「標準」の話
正直に言うと私は地元が嫌いだ。
浜松が嫌いだ。
音楽の街として、商工業の街としての浜松は好きだが、居住地としての浜松は嫌いだ。
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私には姉が2人いる。
そのうち2番目の姉と話をする機会があったのだが、姉の知り合い(大阪出身、浜松在住)がこんな事を言ったらしい
「浜松は市民性として『アベレージ』を求める傾向にある。正社員、既婚者、持ち家等々、結婚願望が無かったり、クリエイターとなってフリーランスでやりたい人にとっては地獄だね。皆が白といったものを黒と言えば袋叩きに合う。アベレージがいいという人にとっては居心地は最高だろうけど、所謂マイノリティには本当に厳しい街だよ。」
これは浜松に限らず全国的にそうだろう。
世の中は均質化を求める、勤労、納税、教育の義務を果たすには異端児は邪魔者でしかない。
教育において大人達はより均質な、アベレージの存在たる人材を作り上げていく。
大人達が言うところの「普通」を、過ぎた言い方をすれば洗脳していくのだ。
そこから漏れた人達は異端児だ。更生または排除の対象となる。
大人達はいわば日本の最盛期を支えた方々だ。
その事に異論はないし敬意を表するのは当然のことながら。
ではその時代に通用した思想を今植え付けるのはなんだか違う気がする。
正月に実家に帰省した。
親戚回りをしているなかで、親戚のおじさんから「昇進したいと思わんのか?」と聞かれた。
「自らスキルアップして結果的に昇進するならいいが、所謂出世欲のようなものはない」
と答えたら
「は?狂ってる」
と言われた。
穏やかな言い方をしよう。
ぶん殴ろうかと思った。
終身雇用、年功序列の制度は崩壊しつつある。
高度経済成長期のような「頑張れば頑張るだけ待遇や世の中が良くなる」実感は今となっては得にくい。
中小企業がバタバタ倒産する中で、いま所属する企業がいつまで続くかもわからない。
そんな今の時代では目指すべきは肩書ではなく自らのスキルアップだと思っていた。
それがただ一言「狂ってる」
だから嫌いなんだ。