デジカメで天文現象の撮影はどこまで可能?その1

Tarregaguitarです。芸術とは直接関係のない話ですが・・・・・。音楽という芸術を志す者、自然科学に興味を持っても不思議ではないとは思います。古代ギリシャ時代のピタゴラスという人の名前をご存知の方も多いと思います。哲学者・音楽家・天文学者ですね。音楽では、ピタゴラス音階というのが有名です。

音階とか和声を考えると、ちょっと理屈っぽい話ですが、ギターは面白い楽器です。理論的に作られているようにみえて、そうでないところもある。弦の長さの半分のところである中央部分を左手の指で押さえて、つまり、弦長が半分になる部分、具体的には12番目のフレットを押さえて、右手の指ではじくと元の音より一オクターブ高い音がでます。感覚的に理解できますね。そして、通常は6本絃がありますが、それぞれの調弦をどう行うかで、楽器の鳴り方も大きく違ってきます。木のネックに金属製のフレットが打ち込まれていますが、この場所は理論的に考えると「平均律」に従って決められた場所であって「純正律」に合わせて作ると大変なことに・・・?実際には純正律で作ることは不可能ですけどね。音楽の可能性を純正律のみで考えると限界があって、天才バッハの平均律クラヴィ―ア曲集が生まれたのも、音楽史を考えると、非常に意味のあることなのでしょう。一つ一つの音を別々に調律したピアノなど鍵盤楽器と弦楽器であるギターは根本的に違います。ただ、フレットを加えることで平均律的要素を取り入れているような感じがします。でも完全ではない。私のような不完全でいい加減な性格を持ち合わせている人間にぴったり合っているのかもしれません。

話題を元に戻して、天文学のお話です。
天文現象でいう「食」とは、英語では、ECLIPSEと言います。語源をみると、ギリシャ語の天体の消滅ekleipsisからきていて、いなくなるekleipo、と、ことsisというふたつの意味からできています。いわゆる「食べる」ということを連想させる、FOODとかDIETではありませんが、太陽や月、恒星・惑星が隠される様を、まるで食べられるかのようにみえる、として表現した言葉としてぴったりですね。

日食を自分の眼で観察するということは、物心ついた小学生の頃からの夢でした。しかし、身体全体で変化を感じる現象だとは思っていませんでした。

日食というのはSOLAR ECLIPSEといって太陽が月によって覆われ、太陽が欠けて見えること、あるいは全く見えなくなったりする現象のことです。月食LUNAR ECLIPSEは、通常、太陽の光を反射して光っている月に対して、地球が太陽と月の間に入り、地球の影が月にかかることによって月が欠けて見える現象のことです。月食は日食に比べて起こる確率が高くてなじみのある現象です。

これまで、部分的に太陽が欠けて見える部分食は何度か見たことがありますが、全部が覆われる日食は見たことはありませんでした。太陽全体が覆われると皆既日食、円の外周が残るように一部を隠し切れない場合が金環日食、若しくは金環食として名前がつけられています。太陽の光は強いので、金環食では皆既食でみられる太陽から噴き出すコロナが見えないとは聞いていました。部分食は、アメリカにいたころも一度見たことがあります。1991年7月だったのを記憶しています。その時、皆既日食がみられたのはメキシコでしたので、アメリカでも南部のルイジアナは、同じアメリカでも北部よりかなり欠け方が大きく、ピーク時には半分以上欠けていたように思いました。ルイジアナは暑いところですから、日中に日食があったことでもあり、半分も欠けると、あたりが暗く急に涼しくなり、そこは独特のバーユーと呼ばれるスワンプ(湖沼地帯)や森林が多いルイジアナのこと、自然界に生息している動物が鳴き出したのをはっきり覚えています。異様な雰囲気でした。天文学の知識もない昔の人が、この場に遭遇すると不吉な天変地異の現象ととらえても不思議ではないですね。

東京の金環食は朝から始まって午前中には終わっていましたので、そういった環境の変化はあまり感じませんでした。若干暗くなったかな、程度でした。だから、デジカメで撮影していても、ああ撮れるじゃん的な感覚でした。これら連続写真の記録は一般的な天文雑誌にあるような表現方法でお見せしていますが、詳細なデータは割愛しました。元ファイルをみれば、いわゆるタイムスタンプを見ればわかります。

地方から上京して、小学校のころから読んでいた(正確にはみていた)、百科事典の第一巻「宇宙」の中に、日本でみられるこれからの日食の中で、西暦2000年を過ぎて東京で金環食を見ることが出来るとあったので、それほど先の話、東京か、一生見ることが出来ないだろうな、という他人事な感覚でした。この頃からです。私の天文に関する興味がわいてきたのは。また、忘れもしない、月に人類が到達した時に、あの月面からのテレビ生中継を家でみていたこと、それより5年さかのぼると、前回の東京オリンピック開会式。小学校一年生の時、学校の図書室で1台の小さいテレビを前にしてみんなと一緒に生中継で見ていたことを思い出しました。幼少期のなつかしい想い出ですね。

時は日本の高度成長期で、私の小学校・中学校時代の想い出の中で、もう一つ大きなイベントがありました。それは大阪万博(1970年開催)。アポロ計画で月に人類が到達して(1969年)、持ち帰った「月の石」なるものが展示されるというので、一生に一度あるかないかのチャンスだという訳で、行きました。アメリカ館の前で、待ち時間2時間以上の長蛇の列でしたので、春はあきらめ、夏休みで行ったときに初めて見ました(私は幸運にも春と夏二回、万博に行くことが出来ましたので)。石といっても本当にただのちっぽけな石ですが、スポットライトを浴びて仰々しく輝いていたのをみて、この石を手に入れるためにどれだけの人が犠牲になり、計りしえない大金がつぎ込まれてきたんだろう、と思いました。

この展示も、大気圏突入で底が黒焦げになったアポロ11号司令船の展示と共に二度とは見ることないだろうと思っていましたが20年後の1990年にヒューストンのNASA博物館で再会したのでした。
(この話、二話に続く・・・)

二話:デジカメで天文現象の撮影はどこまで可能?-2

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