上で、気持ちいい程度にそよぐ風を受けながら走り回っている。みんなそれぞれ味も違うのだろう。たくさんの愛を遠くから眺めている私も、愛に包まれてできている。