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第14回「演出編③ 登場人物たち その1」~創作ノート~TARRYTOWNが上演されるまで

こんにちは!TARRYTOWN翻訳・訳詞・演出の中原和樹です。

第12回の創作ノートから演出編と題して、作品を創作する上での演出的な観点を書いています。

前回は作品全体にまつわるマクロな視点を書きましたので、今回はミクロな視点として、登場人物たちにスポットを当てていきたいと思います。


さっそくですが、僕の場合、最初に登場人物の性格みたいなものを分析することはあまりありません。
台本は何度も読んでいくのですが、まずはその人物の現在の生活に想いを馳せて読むことが多いです。

これは、第12回に書いた「戯曲を実在する一つの社会として読む」ということに近いです。


そのためには戯曲に書いてある「事実」をまず拾って、そこから想像力で「解釈」を広げていくのですが、「TARRYTOWN」の場合、事実を拾うとまずこんな感じになります。

【イカボッド】
・NYで仕事をしていた
・NYでドラッグ中毒になった
・NYから出て、タリータウンに来た
・タリータウンの高校で音楽を教える予定
・ゲイである

【ブロム】
・大学で歴史学教授をしている
・カトリーナと結婚している
・アメフトが好き
・カトリーナとの結婚生活に困難を抱えている

【カトリーナ】
・高校で校長秘書的な事務仕事をしている
・ブロムと結婚している
・NYへの憧れを持っている
・ブロムとの結婚生活に困難を抱えている

もっとたくさんありますが、例として。いくつか事実のみを拾ってみました

このときに重要なのが「その人物像をあまり決めつけないこと」だと思います。これには二つ理由があって、

①台本を読み進めていく過程や、稽古が進み俳優とのディスカッションを経ていく過程で、登場人物の像は変化していくものだから

②人間の感情・情感・状態を一面だけで切り取ることは難しい(かつ、一面だけにしない方が作品としても表現としてもベターな選択肢であることが多い)から

です。

具体的には、上記したような事実を抜き出す際(今後、事実抜きと記載します)に、なるべく機械的に、感情・情感的な情報としないことを心掛けています。

例えば「TARRYTOWN」ではブロムとカトリーナの結婚生活は一つの大きな核となりますが、これを事実抜きのときには

・結婚生活に困難を抱えている

と、いったん言っておきます。これを

・ブロムとカトリーナはお互いに憎しみあっている
・ブロムとカトリーナはお互いを鬱陶しく思っている

などと表現することも可能かもしれませんが、
そうすると登場人物の思考、感情などが入った表現となるので、必然的に登場人物がそう感じている/考えていることが規定されてしまいます。

そうなると、無意識に他の選択肢を排除してしまうことになるので、まずはなるべく機械的に抜き出す、というわけなのです。

そうして抜き出した「事実」は、稽古を経ても変化しない(不動である)ものなので、困った際・行き詰った際にはこの「事実」に戻るようにしています。



次に、登場人物の持っている要素に、質問を投げかけていきます。

【イカボッド】
・NYで仕事をしていた
 → どんな仕事? いつから? 音楽と関係ある?
・NYでドラッグ中毒になった
 → どうして? どれぐらいの期間苦しんでいた?
・NYから出て、タリータウンに来た
 → 何が決定打? 何を求めて? どうしてタリータウン?
  タリータウンをどう思ったか?
・タリータウンの高校で音楽を教える予定
 → 音楽はイカボッドにとってどんなもの? やりたいこと?
・ゲイである
 → いつから自覚があった? カミングアウトは?
  自分がゲイであることをどう思っている?

【ブロム】
・大学で歴史学教授をしている
 → いつから? 歴史学教授をしていることを自分でどう思っている?
  給料は? 学生はどんな学生?
・カトリーナと結婚している
 → 結婚に対してどう考えている? どうして結婚した?
・アメフトが好き
 → なぜ好き? どこが好き? いつから好き?
・カトリーナとの結婚生活に困難を抱えている
 → ブロムにとってどんな困難? いつから? 困難をどうしたいか?
   誰かに相談したことはあるのか?

【カトリーナ】
・高校で校長秘書的な事務仕事をしている
 → この仕事をどう思っている? 給料は? いつから?
・ブロムと結婚している
 → 結婚に対してどう考えている? どうして結婚した?
・NYへの憧れを持っている
 → なぜ好き? どこが好き? いつから好き?
・ブロムとの結婚生活に困難を抱えている
 → カトリーナにとってどんな困難? いつから?困難をどうしたいか?
   誰かに相談したことはあるのか?

質問まみれです

これは、質問群の答えを定める事が目的ではなく登場人物たちへの想像を広げていくための作業みたいなものです。なので、この質問はたくさんあればあるほど良いかと思います。個人的な見解ですが、お芝居の引き出しが多い俳優だったり、アイディアが豊富な俳優やスタッフは、この質問(つまり台本を読む観点/角度と言い換えてもいいかもしれません)が豊富であるように感じます。

この回答の答えは台本に書いてないものです。
しかし、回答のヒントは台本に書いてあるものです。

台本に書いてあること(事実)から想像・解釈をして、その事実という種を育て咲かせていくということが、登場人物を創り上げていくということでもあるのかなと思います。その育て方は、与える質問とそこに想定する回答によって多様に変わり、結果として咲く花も変化します。

回答は稽古途中で変わることも多々ありますし、出演者とのディスカッションで、演出家と出演者、もしくは出演者同士で違う回答を持っていることもたくさんあります。

そもそもの質問自体が違うこともありますし、そういった考え方が出来るんだ!というお互いの発見があるのも、お互いに違う観点で登場人物への質問を持っているからです。

だからこそ、回答を定め切らずに、それでも演出家としての方向性を打ち出すために核となる部分の自分の確信は持っておく。
そういったバランスが、作品創作のスタートの段階で必要になってくるように思いますし、そこに自分の演出家としてのスタンスがあるように思います。

そして、今回のプロダクションで/今回の演出で/そして今回の出演者で、
登場人物がどう育ち、咲くのか、それが一つの演劇の至上の楽しみでもあるように僕は思います。



今回は登場人物への考え方の一端を書きましたが、
次回は引き続き登場人物にスポットを当てて、
質問群への回答をどう定めていくかの指標として
・人物の行動の特徴を考える
・楽曲を登場人物との関係で考える
といったことを書いていこうと思います。

お読みいただきありがとうございました。

中原和樹

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