保護者のしゃべり場:保育者養成校にて子育て支援を研究する
昨今、「子育て支援」「保護者支援」という言葉は頻繁に使われるようになっています。少子高齢化が進む日本の中で、子どもをどのように育てていくかは日本において非常に重要な問題です。その一方で、子育て世代、ひいては子育て世代になっていく世代への考え方や政治的・経済的施策があまりにも的外れな状況であることは…憂うばかりです。いや、憂うだけで手をこまねいていいわけではもちろんないですが、それはまた別の話で。
現在僕は、将来保育士さんや幼稚園教諭になりたいという学生さんに大学という箱モノで教える、いわゆる保育者養成校に勤務しています。
大学教員として保育者養成に関わるようになって今年で10年目なのですが、やっと(今更ながら)少しずつ自分がやってみたいこと、自分ならこういうアプローチを取れるんじゃないかということがぼんやりとイメージがついてきたような気がします。このブログでは僕なりに取れそうなアプローチについて述べていきたいと思います。
僕が子育て支援について持っているテーマは「保護者が明るく元気に子育てに向かっていけるように」です。これを達成できるように、いくつかのアプローチで進めていきたいと思っていますので、断片的なアイディアに思えるかもしれませんが、これらのアイディアがまとまった際には読んでいただいているみなさんの頭の中で統合していただければ幸いです。
現在、僕のゼミでは「保護者のしゃべり場」という企画をゼミ生と一緒に年に数回行っています。
大学の近隣に住まれている子育て中の保護者が何組か来られて、同じ年齢のお子さんをもつ他の保護者とアレコレ自由に喋るという企画です。とは言え、いきなり初対面で話してくださいと丸投げするのは無理なので、2-3人の保護者を小グループとし、さらにファシリテーターとしてゼミ生もおしゃべりグループに参加してもらいます。
学生はテーマをふまえて保護者に話を振ったり、相槌を打って話を広げたり、保護者が話してくださった内容を記録して模造紙に配置していったり…。いわゆるKJ法というブレーンストーミングの手法を用いながらおしゃべり企画を進めていきます。40分程度の小グループでのおしゃべりタイムの後、そのグループで出てきた話の概要を学生がまとめて発表してもらうと、当たり前ですがそれぞれのグループで話された内容が全く異なり、毎回大変興味深く拝見しています。
最近子どもが〇〇できるようになった、〇〇はどこで安く買える、自分自身についての悩みや不安、園選びについてなど…。
お子さんの年齢ごとに小グループを作った回では、0-1歳のお子さんをもつ保護者グループのまとめに対して、2-3歳のお子さんを持つ保護者グループが「あぁ~分かる!ウチもあった!」といった共感が盛り上がったり、逆に「これからこういった出来事(悩み)が起きてくるのか~」といった見通しを持つ機会にもなったりしました。
保護者のみなさんは、学生相手であるにも関わらず気さくに色んな事を話してくださいます。学生そして同グループの保護者は家族や友達とは距離のある第三者的な立場の人間だから「言いっぱなし、聞きっぱなし」ができるというのもこの企画のメリットです。
学生にとっては、現在進行形で子育てに奮闘されている保護者の声や考えに眼前でふれることができるので、非常に有意義な時間になっています。学生は実習では子どもと関わる時間はあるのですが、実習の中で保護者と関わる機会はそう多くありません。しかしながら、保育者として現場に立ち、担任となると1年目であろうと保護者との関わりが求められます。学生の時には保護者との関わり経験値が0の状態から、仕事となると担任として専門職として100の状態を求められるのです。これはかなりしんどいと思いますので、学生のうちに少しでも子育て当事者と話をし、寄り添う経験値を積んでもらえればと考えています。
※保護者支援・子育て支援は保育の現場でも重要な事項となっているのに、なぜ養成の期間でこの実践カリキュラムがないのだろうか…と僕は疑問に思っていますが。
「言いっぱなし・聞きっぱなし」というシステムは、自分の心のモヤモヤを吐き出す上でとても有効な方法だと僕は考えています。自分の心のモヤモヤを他者に伝える場合、「こんなこと言ったら相手にどう思われるのかな…」「変なやつだと思われないかな…」といった懸念により自由な発話がためらわれてしまいます。また、相手の話を聞く場合でも、「相手はこんな悩みや不安を持っている…何かしら反応をしてあげなければ」と身構えてしまうことがあります。「言いっぱなし・聞きっぱなし」というルールにすることで、話し手にとっても聞き手にとっても責任の所在がかなり軽くなることが考えられます。
僕が敬愛する発達心理学研究者の先生が、『「話す」とは「放す」ことだよ』と教えてくださいました。声(言葉)にすることで、一旦自分の内部から外部に放す。そうすることで、放り出したものについて距離をとって眺めることができるよ、という話です。話すだけでスッキリする、いわゆるカタルシス(浄化)効果につながって、また子育て頑張ろう!と前向きなエネルギーを蓄えてもらえれば、しゃべり場の効果の1つとして捉えてよいのかなと考えています。
副次的な話(というより前提の話)ですが、このしゃべり場を成立させるためには、保護者は子どもから離れてゆっくり話す場が重要になります。つまり、親子分離を引き受けるということです。そのために学生は、保護者から子どもを引き受けてしっかり遊びに惹きつける働きかけが必要になります。このことは、目の前の子どもをひきうけ、じっくり関わるスキルを高める機会にもつながります。時には親子分離の際、ギャン泣きしてしまう子どももいますが、これは保育の年度初めの現場ではよくあることですし、別離ー再会の経験を部分的にでも体感できる機会にもなるかもしれません。
とある保護者からは「子どもから離れて初めて一人で話ができました!」という感想をいただき、親子分離デビューの場となった回もありました。
保護者にとってもこの場を支える学生にとってもwin-winになるような場となっていくことを期待しています。
これまで述べてきたように、「しゃべり場」の有効性はそれなりにあると思うのですが、これからの課題は、「しゃべり場」の何がどの側面に効果をもっているのか、の検討です。
子どもに関する話だけでなく、自分の悩みや不安についてじっくり話すのであればカウンセラーなどと一対一で進めていく方が、自分の困りごとについてより効果的だと考えられるのですが、こういった「場」に参加することがどのような人のどのような側面にポジティブな効果をもつのかを検討していく必要があります。個への支援だけではなくコミュニティとしての支援の場の有効性について研究知見を提示できるのではないかと考えていますので、今後も「保護者のしゃべり場」活動について温かい目で見守っていただければ幸いです。