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寒いねあたためてよ
服装をいつも間違える。最高気温13度ってアウターいるぐらい寒いんだっけとわからなくなってしまい、最低気温8度の中カーディガンを羽織っただけの軽装で外に出た。バイト先のパートの方が私の服装を見て「まじ?やばすぎ。え?やっばー寒いって」と厚手のコートを着ながら言った。そうですよね私服装選ぶの下手くそですよねと思う以前に、彼女は私よりも若者言葉にさぞかし慣れ親しんでいることの方が気になって仕方がなかった。笑い話やとりとめのない雑談をすると「草」と言うものだから口から出る言葉と温和な外見の乖離が著しくてとても面白いからいつも楽しく会話をしている。
寒くなってきた。もう11月も終わりを迎える。すると12月がやってくる。12月と言えばクリスマス。周りの人たちが「もうすぐクリスマスくるよ。やばくない!!」と声を大にしている。その会話の中にいる私ではあるけれども、とりあえず何がやばいのか教えて欲しいと思う。その言葉が意図しているこれから話したい話題が何なのかはわかる。「恋人がいないうちら当日何して過ごす、同志よ」が解答だ。街にカップルが溢れて、なんだか無性にきらきらして見えて、冬の寒さも相まって感情的になる。ああ辛い人肌が恋しいと四方八方から聞こえてくる。私はこれに全く共感ができないので本当に申し訳ない。むしろ幸せが街に溢れているから目の保養になる。世界の幸福度はクリスマス当日に最高潮になるとさえ思う。率先してクリスマスにシフトを入れるのは、一世一代のイベントに胸が高鳴った様子で楽しそうにしている人たちを見ることができるから。ケーキ屋でバイトをしていたときにはたくさんの幸せを分けて貰えたなと思い出した。
夏でも毎日湯船に浸かるほどお風呂が好きな私にとって、冬の寒さはお風呂に入る行為を最高のパフォーマンスまで持ちあげてくれると思っている。お風呂は浸かっても肩までとは思うけれど、突然「何かに包まれたい」と思ったときには湯船に潜っていた。冷えきって感触を失いつつあった鼻先がじんわりと溶けていき、急な温度の変化で耳先は少しピリピリする。鼻から息を出すと水面にぽこぽこと命の綱という名の酸素が目に見える。そろそろ酸素がなくなってきて、もう少しで息絶えるところで私は湯船から顔を出した。何かに包まれたいという思いを抱いたのはなぜだかよくわからない。水の中に息を潜めてみると、なんだか心が落ち着いた。寒いからあたたかさを求めているのか、これまた突然この世界から姿を消したくなるときがある。液体という膜を身に纏っている間は無敵の防備をしたみたいで心強い味方を手に入れた気になれる。そういう瞬間に人はあたたかさを感じるし、凝りきった心をようやく弛緩させられるのだ。
ある日、家の近くにある病院に行った。毎日の業務でコピーアンドペーストをし続けるように同じ文言で受付の人に待合室で待機するように言われる。角の椅子に腰を下ろしたとき、前に座っていた人の温もりが残っていて、「生きている人の体温はあたたかいな」と改めて思った。待っている間は特にやることもなく、こういうとき私は舐め回すように張り紙を読んだり内装を凝視する癖がある。目の前に傘立てが置いてあることに気づいた。張り紙がしてあり、それを読んでみると「命の取り違えが増えております」と書いてあった。
!?!?!?!?!?!?
混乱しながらもう一度読みなおすと「傘の取り違えが増えております」だった。ただの読み間違いでよかったと心から安堵した。”命の取り違え”だなんて物騒で恐ろしくて怖じ気づいてしまった。そのときには椅子に残っていた前の人の体温は全て消えてしまい、私をあたためてくれる存在がどこにもいなかった。
本屋に寄ったとき、70代ぐらいのおじいさんが赤本コーナーの前で赤本を立ち読みしていた。学校関連の人なのか、息子か孫のための視察なのか、はたまた自分の将来を求めに来たのか。いろんな想像を巡らせた。この年齢になっても、なったからこそ大学に入って学びたい、学び直したいと思っているのだろうか。そう考えると人生何でもありだなと思えてくる。あのおじいさんは、この先にある人生の中で暗いところを明るく照らしながら、寒さに凍える私にあたたかいお茶と毛布を渡してくれた救世主になった。あたたかさのお裾分け、いただきます。