見出し画像

9/23東京ビッグサイト☆Jgarden56  参加決定!ジャンル執着・新刊「大嫌いなヤツ」で参加します!試し読みあり☆

こんにちはたろまろです。本日は新刊「大嫌いなヤツ」の試し読みをご用意いたしましたので、お楽しみください。

 第一章 大嫌いなヤツ
◇第一話 出会いの思い出

 ホワイトボード上の大きな紙に、店長が赤マジックで「1」「2」「3」と数字を書き込んで振り返った。
 満面の笑みだ。
「先月の総売上一位は江上えのうえ君。おめでとう! 江上君はこれで六ヶ月連続一位。素晴らしい! 二位はこちらも先々月と同じ、須藤君! 三位は……」
  拍手の中、江上に続き頭を下げる。
 今月の差は一件。そう、たったの一件だ。
 店長の叱咤激励のあと、皆が各々のデスクへ戻りため息を零す。その中に俺もいた。
 連続二位の売り上げ。聞こえはいいかもしれない。
 でも俺は、なにひとつおもしろくない。
 月初めの朝礼で毎回行われる成績発表。
 棒グラフは総売上を示している。
 新車の契約に加え、点検費、修理費、保険、カード契約……。そのトータル売上でまたもや負けてしまった。ノルマであるラインを軽く超えて黄色の帯を立てにグングン伸ばしているのは俺の同期にして、唯一のライバル。
 一位と表されたライバルの名前を見据える。
 江上琴允。
 この男の名前はエガミじゃない。エノウエ。コトミツじゃなく、コトミだ。
 朝礼が終わった途端、誰かの携帯が鳴った。江上だ。

「おはようございます。レッツカーサービスの江上です。はい。おはようございます、原田様。いつもお世話になっております。お車の調子はいかがでしょうか。はい、はい。左様でございますか。……はい。はい。ありがとうございます。いつもお声を掛けていただいて……いえいえ。はい。承知いたしました。ご予算や、ご希望の車種などございますか?」
 早くも景気のいい電話だ。
 原田とは、自社ビルを持っている原田商店の原田社長のことだろう。また新車に買い換える話しか。
 ほどなく店の電話も次々に鳴り始める。慌ただしく鳴る電話の内容はおもに車の点検。俺はそんな中、手帳を開きこれからの予定の確認した。
 十時一発目から、点検の予約が入ってる。すぐに引き取りに向かわないといけない。整備工場搬入後は俺だって確実な商談の予定が入っている。その後も夕方まで出ずっぱり。すでにビッシリと約束が入ってる。先手必勝。抜かりはない。
 ……今月こそ絶対負けないっ。
 江上は携帯をデスクへ置くと、パソコンに向かって猛烈な勢いでキーを叩いてる。そこへセルフサービスのはずのコーヒーをそっと置く鈴宮さん。俺のひとつ下で、今年二十四歳になる。今ブレイク中の女優、岩見さとみ似のとても可愛い事務員さんだ。
「どうぞ」
「あ、ありがとうございます」
 江上は鈴宮さんを見上げ、穏やかに微笑んで礼を言った。
 江上は腰が低い。鈴宮さんが後輩でも関係ない。そういうところがまた女子ウケのポイントらしい。いや、認めるよ。ヤツはビジュアルもいいし、成績もいい。モテて当然なんだよ。
 フーッと一息つき、気を取り直す。
 手帳を閉じ、必要な資料を鞄に入れ席を立った。

 俺には大嫌いなヤツがいる。
 言わずとしれた江上琴充(えのうえことみ)だ。「目の上のなんたら」なんて有名なことわざを引用するのも腹立たしい。とにかく目障り。ヤツとの出会いもまた、いけ好かないものだった。

 俺と同期の江上だが、実は高校の同級生でもある。
 受験戦争を終え、新しい制服。大きな校舎。初めての顔ぶれ。これから始まる三年間。その新たなる舞台におおいに胸を弾ませていた入学式当日。
 校門を潜り、さっそくクラス確認の為、体育館前の掲示板へと向かう。
 俺に駆け寄りガシッと肩を組む同じく制服がピンピンの山本浩介。胸には俺と同じ赤い花の胸章リボン。こいつの顔は初ではない。同じ中学出身だし、同じサッカー部だった。
「アキヒロ同じクラスになれっかな?」
「違うといいなぁ」
「なんでだよ!」
「高校になってまでお前の面倒見るの嫌だもん」
 シレっと言った俺の首を引き寄せギュウギュウしてくる。
 こんなおふざけも俺たちの間では日常だ。
「ことみー! えのうえことみー! こっちこっち!」
 掲示板の方から女子が大きな声を張り、手を上げて人を呼びつける。
 初日にこんな大勢の中、しかもフルネーム呼びとは……可愛そうに。きっとすごく恥ずかしいだろう。
 なぜそう思ったのか。俺にはピンとくるものがあったからだ。
 えのうえことみ……なんて清楚で可憐な名前なんだろう。
 きっと大声張り上げてる、あの元気印の女子とは違って控えめな子なんだろうな。顔を真っ赤にして人波にもまれながらも、ちょこちょこ小走りして今にも現れそうじゃないか。ちょっと困ったような顔で恥ずかしそうに「もー」とか言ったりして。
 俺はその妄想を見逃すまいと浩介を引き剥がしながら振り返った。
 ヌッと視界を横切る影。
 俺とほぼほぼ変わらない身長の男。
 なんだよ、見逃したらどうしてくれるんだよ。邪魔だな。と思いながら、ことみちゃんを探す。
「ホラホラ、見て! ことみと同じA組だって」
 キャッキャと声を弾ませる元気印女子の声。
 やっぱり見逃したか。クソ。
 元気女子の方へ目を向けるとさっき視界を遮った男が立ってる。そいつに目をキラキラさせて話す元気女子。
 へ? 
 俺はそのまま首を捻った。
 ことみ……。
 しばしフリーズした思考にマバタキしながら脳の再起動を試みる。
 人間の思い込みとはなかなか厄介なものだ。
 状況はどう見てもあの男が『ことみ』であるのに、俺の脳はそれを完全に拒否し、『ことみ』はきっとどこかにいるだろうとの処理を下した。これからの高校生活の過程でいずれ『ことみ』を見つけることができる……と。
 可愛らしい名前のことみちゃんのことはひとまず置いといて、自分のクラスの確認した。すんなり見つかる俺の名前。A組だ。俺の横で浩介が「Bかよー、おしーなー」と嘆いてる。AからFまであるクラス数。つまり六分の一。なにも惜しくはない。隣だからってもう少しでA組に入れたわけでもないだろ。
 ん? A組? さっき『ことみ』もA組だと言っていた。いずれと思っていたことは早々にも叶いそうじゃん。
 再度掲示板に目を向ける。男女、黒赤で記されている名前。女子の欄を確認してみた。エノウエコトミ。その名前は見当たらない。そもそも上野さんの次は大谷さん。エがない。
 ……おかしいな。
 俺の中でのみ、どうしてもなかった思考を一応確認のため見てみることにした。あくまで念のためだ。黒ネームにエがたった一つのみ存在してる。
 江上琴允。
 可憐で清楚なことみが俺の中で木端微塵に砕け散った。それでも俺の思考はあらがいを見せる。どうも俺は昔っからいい意味でも悪い意味でも、負けず嫌いな性格なんだ。
 こいつはエガミコトミツだ。
 わかってる。エノウエコトミはいない。でも、俺の中でだけでも彼女の存在を許したっていいじゃないか。まだ見ぬ儚い片想いとして。このまま綺麗に、清らかに……。

 浩介と別れA組のドアを潜る。
 初日は席も名簿順。 
 世間というものはなんとも残酷だ。今日も十中八九あの時間が来るだろう。今日一日で終わればいい。でも、中高は小学校と違って教科毎に教師が違うためそうもいかないことが多々ある。
 俺の名前は須藤明彦。
 苗字はいい。問題は下の名前。アキヒコではなく、アキヒロ。でも初見必ずみんな俺をアキヒコと呼ぶ。その度に俺は「アキヒロです」と訂正しなくてはならなくなる。
 十五年……もういい加減にそのやりとりはうんざりしてる。
 これはもう慣れとかの問題ではなく。めんどくさい。そして、やっぱりかという落胆もまた然り。もういいじゃないか。放っておこう。呼びたいように呼ばしておけばいい。そう思ったこともあった。しかし、その場合、相手との関係が深まってしまった時のリスクは大きい。相手は相当なショックを受けるし、打ち明ける機会を伺うのもバカげてる。
 ということは、やはり今回も俺は自己紹介で自ら訂正をしなければいけないのだ。気が滅入る。
 ふと視線を移した先にアイツがいた。
 俺とほぼ変わらない身長の男。
 そうだ! 今日は俺ばかりがウンザリを味わうわけじゃない。
 アイツの名前こそ苗字といい、名前といい。間違われて当然。いや、間違われるべくしてつけられた名前じゃないか!
 そう思うと俄然俺のテンションは上がり、なんだったらヤツに妙な仲間意識すら芽生えてきた。
 もしかしたら、アイツとも仲良くなれるのかもしれない。
 なんとも現金だ。俺はあれだけ疎ましく思っていた自己紹介を今は待ちわびてさえいる。
「……中学です。趣味は音楽です。よろしくお願いします」
 いよいよだ。さあ来い!
 期待に背筋がピッと伸びる。
「よし、次。エノウエコトミ」
 はっ? なっ、なんでだよっ! なんでそんなにスムーズに自己紹介入ってんだよ!?
 顔面が驚愕のまま固まった。
 エノウエよりエガミの方が絶対に呼びやすいだろ!? あんななりしてるんだ。男だぞ! どう考えたってコトミじゃなくコトミツか、相当捻りを加えてコトムだろ!
 頭の中で抗議してる間に、江上の自己紹介はすんなり終わって次のヤツが立ち上がってる。
 そうか……そうか……先生はアレなんだ。きっと生徒の気持ちを汲んで事前に名前の振り仮名をチェックしていたんだ。初日から名前を間違えるなんてかわいそうなことはできないと考えがあったんだろう。なんだ、生徒思いのいい先生じゃないか。大人として、教育者として、担任として。そうだよこうあるべきなんだ。ありがとう先生。あなたに出会えてよか……。
「次、スドウアキヒコ」
 今度こそ頭の中でガラスが激しくかち割られる音がした。

 俺はあの衝撃を忘れない。
 歴代のどの自己紹介よりも俺は大ダメージをくらったんだ。
 それもこれも、全部エノウエコトミのせいだ。


◇第二話 初めての誘い

「お疲れ。腹減ったな」
 営業時間をとっくに過ぎた夜、八時四十五分。
 受注をもらった契約書類や車庫証明書類などの作成をしていると江上が書類を仕上げたのか急に話しかけてきた。
「お疲れ様。こんな時間だしな」
 今日も休憩なしの残業になってしまった。静まりかえった営業所に残っているのは二人だけ。
 休業日の前日。残業なんて誰もしたくもないだろう。でも、俺は違う。動ける時間はなるべく顧客に回したい。休業日前だろうがなんだろうが、事務作業はたいがい残業や、家へ持ち帰ることにしてる。それは成績上位者であるコイツとて同じだろう。
 江上は立ち上がり、なぜか俺の横の椅子へ座った。
「なぁ、飯、食いに行かないか? まともな飯」 
 まともな飯……そのワードについつい乗ってしまいそうになる。
 この仕事、昼も夜も食事を取れないことが多い。
 食えたとしてもコンビニおにぎり。せいぜいサンドイッチの毎日。カップ麺なんてとんでもない。三分待ってる間に仕事の電話が入ってしまい食べ損ねるのが関の山だ。
 江上の言わんとすることもよく分かる。しかしだ。誘って来た相手が相手だ。しかも同僚なのに入社三年目にして初めての誘いだし。いや、誘われたかったわけじゃない。俺だってコイツとサシで飯とかあり得ないと思ってるからもちろん誘ったことはない。
 学生の頃からだ。なのになんで今更。違和感しかない。
 同僚で、高校の同級生だが、過去から現在に至って俺たちに接点はなにもない。ここまでくるとただの食事とは思えない。なにか俺を貶めるための罠でもあるんじゃないのか。そう考えるのがむしろ自然じゃなかろうか。
「俺はいいわ」
「まぁ、そう言うなよ。同窓のよしみでさ。一人じゃ味気ないだろ?」
 ソッコー拒否してるのに全然へこたれない顔で江上が立ち上がった。仕上げた書類をファイルへはさみ自分のデスクへしまって鞄を持って戻ってくる。
「須藤も最近頑張ってんじゃん。奢るからさ、行こうぜ」
 何だコイツ。妙に上からな発言じゃねーか。おまえは同窓って意味をわかって使ってるのか? まるで先輩にでもなったような口ぶりだし。上司か? 社長か? 明日は火曜。休業日だ。貴重な月曜の夜にどうしてこんなヤツと飯を食わなきゃならないんだ。
 江上は他のヤツらから性格がいいだの紳士だの、腰が低いだの言われてるけど、いつも俺には微妙にカチンとくる物言いをする。こんな偉そうなヤツのどこがいいんだ。誰が腰が低いって? 聞いて回りたいよ。
「おまえなら相手はよりどりみどりだろ。俺は帰る」
「須藤ってさ、今、彼女いるの?」
 断っているのをスルーして突然違う話を始める。
 誰もOK出してないだろ。なんで話が進んでるんだ。
 江上は俺の顔を覗き込んで意味深に笑った。
「なんだよ」
 言っちゃなんだが、俺は中学時代からそっち関係でひもじい思いをしたことはない。就職し、江上とトップ争いをするようになってからは彼女どころじゃなくなってしまったけど、今だって作ろうと思えば彼女くらいなんとでもなる。
「須藤のことで……鈴宮さんから相談されたんだよ。だから、腹も減ってるしさ。どっかで飯食いながら話さない?」
 この営業店で一番の美人で女優の岩見さとみ似で清楚でお嫁さんにしたいナンバーワンの鈴宮さん。
 なるほど。三年越しに誘ってきた理由はそこにあったのか。岩見さとみは悪くない。というより、ど真ん中だ。清楚系で控え目な可愛らしい子は俺的にとても好感がある。
 なるほど。朝のアレも江上に相談してたことがあってのお礼だったのかも。鈴宮さんは俺たちの関係を知らない。気の毒に、相談はほぼ収穫はなかっただろう。直接言ってくれた方がよほど早い。江上の顔を立ててやる義理はない。でも、鈴宮さんには非がないんだ。俺の個人的な毛嫌いの為に、彼女を泣かせるのはあまりに忍びない。まぁ、誕生日ももうすぐだし。イベント時にひとりってのもなんだし。タイミング的にも有りか。
 俺は仕方なく江上の誘いにOKの返事をすることにした。
「わかったよ」
 江上は嬉しそうに頷き、馴れ馴れしい感じで俺の肩をポンと叩いた。普段から付き合いのある同僚みたいな接し方。
 本当に馴れ馴れしいじゃないか。
「その書類もう終わるだろ? 戸締り確認してくるから早く帰ろう」
 俺は眉間に深いシワが寄りそうになるのを耐えた。
 戸締りを終え、非常灯だけになる営業所。
 外に出ると昼間とは打って変わって涼しい風が吹いている。どことなく夏の夜を感じさせる。
 五月に入ったばかりなのに、すぐに夏がくるな。
 職員専用のドアから二人で出る。
 鍵を掛けながら江上が言った。
「須藤ってさ、もしかして本郷町?」
「あぁ、そうだけど?」
 ここで、「おまえは?」なんてことをお愛想でも聞く気はない。お前の住処なんて興味はない。だから俺は雑談よりも「だからなんだ?」の方をチョイスした。
「奇遇だな。俺も本郷なんだよ。休みの日にお前が車運転してるのを見たことあってさ。もしかしたら? って思ってたんだ」
「そっか。あの辺便利だしな」
 気さくに話す江上の会話を俺は敢えてバスバスと容赦なくぶった切っていった。
 もちろんわざと。他のヤツならこんな無愛想な話し方はしない。
「せっかく明日休みだし、俺の住んでる周辺飲み屋多いんだよ。料理も美味いし。マンションまで戻って、須藤は車を置いて、俺の車に乗り換えよう。そこから飲みに行かないか?」
「この辺の店でいいだろ」
 なんだよめんどくせー。いちいち手間なんだよ。お前との食事はそもそもが不本意なんだよ。車置きに自分の家まで行ったら、そのまま帰りたくなっちゃうだろ。
「この辺じゃ飲めないじゃん。行こう行こう」
 まるで馬の耳に念仏。俺の「お前は嫌いなんだよ」オーラを屁とも思ってない。ちょっとは察しろよ。
 江上は車に乗り込みシートベルトを装着すると、俺のうしろをついていく準備万端って顔でいる。
 はぁあ……。
 情けないため息しか出てこないよ。鈴宮さんにすら、少々恨めしい気持ちを抱いてしまう。がここでグズグズ考えていても仕方ない。エンジンをかけ自分のマンションを目指した。
 しっかり背後についてくる江上の車。
 まきたい。信号で離して角を曲がりまくって、まいてしまいたい。そうすれば俺の連絡先を知らないアイツは大人しく帰るしかないだろう。水曜まであの顔を見なくて済むんだ。
 ハンドルを指でカリカリ掻きながら、鈴宮さんのため、鈴宮さんのため。と頭の中で唱え逃げ出したい衝動に耐えた。
 マンションへ到着し、車を駐車場へ停める。
 このままマンションのロビーに繋がるあのドアへ行きたい。往生際悪く思いながら、重い足をしぶしぶ運び、外へ向かった。
 江上の車がハザードを焚いて停まっている。俺に気付くと運転席側から腕を伸ばし、助手席のドアを開けた。
 ニコニコしてやがる。俺はお前の車に関しちゃ、後部座席がいいんだよ。
 でも、それはさすがに大人気がなさ過ぎる。駄々をこねるガキじゃないんだ。俺はちょっと頭を下げ、嫌々助手席に座りシートベルトをはめた。


◇第三話 焼き鳥屋

 俺のマンションから、江上のマンションへ数分で着いた。
 近い。
 その事実、俺は知らないままでいたかったよ。
 それにしても……。
 マンションのエントランスが立派で、高級車が多いのがまた癪に障る。
 目の前に本郷三丁目の駅がある。
 飲み屋も選びたい放題だ。
 江上は鞄から携帯と財布を取り出しスーツの内ポケットへ入れ、車から降りてトランクを開けるとそこへ鞄を入れた。
「須藤も鞄、邪魔だろ? ここ入れとけよ。財布と携帯だけありゃいいだろ?」
「ああ」
 ここで「嫌だよ」はやっぱり大人気ない。嫌な理由が「お前が嫌い」だけしかないからだ。俺も携帯と財布をポケットに入れ直し、鞄を泣く泣く江上のトランクへ預けた。
「焼き鳥、好きか?」
 鞄をトランクへしまい、ロックをしながら江上が言う。
「まぁ」
 焼き鳥……実は大好きだったりする。もう聞いただけで香ばしい匂いとプリプリなビジュアルが目に浮かびお腹がクウクウ鳴ってしまいそうだ。
「名物はチキン南蛮フライ。上にかかったソースも絶品なんだよ。焼酎の種類も多いし。炭火で焼くから肉がジューシーでさ。串はどれも美味い。軟骨の唐揚げも歯ごたえあって俺は好きだな。あ、きゅうりも美味いんだよ」
 チキン南蛮! 男のロマンじゃないか! あくまで個人的にだけど。江上よ。もうそれ以上しゃべるな。マジにお腹鳴っちゃう。
「珍しいところじゃタタキもある。肉が新鮮じゃないと食えないからさ。サッパリしたタタキをポン酢でいただく。どれだけでも食える。シメにガーリックチャーハンなんてどう? あー腹減ってきた!」
「お前って結構おしゃべりなのな」
「……え?」
 楽しげに話す江上が俺の無愛想な返しに勢いを止めた。
「あぁ……あんま話さないだろ俺たち」
 キョトンとしていた江上が「ああ」となぜかニヤリと笑った。
「高校の時から須藤は俺のことが嫌いなんだもんな?」
 あっさり真実を言い放つ江上にギョッとした。
 ……なんだよ。知ってたのかよ。いや、今日の今日までわかってたよ俺は。江上には初めて会ったときから終始こんな感じで接してきた。気づかない方がおかしいだろう。でも、今日の江上がやたらとかまってくるもんだから、もしかしたら? って思っただけ。やっぱり知ってたんだな。しかし、こういう時はどう返事すりゃいいんだ。今から食事だろ? 鈴宮さんの相談を聞きに来たわけで、喧嘩をしにきたわけでもないんだが。
 自分からツンケンと喧嘩紛いな態度を取っていた俺がここに来て返答に悩む。気持ちの上だけで言えば「ああ。嫌いだ」とハッキリ言ってやりたい。
 うーんと思考を巡らせているとケロッとした声が降ってきた。
「でも安心しろ。俺はお前のことそこまで嫌いじゃないから」
 江上の発言にピクリと反応してしまう。
 安心ってどういう意味だよ。俺がお前にビビってるとでも思ってるのか? しかも「そこまで」とかあからさまに余計な一言だろ。イチイチ言い方にトゲがあるんだよ。まったく。
 内心イライラしていると、江上が言った。
「せっかく同じ会社にいるんだ。仲良しに越したことないだろ?」
「それはよかった。でもわかってるなら仲良しにってのは無理があると思わないのか?」
 江上は外国人みたいに両手をホールドアップした。
「正直に言うよ。俺は須藤のこと、けっこう好きなんだよ。絡みもないのに嫌われてるのは悲しいだろ?」
 また「けっこう」とかつけやがった。しかも、言い方が軽いんだよ。飄々としてさ。もっとこうしおらしくすりゃ俺だって江上嫌いが上昇することもないだろうに。
 俺の表情を読んだように、江上が重ねて言った。
「分かった。分かった。けっこうじゃないよ。好きなんだよ。交際申し込みたいくらい。だからそう嫌わないでくれよ」
 ムカつく。どこまで俺をコケにする気なんだ。交際申し込みたいとか完全に馬鹿にしてるだろ。だいたい真面目な顔が余計にふざけているだけにしか見えないんだよ。そもそもそんな好かれ方もごめんだ。普通に同僚としてだって嫌なのに。
 江上のまったく笑えないジョークに、ムカムカしていると、江上は俺の肩に腕を回し、グイと引き寄せた。上背がある江上。推定百八十センチか? 俺は心の中で舌打ちした。
 高校の入学時はほぼ同じくらいの身長だったのに。

 小、中と俺は身長が高い方だった。
 背の順は常に後ろ。友達はみんな俺より低かった。
 しかしだ。どうやら俺は早咲きだったらしく、グングン伸びていた身長も中二の夏にピタリと止まり、以降俺の骨の成長はミクロの世界を突き進んだ。毎朝牛乳を一リットル飲もうが、小魚食おうが、納豆をかっくらおうが、健康ぶら下がり機にブラブラぶら下がろうが、その世界を抜け出すことはなかった。
 そんな俺とは違い、江上は学年を上がる毎に順調にセンチ単位で背を伸ばしやがった。三年間同じクラスだった俺は、その成長っぷりをまざまざと見せつけられるはめになったんだ。江上の前に立つと俺の視線はドンドン上向くことだっただろう。
 ……まぁ、そもそも近寄りもしなかったから、その屈辱は避けることができたわけだが。
 それがどうだ。ここにきて、今まさに上向いてしまってるじゃないか。俺は無駄な抵抗だと思いながら心持ち姿勢を正した。
「だからさ、今日は親睦会と思って!」
 悪いな江上。俺に親睦を深める気はさらさらない。
 喋りながら歩いて、もう店は目の前。
 炭火焼きしたタレの美味しそうな匂いがする。たまらない匂いだ。
 誘われるように自動ドアをくぐると、「いらっしゃいませーっ!」と威勢のいい声が飛んできた。
「予約のエノウエです」
 俺の横で江上がポンと言う。いつの間に予約したんだよ。俺が承諾する前提で誘ってきやがったのか? それ以前に店も初めっから決めてやがったな? 安い芝居打ちやがって。
 テーブルとカウンター席は月曜日だというのにほぼ満席だった。
 サラリーマンの他に、大学が近いからか若者も多い。たしかに予約しておかなきゃ座れなかっただろう、とは思う。
 俺たちは奥の小上がりの座敷へ通された。すぐに店員がおしぼりを持ってやってきて、ニコニコ頭を下げた。
「本日はご予約ありがとうございます。満腹コース二名様で宜しいですか?」
 はぁ? メニューまで決まってるのかよ。好きなモノ食わせろよ。ってか、満腹コースっていくらだよ。奢るとか言ってたけど、俺はお前に世話になるのはごめんなんだよ。
「お願いします。あと、この焼酎ボトルと、グラス二つ、氷と水もお願いします」
 奥のカウンターには、焼酎がズラリと並んでいる。ボトルには名前の書いてある札。ボトルキープ出来る店だから常連客が多いのか。
 おしぼりを手に取り、手を拭きながら江上の顔を見ずに、ポンポンお膳立てされてる現状に物言いしてやる。
「食うものも、飲み物すら自分で選べないのかよ」
 もういいかげん親睦を深められないと気付いてくれ。
「満腹コースに人気メニュー全部入ってるから。チキン南蛮フライも、串の盛り合わせも、軟骨の唐揚げも、きゅうりも、タタキも、ガーリックチャーハンも。他にもサラダと、本日の一品、口直しにデザートもあるよ? それで一人三千円なら安くない?」
「……まぁな」
 説明しながら、ドリンクメニューをスッと差し出す。
「焼酎、口に合わなかったら他のも飲んでみよう。ボトルはキープしときゃいいんだし」
 ボトルキープしたってお前とここへ来ることは二度とないよ。
 いちいち癪に障る江上に「あぁ」とだけ返す。
 タルタルチキン南蛮を始め、満腹コースはどの料理も美味しかった。中でもタタキはサッパリして口休め的にも絶妙で、軟骨の唐揚げはやみつきになった。おかわりしたいくらいだ。焼酎も口当たりがいい。気持ち的には自分で選び直したい思いもあったが、その必要性は全く感じなかった。
 パクパクひたすら飲んで食ってる俺に、江上は「美味しいか?」と聞いてきた。
「うん、うまい」
「だろ~?」
 江上は俺のグラスが空になると、いそいそと氷と水を入れてお代わりを作りだす。
「須藤っていつも元気だったよな。人気者だったし。友達も多かった。クラスのムードメーカーで、みんなから愛されてて、いつも羨ましかったよ」
「人気者はそっちだろ」
 なんだこの愛想トーク。今更持ち上げられたって嬉しくもなんともねーよ。こっちはお前にいくらお株持ってかれたと思ってんだよ。雪乃だって……。

 忘れもしない。桜木雪乃。
 同じクラスで仲良くなって「須藤君がサッカー部に決めてるなら、私も行こうかな?」なんて可愛いことに俺にくっついてサッカー部のマネージャーになった子だ。なのに、高校生活初めてのバレンタインで俺ではなく、なぜかバスケ部の江上にチョコを渡した。
 しかも、軽く酔った感じで、今俺の前で楽しそうにしてるコイツは、あろうことか雪乃のチョコを受け取らなかった。落ち込んだ雪乃を誰が慰めてやったと思ってるんだ。慰めついでにいっそヤってしまえばよかったよ。
 ……なんて、実際はただ寄り添うだけで、なにもできなかった。
 淡く胸キュンな思い出にしばし浸る。

◇第四話 悲しき負けず嫌い

「仲良くなりたいなって、思ってたんだよ。ずっとね。でも須藤ガード固いから」
 俺のノスタルジックな追想に土足で踏み込んでくる江上。
 しおらしく告白紛いな冗談こいてんじゃねーよ。確かにさっきはしおらしくしろなんて思ったが、しおらしくしたところで江上は江上だ。
「なんだガードって」
 最後のとり軟骨を口に放り込む。
 冷めててもコリコリしてめちゃめちゃ美味い。
「そうだろ? 俺が話しかけると眉間にシワ作ってさ。警戒してますぅ~ってオーラだしまくりで」
 楽しい話しではないのに、妙に楽しそうに話す。
 俺はメニューへ視線を落とし、店員に手を上げながら答えた。
「お前に話しかけられた覚えなんてない。すみません、軟骨の唐揚げ追加でお願いします」
「話しかけてるんだよ? まぁ、須藤はいつも大勢とワイワイやってた。はなから俺なんて眼中になかったんだろうなぁ」
 しみじみした口調でチクチクと責められる。
 いっそお前の言うように眼中になければよかったのにな。どこにいても視界の端でチラついてたよ。お前は。
「思い込みだろ」
 江上の表情がニコニコ顔に戻る。
「そうか? じゃあ、誤解を解いて、これから仲良くなれるかな?」
 やめてくれよ。眼中にないのを思い込みだと言っただけで、嫌いなのは大正解なんだよ。俺から鈴宮さんの話題を振るのはがっついてるみたいで嫌だが、早々に話題を変えたいし、飯はうまいけど目的を早く終わらせて帰りたい。江上に任せといたらいつになるかわからん。
「そんなことより、相談の話って?」
 草食系な爽やかな笑顔。イケメンでいかにもモテそうな外見。そして確実にこいつはモテていた。そんなヤツが必死で俺との距離を縮めようとしているのが、滑稽だな。だが俺は今の距離だけでもう十分なの。
「あ、ああ。そうだった。ごめんごめん」
 江上はまたグラスに俺の焼酎を作りながら話し始めた。
 が……もしやそれはロックじゃないのか? だれもそんなもの作れなんて言ってないぞ。
「須藤さんて付き合ってる彼女とかいるのかなぁ? って、聞かれたんだよ」
「で、聞いてくるって答えたのか? 因みにそのグラスは俺のだ」
 江上はうんうん頷いて、「どーぞ」とグラスを押し出す。
 なにが「どーぞ」だ。いきなりロックを作り出すんじゃねーよ、という俺の意図は伝わらなかったか?
「俺たちが同級生だと調べた上での相談だったから、ガチっぽいなぁ。と思ってカマかけたの。須藤のこと好きなの? さり気なく探ってやろうか? って」
「どこがさり気ないんだよ。ド直球じゃないか」
 このロック……どうしたものか。既に三杯目だぞ。しかし、江上が作ったロックを目の前で水割りに作り直すのもどうも格好が悪すぎる。そんな負けを認めたようなことはしたくない。それに、江上は自分のグラスにもロックの酒を作りやがった。しかも平気な顔で飲んでいる。
 俺はしかたなくロックの焼酎を飲んだ。
 カーッと喉が熱くなる。
 江上はニコニコとストレートに言った。
「だって俺、警戒されてるじゃん? さり気なくなんて無理だよね? は? なんでお前にそんなこと教えなきゃいけねーんだよって、バッサリ切られるのがオチだろ?」
「確かにな。じゃあ言っといてくれ。今はフリーだって」
 江上の目が細められる。
 なんだよその目。
「ってことは、付き合ってもイイって意味だよな?」
「付き合うか付き合わないかは俺が判断することだろ。お前は現状だけ伝えればいい」
 しかし、ロックってキツイな。水飲みてぇ!
「またまたぁ。相手次第じゃんね? 無理な相手には彼女いますって、伝えるのがテイのいい断り文句だし」
 細めた目をまたニコニコ顔に戻し、江上が焼酎を飲み干す。
 ロックで飲んでるのに、全然平気そうじゃないか。クソッ! 飲み比べ大会じゃないんだぞ! そう思いながらも「これは水だ」と自分に言い聞かせ張り合ってしまう。
「あれ? 須藤もしかして酔っ払ってる? 水に変えようか?」
「あぁ? 酔っ払ってねー」
 顔も喉もボッボあっちーけど。
「無理すんなよ。ほら、水飲みなよ。須藤、弱いなら弱いって素直に言えばいいのに」
「うるさいなー、大丈夫って……言ってんだろ」
 ちょっと目が痒いだけなんだよ。
 指先で両方の目を擦り顔を上げると、江上はグラグラ歪んだ世界でヘラヘラしてる。
「須藤ってさ、負けず嫌いだよな。すぐムキになるし。そーゆーとこ、高校の時と変わってないよね。可愛いよな」
「ムキになんてなってないわい」
「鈴宮さんより、須藤のほうが百倍可愛いよ。いや、一億倍かな?」
「なんえ俺と鈴宮さんで比べんだ。並べる相手おかひい」
「……須藤? ろれつが回ってないぞ? 大丈夫か?」
「うっせー、大丈夫だってんだお」
「……どう? 完全によっ……うか?」
 江上の言葉が聞き取れない。
 どっちが酔っ払いだお前もしゃべれてねーじゃん。
「へへ……かった……寝う」
 宣言を終えグラッと前に落ちる頭が方向転換した。肩を引っ張られてそっちへ倒れ込む。
 もういい、めんどくさい……。
 遠くの方で人の話し声がかすかに聞こえた。


◇ ◇ ◇

 高校時代からずっと「大嫌いなヤツ」江上と渋々飲みに行った須藤君。張り合った末に酔いつぶれ、江上君のマンションにお持ち帰りされてしまい……。続きはJgarden56で!



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?