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失ったり忘れたり
2025/2/7
幸せを噛み締めた日だった。
その幸せを噛み締めながら、また明日から頑張ろうと思うべきなんだろうけれど、本音に耳を傾けるとそうは思えなかった。
ずっとこの幸せが続けばいいのに、苦しいことはすべてまるめてぽいしたい。
久々に童心に返って公園で遊んだ。平日の朝の公園は人がいなくて、しんとしていて、ただ風の音だけがひゅーひゅーと耳の穴に届く。夕方になると公園は子どもたちの笑う声と話す声でいっぱいになると思うと、公園の遊具たちが今か今かと準備をしているかのように見えた。幼い頃に遊んでいた地元の公園とはまた違う遊具がたくさんあって、地球に生まれて21年目、心底わくわくが止まらなかった。4人乗りのシーソーにブランコ、ターザンロープなどなどを楽しんだ(一人じゃないです)。
年齢なんて見かけだけで、幸せを感じる指標は年齢に比例なんかしない。"大人らしく"とはかけ離れているけれど、忘れちゃいけないものが、ここにはあると信じてる。
2025/2/8
昨日の夜、脳内でいろんなことを考えすぎてしまい、ふてくされたように眠りについた。朝起きてもその余韻は無駄に続いていて、もうどこかへ放浪しようと出かけることにした。「本と活字館」に行ってきた。本を好きになってから、読むだけじゃなくてそれに関連することにも興味の幅が広がった。この展示では複数のメーカーが製造している紙が61種類あり、それぞれの材質や色味の違いを見たり触ったりできる。さらには、それらをまとめたノートも作れた。
活版印刷の歴史に触れると、今では当たり前のように大量生産されていることがとても素晴らしく思えてくるし、まさに革命。
お腹が空いてきたと思ったら12時を過ぎていた。まだ帰るつもりもなかったから、私の好きな街まで電車に揺られることにした。駅に着いてぶらついていると喫茶店を見つけた。休日なこともあってかなり賑わっていて、調べてみるとドラマの撮影でも使われていた喫茶店だとか。とても素敵な内装と装飾で、注文したナポリタンも珈琲も天を仰ぐほど美味しくて、思わず「ふはぁ」と声を洩らした。
まだまだ帰りたくなかった私は、河川敷の方まで歩いた。川、海、湖、滝などなど水への執着が強いのは心が浄化されるからだろうか。階段に腰掛けるおじいさんたちと横並びになるように座って、少年たちの草野球をぼーっと眺めていた。時折聞こえてくる電車が通り過ぎる音や広場で遊ぶ子どもたちの笑う声。時間の流れを感じなかった。飄々としていて数値的なもので表されるような流れがなくて、ここには不安も焦りもない。とりあえず、なぜか鳩が私の周りに群がってきたから逃げることにした。
肩が痛い。なぜなら、好き勝手放浪したあとにやるべきことをやるためにパソコンやらノートやらを持ち運んでいたから。肩に負荷をかけるこの荷物の重みはまるで原罪を背負っているみたいだった。大学へ向かい、少しは頑張ろうと思い行動した私には大きなまるに花を添えた答案用紙ぐらいの幸せを受け取る権利ぐらいあるはずだ。
なんだか今日一日の出来事が夢のよう。私は一体何を求めているのだろう。
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