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「TOKYO2020」で熱かった2021年 ①


7月後半から9月頭までの約2ヶ月、TOKYO2020の大会ボランティア、Field Cast としてオリンピックパラリンピックを「一緒に作る」側として関わりました。


2013年
当時大学3年生の時にオリンピックの東京招致が決まる。
その時に呟いてたのがこれ。


外国語大学に通ってたり海外に行くことも多かった僕にとって、オリンピックという国際的なイベントに関われるのは一生に一度あるかないか。と思った僕は、何かしら(ボランティアだろうと言うのはイメージしてた。)でオリンピックに関わる。というのを決めた。

ボランティア募集始めたのが確か2018年頃。まだ前職でバリバリ働いてたので、なかなか合わない日程をどうにか合わせて大阪までオリエンテーションに行ったのを覚えている。

2019年
神奈川の実家に帰省していた時に東京に行って研修を受けました。ユニフォームのサイズ合わせにも行ったかな。

2020年
コロナウイルスが蔓延。オリンピックが1年延期ということになった。休職期間にボランティアしたら会社にも迷惑かけず…とも思ってたが、計画が狂ってしまった。でも「辞める」という選択肢はなかった。

2021年
いよいよオリンピックまで目前。となっていたが、ずっとやるかどうか迷っていた。緊急事態宣言やまん延防止措置がずっと出されてる中で果たしてオリンピックはやるのか……という不安があったから。モチベーションは正直ずっと下がったばかりだった。

6月
そろそろやるかやらないか決めないといけない。やるなら職場にも相談しないといけないし、ユニフォームも取りに行かないといけないからだ。
「オリンピックをテレビで見て、やれば良かったと思うのは嫌だ。」
後悔したって2度とそのチャンスはやってこない。だからやる。

ユニフォームを取りに行き、職場にも「ボランティアやるので8月から9月の長期休みをください。」とお願いし、ボランティアすることを決めた。

7月 
いよいよオリンピック、そしてボランティアが始まる。正直まだ不安はあった。出来るかどうか、というより理不尽なことがあるかもしれないことに。
物騒な事件もあったし、ボランティアのユニフォームを着てるせいで、「なんでオリンピックボランティアなんかやるんだ!」と反対派の人間に襲われるんじゃないか。とか考えてしまった。でも「後悔はしたくない」。この想いで東京に向かった。


オリンピックに至るまでが少し長くなったので、後半に続きます…



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