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わたしのお墓の前で泣かないでください
「鬼灯(ほおずき)の空洞に、亡くなった人の魂が宿るらしいの」。実母はそう言って居間に鬼灯を飾った。
昨年7月に母方の祖父、その後を追うように同9月に祖母が他界した。
当時 妊娠後期に差し掛かり長距離移動を控えていた私は、どちらの葬儀にも出席することができないまま今に至る。身内が他界したことが初めてだった私にとって、相応のショックはあるものの亡骸を見ていないがためにまだどこかに祖父と祖母がいるのではないかという錯覚があることも否めない。
せめてお墓参りをすれば実感がわくだろうか。初盆を迎えるに至って、改めて死への向き合い方を考えていたところで新型コロナウイルスによる移動自粛。国がGo Toトラベルと掲げても、0才の子を連れて福岡から東北に移動するのはやはり気が引けた。
浄土真宗だった祖父母の葬儀ではこんなことを言われたそうだ。
「お盆の時期にご先祖様が帰ってくるといいますが、浄土真宗では違います。なぜなら、南無阿弥陀仏と唱えればいつもあなたのそばにいるからです。お墓にはいません、あなたと共に居ります」と。
葬儀に出席した弟からの伝聞なので厳密にはニュアンスが異なっている部分があるかもしれないが、私としては好きな考え方だった。
“会える”のはお盆の3泊4日だけではない、いつもそばに。霊感などはないが、心強い教えだと思った。もしかすると亡き人と不仲だった人にとっては夏のお盆に3泊4日で魂が帰ってくればそれでヨシと思う人もいるかもしれないが。
墓の掃除は東北の親族に頼み、実家で手を合わせることにした。
とはいえ、実家に仏壇は無い。そのため、リビングの一角に遺影と花を飾ったシンプルな手作り祭壇に小さく線香をあげ、手を合わせた。
お坊さんがお経をあげてくれるというお盆を過ごしてみたかった気もするが、新型コロナが落ち着いていれば来年ゆっくりと考えればいいと思うことにする。
少しずつ祖父母の死を理解しようとする私にとって、私が好きだと思った死生観や考え方を最後に箇条書きでご紹介して終わろうと思う。
〇メキシコ 死者の祭り
ディズニー映画『リメンバーミー』でその存在を知った。
「死者の祭りの期間、祭壇に写真が飾ってあると その死者は現世に帰ってくることができる」という考えに感銘を受け、2015年に他界した愛犬アレックスの写真を大事に飾っている。忘れられてしまうことが第二の死だと教えてくれた映画に感謝したい。
〇「俱会一処(くえいっしょ)」
この世で別々になくなっても、あの世でまた会えるという教え。大事な人にまた会える日まで、胸張って生きていきたい。
〇思い出した気持ちの数だけあの世に花が積もる
Twitterで見かけた話。140字で涙が止まらない。
どこで読んだか覚えていないのだけれど、なくなったひとのことをこの世の誰かが思いだすと、天国みたいな遠い場所でその人のまわりに綺麗な花が降ってくるというのがあって、なくなった人たち、犬も猫も、を思いだすたびに私のなかでは彼ら彼女らが座る場所の周囲に綺麗な花が音なく降り積もる
— 佐々木禎子 (@cheb1988) June 9, 2020
なくなったひとのことをこの世の誰かが思いだすと、天国みたいな遠い場所でその人のまわりに綺麗な花が降ってくるというのがあって、なくなった人たち、犬も猫も、を思いだすたびに私のなかでは彼ら彼女らが座る場所の周囲に綺麗な花が音なく降り積もる
来月で祖母が他界して1年になる。
私のペースで焦らず死を受け止めていきたい。
2020/08/15 こさい たろ
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