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小説は劇薬

久々に書きたい気分になったので書いてみる。

5年ほど前に自分の書いていた文章を一通り見返したがいい文章だった。
なんか読みやすいし、自分が書いてるから当たり前だけど共感できた。
と言いつつ今の自分の考えと違ったり、恥ずかしいと思ったものは削除してたら8本中7本削除していた。残っている1本も締めが癪だけど考えは今でも変わらないし許した。5年も経てば環境も考えも変わる。

というわけで、きっとまたに5年後に読み返して消す文章を書いてみる。

なんで書こうと思ったか、昨日の晩久々に小説を読んだから。
ただいま絶賛休職中の自分は暇で仕方なく、色んな事に手を出しては甘噛みしてやめている。色々何をしたかはまた今度書きたい。

昨日の夜はふと、買って読んでない小説が目に入ったので読んでみた。
江國香織の「ぬるい眠り」という短編集を読んだ。
面白かった。この人の小説は恋愛ものが多いけど女性がみんなどこか狂っていながらも魅力的で、話全体は共感できたり入り込めるのが面白い。

ただ自分にとって小説は劇薬でもある。
自分で言うのは恥ずかしいのは承知で、たぶん人より感受性が強い。
だから小説を読むと色んな感情や状況を必要以上に受け取って登場人物並みにくらってしまう。
物語では長期間の出来事を数時間で一気に浴びるので、いつも読後にしんどくなってる。原液ジュースを一気飲みしてる感じ。胃にぐっとくる。

(小学生の時に通るファンタジー小説を除いて)小説を読み始めたときは中学3年生の12月なのを覚えている。
当時、高校受験にむけて受験校の赤本を解いていたときに現代文の問題で引用されてた朝井リョウの「桐島部活やめるってよ」の一部に衝撃を受けた。

今はもう断片的にしか覚えてないが、登場人物のある男の子がぐちゃぐちゃの感情に対して「考えに蓋をした」という表現が当時の自分に妙に刺さったのを覚えている。

それから高校卒業まで朝井リョウの作品をすべて読んだ。
小説だと登場人物の思考が見える。
当時なにも考えずに生きていた自分にとって、「こんなにも周りの人は色々考えて生きているのか。。」と思いながら読んでいた。
それで真似して自分も日常の中で思考して生きるようになった。

正直真似する対象はよくなかった。朝井リョウの小説に出てくる人物はどこか捻くれたものばっかりでその思想から存分に影響を受けてしまった。
そこに高校時代の大失恋と深夜ラジオにどっぷり生活だったので大捻くれ人間が完成していた。これで暗黒大学時代に突入していく。

そんなこともあり今ではあまり小説を読まない。
でも、たまに読むとちゃんとしんどくなりながらも他では得れない体験を与えてくれるので用法・用量を守っていいペースで付き合っていきたい。

そういう関係の友達っているよねー。

書こうと思ったこと書けてない気がするな。
次回からはちゃんとテーマを持って書きます。

あ、そういえば大失恋に朝井リョウ何冊か貸したままだ。

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