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私は無責任だ。
でも、前回とても大切なことを書き忘れたので、最後にお伝えします。
僕はこれまで、文章を書くことを避けてきていた。
先日のnote「デザインするって、どういうことだと思う?」は、その日に会った出来事からの勢いで、うっかり書いてしまったのだ。
しかしその結果、少なくない反響をいただき、一面では良かったのかなと思いつつ、半面、本当に良かったのかなぁとも思っている。
文章を書いてこなかった理由は、物書きでないし、そもそも僕が人に物事を教えられるような聖人ではないからだ。そしてもっと言えば、伝えたいものがあるのであれば、絵で表現するというのが僕の立場だ。
本当に良かったのかなぁと思う理由は、そんな僕の拙い文章によって、大小かかわらず、読んでくださった方の人生に刺激をしてしまっていたとしたら大ごとであり、それらの全てと彼らのその後の人生に応えられることなど、僕には到底不可能だからだ。
僕は物書きではないが、言葉の持つ力は猛烈だと思っている。だからこそ言葉選びに慎重になろうと思っているし、その結果、文章を書くことを避けてきたのだ。
お気づきかもしれないが、自分で言うのもなんだが、僕は責任感はある方だ(それもかなり)。
小学生時代、中学生時代と通信簿の担任からの通信欄に「真面目で責任感のある…」と書かれ続け、おそらく大人になってから僕と出会った方々も、僕のことをなんだか訳のわからない名前と職業だが、責任感はあるようだと思ってくれているのではと思っている。
この度も、noteの記事がオススメとしてnote事務局から紹介していただき、うわぁ、いいね!ってこんなに貰えるんだぁ、なんて浮かれつつも、しっかり読んでくださった方のコメントやメッセージに、責任感で何か応えねば!と思いながら、その質量に全ては応えきれないぞとも思い、アワアワするのみなのである。
私は無責任だ。
否、責任感はあるが、だらしは、ないのである。
そのような理由で、この場を借りて、僕のnote「デザインするって、どういうことだと思う?」を読んでくださった方皆さまに、感謝申し上げます。もし、受けた刺激がポジティブなものであったら、こんなに嬉しいことはありません。
そして、最後に、伝え忘れたとても大切なこと。
物事を判断するということは、その判断に責任を持つということだ。
責任のない判断は、積み重ならない。
だから無責任に生きることは本当に難しいのだなぁ。
いつか、私は無責任だ、と言える域に達したい。
ありがとうございます