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会議が嫌いだった

なんの構成もなく思いついたことを書く。あくまでも文章を書くことに慣れるための投稿で、読む人にとっては有益ではない。だが自分にとっては新たな気づきがあるかもしれない。

会社員時代の話。
自分は会議というものが嫌いだった。
なぜかというと人前で報告するのが苦手だったからだ。
話すのは好きだ。だが報告するのが嫌だったのだ。あらかじめ作った資料に間違いはないか、変なことを言ってはいけないだとか、上手く説明できなかったらどうしようとか、余計なことを考えるのが非常にストレスだった。
説明後、周囲から厳しい突っ込みとか、批判をされると何も言えなくなってしまう。たいてい上司や先輩社員がそうやって吊るし上げるのだが、大体枝葉末節的などうでもいいことに揚げ足を取る。
それでいて、建設的な意見はほとんど出ない。一通り個人攻撃が終わると静かな時間が流れる。みんな自分が変なことを言って、突っ込まれたくないから黙っているのだ。

自分は色んな会社を転籍してきたが、会議についていえばほぼ同じパターンだ。話す人は決まっている。そこに賛成も反対もない。話を聞いているのかいないのかも判断できない。
みんな、とにかく突っ込まれたくない。だから一生懸命理論武装して会議に臨む。
一体何のための会議か。みんな貴重な時間を割いて集まっているのに、全く本末転倒でしかない。
情報交換の場だとか意見交換の場だとかいうが現実と乖離している。意思決定はトップダウンで決まるので、そもそも意見交換もへったくれもない。
毎週定例会議と称して社員全員を会議室に集めて、業務の進捗状況を確認していた会社もあった。なんの全体主義国家だ。

今思うと自分はみんなでワイワイ意見を出し合うというやり方に、違和感ばかり覚えていた。自分で考え、自分で結論を出し行動する。間違っていたら信頼できる人に意見を求める。ていうか、問題が起こったらもちろん報告相談しますよ。当たり前じゃないですか。

だから形式上の会議はいらない。本当にムダだと思っている。業務の進捗状況?そんなもの必要なときに上司にでも簡潔に報告すればよろしい。残念ながらどこの会社の上司もたいてい自己顕示欲の強いアホばっかりだったので報告しても、適切な指示も出なかったが。

まあそういうことを感じていたので、自分はつくづく会社という組織になじめず、会社員に向いていなかったんだなと思う。

Web2.0だのWeb3.0だの言っている時代に、会議だの報連相だの日報だの化石みたいなことに今もこだわっているのが笑う。

自分は訳あって今無職の身だが、もう会社員に戻る気はない。
後ろ向き満載の形だけの会議をしている、カイシャというところに未来を感じない。
と、いう社会不適合者のひとり語りでした。

あースッキリした。

本日はこれまで。


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