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タロットのスピリチュアルな側面を知ることのみに興味があった初期の頃はリーディングはあまりやりたくなかった。今でも“当たる占い“という言葉に意味を見出せない。損失を回避することが魂の目的だとは、さすがにもう思わない。利己的な欲望を抱くことはよくある。


私自身、人にセッションしてもらうことにあまり意味を感じない射手っ子気質がある。困ったときは本を読んだ。私にとってのバイブルを。他者に興味はあるが深入りしたくない心理もあった。


それでもずっとリーディングを続けてきた。場所を変えながら。そうしたらリーディングそのものが楽しくなった。タロットカードの連携が自分の体に浸透してくるような感覚を覚えた。タロットを自身の地肉にするには、他者が必要だと思う。それが誰かへのリーディングである必要はない。


初期の頃、タロットを学ぶことは宇宙の壮大な音楽を聴いてるような快感があった。

『快楽のもっとも崇高な形が美である』
アレハンドロ・ホドロフスキー


快楽を通じて美に昇華する。世界を美しく見たい。そういう目を開きたい。

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