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映画『怪物』を観たLGBTQ当事者のごく個人的な感想

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このnoteは、映画『怪物』の核心部分に触れています。まだ観ていない方はご注意ください。あとあまり好意的な感想を言っていないので、見たくない人もお気をつけください。
たしかにおもしろかったし
観たあとにこれだけ考えられる、考えたくなる作品って多くあるわけじゃないと思う、思うけど……って感じの話です。
分析というよりはただの感想です。
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久しぶりに映画を観に行った。
前に観に行ったのはコナンが公開された時だったから、というより最近では毎年コナンを観に行くだけになってしまっていた。

心にぐっと重くのしかかるような作品も観られなくなってきて、気になる映画があっても、なかなかいざ観に行くまでには至らなかった。

だけど今回、久しぶりに彼女と一緒に重い腰が上がった。

SNSで話題になっていたからだ。

それこそ、コナンを観に行った時に宣伝が流れて初めて『怪物』という映画が公開されることを知った。

綺麗な映像に音楽、
是枝裕和、坂元裕二と並んだ名前に
最後、坂本龍一と続いた。
思わず彼女と顔を見合わせた。
「これは見なければ!」という顔だ。

だけどそのあとの、
子どもの声で放たれる「怪物だーれだ」の一言で
一気にその気持ちは冷めた。
ホラーは苦手だった。

それまでの綺麗な風景や音楽が、一気に恐ろしく感じられた。

せっかく、こんなメンバーが揃ってるのに……と。
一度は観るのを諦めた映画だった。


ところがその後、この作品がカンヌ国際映画祭でクィア・パルム賞と脚本賞(坂元裕二氏)を受賞したことで、その考えがさらに変わった。

クィア・パルム賞を獲ったのである。
あの宣伝から思い描いていたストーリーとは、どうやらまったく違うようだと気づき始めた。
人の内面のこわさであれば、観ることができるかもしれない。

しかも、それがどうやら主人公の少年がゲイであることが、ストーリーの鍵になっているようだ。どういうことなんだろう。

わたしと彼女は、あえて、先に観た方々の感想を読んでから観に行った。
自分が当事者であるからか、SNSではLGBTQ側の意見を目にすることの方が多かった。
その多くは、憤っていた。
だからこそ、やっぱりこれはちゃんと自分の目で、映画館で見なくてはいけないと、珍しく固い決心で映画館へと向かった。


本編が終わり、エンドロールが流れても、
わたしたちはしばらく立ち上がれなかった。

幸いフードコートが近くにある映画館だったので、
場所を移してわたしたちは話し出した。ずっと話していた。フードコートでも、終電を気にする時間になってきて渋々乗り込んだ帰りの電車でも、お風呂の中でも。彼女とずっと話していた。その時の勢いにまかせてInstagramに感想も書いた。
だけど、あれから半月ぐらいが経ってもまだ考えてる。だから、もう一度言葉にしてみようと思って、noteを書き出した。

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わたしはまず、どうしても、
最後のシーンが受け入れられなかった。
映像も、音楽も、たしかに美しい。
多くの人にとって、あのシーンが、あの映画を傑作たらしめているであろうこともわかりながらも、
美しく作られているからこそ、美しさで片付けないでほしいとも思った。

絶対に泣いてやるもんかと思った。

だって、あの子たちはこれからどうするの?

正直なところ、まだそこなのか、とも思った。
SNSで感想を読みながら、
是枝さんや坂元さんは、一体どんなラストを持ってくるんだろうと思っていた。

あの絵面が持つパワーはたしかに凄かったけど、
じゃあ現実にいる、“あの子たち”はどうしたらいいの?とも思った。

そしてあの曖昧な、これはクィアの子どもたちの物語だと明言しない感じも、とても違和感を持った。
ただ、描かれたのが小学生だからこそ、自分が同性を好きであることや、性自認がはっきりとしてるかというとそれは疑問。

自分のことを思い出してみても、
たしかに小学校にあがる前や小学生の時に、同性への恋心のような感情があったけど、それは当時自覚していたものというよりは、あとになって、やっぱりあれは恋だったんだなと思うようなそういうものだった。

わたしの場合は、男の子のことを同性だと思い込んでいた時期もあったから、むしろ男の子への友情のような信頼のような意味を込めて抱きついてちょっとした騒ぎになったこともあった。

同性への恋と言っても、
それが本当に同性としてなのか
(見えている性別は違っても)異性としてなのか
そういう性自認の問題も関わってくる。

小中高大と、年齢を重ねながら、時に誰かを傷つけながら、自分も傷つきながら、はたして自分は何であるかと考える時間が長いことあった。

だって、前提がちがうから。
“当たり前”だと言われている異性同士の恋愛ではなかったから。何度も何度も、本当に“普通”ではないのか?と考えた。

だからこそ、この作品はクィアの物語であると断言してほしかった。
ここをネタバレしてしまったからと言って、作品の価値が下がることはないと思うのに。

SNSでつぶやいていた人もいたが、
公開された6月はプライド月間だ。
宣伝の仕方はいくらでもあったはずなのに、と思ってしまう。

もうすこし丁寧に、
クィアの物語と、マイノリティと、向き合えたはずなのに。
あと個人的には、星川くんと女の子との関係性も、
もうすこし描いてほしかった。


そして、本当にあのものがたりは最後子どもたちだけにしてしまう必要があったのだろうか?

たしかに、湊くんのお母さんも、保利先生も、偏った考えだったりを持ってるんだけど、でも、映画の中で、少しずつ、自分が見えている世界が完璧ではないということに、ふたりとも気づいていたんじゃないかとも思う。

(だからこそ、あの映画全体でキャラクターに一貫性がなさすぎることも気になった。人の多面性を描いた作品であることはわかっていながらも、さすがにこれはその人を保てていないのではとも感じた。)

どうしても、湊くんとお母さんが、星川くんの家に星川くんを助けに行くという展開は、起こり得なかったんだろうか。

(小学生の男の子の、母との関係性の難しさは、自分では想像のつかない部分もあるのだけど。自分はどちらかというともうお母さんに近い年齢だろうから、やっぱり見えていない部分もある気がするけど。)

だけど子どもの時に、自分は親に助けを求められたかと聞かれるとそうではなかったから、なんとも難しくはある。

そして、星川くんのお父さんは、アル中である必要があったのだろうか。(その設定は、星川くんが「病気」であるという発言を弱いものにしてしまっている気もする。お父さんが本当にそう信じているんだとしたら、アルコールに溺れてなんかいなくて、素面のままでそう思っていた方が、より怖い。そういう人って、結構いるよね。)(あと「病気」だとしたら、どうして星川くんにあの服を着せていたのだろう。)(いやそれとも、あのアル中は、星川くんの「病気」とまっすぐに向き合えなかったが故なのか?)


わたしはここ何年か、
政治家のわけのわからない発言や悲しい発言を耳にしながらも、
自分が子どもだった頃に比べてずいぶんと世の中が変わったような気がしていた。

だけどそれは、周りにいてくれる人たちに恵まれているだけで、本当はまだそこまで世の中は変わってないのかもしれないと思った。
自分が、居心地のいい場所を選べる大人になったから、楽になっているだけなのかもしれない。

湊くんや星川くんの世界は、自分の力だけでは選べない。

だからこそ、あのラストの美しさと力強さと音楽が必要だったのかもしれないとも思う。
でもそれじゃあ、現実になんにも解決策がないみたいだ。あれを当事者の子どもたちが見たらどう思うんだろう。あの子たちが現実にいることを、もっともっと考えないといけない。

ラストに近いシーンで校長先生が湊くんに言った、「誰にでも手に入るものを幸せって言うの」というセリフは、どういう意味だったんだろう。

湊くんと星川くんの幸せは、「誰にでも手に入るもの」だろうか?そうではない世の中への、皮肉めいたセリフなのだろうか。


あと、少しセリフが聞き取りづらい部分があったのが、ちょっと残念だった。わたしは補聴器をつけているけど、よく聞こえる彼女でも聞き取りづらかったと言っていた。しかも結構大事なシーンだった。
いつか、テレビで公開される時が来たら、字幕付きでもう一度観たい。


そしてなにより、
もっともっとLGBTQやマイノリティ側を描く作品が増えてほしいし、
女性の脚本家や監督の描くストーリーも観てみたい。
女性同士の話も増えてほしいし、人生のさまざまな年齢の話を観たい。

『怪物』だけがもてはやされることなく、
もっと多くの作品があって語られるような状況になったら、もっといいのになと思う。

そしていつか、『怪物』で描かれたようなストーリーが、あんなこともあったんだね昔は、と語られるようなそんな存在になったらいい。


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noteにするから、一応まとめたつもり(これでも)だけど、この作品は考えれば考えるほど、いやこうかもといろいろな考えが浮かぶ。文中に( )で書いた部分は、自分でもどんどん浮かぶ、どういうことだろうをできるだけ書き残すようにした。これは、何か一つに断言できるような話じゃないから。

話す人によってまったく違う視点が見えてきたり、違う作品のように感じることもある。まさしく、この映画のテーマそのものだと思うと、作品のすごさも感じる。

だけど違和感が残ることもいくつも出てくるから、たぶんまだまだずっと、いろんな人を捕まえては、書ける場所を探しては、言い続けるんだろうと思う。


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