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【二次創作】カタシロ Rebuild; 断絶 (三)

これは、ディズム氏主催の舞台「カタシロ Rebuild」シリーズの創作二次小説です。
ここでは、ネタバレを多分に含みます。先に本編をご覧になることをおすすめします。Youtubeで無料でご覧になれます。

この二次創作小説、一話を一日分ってことででやってます。全三話。
第一話はこちら。

二話はこちら。


目覚め(三)

「目が覚めたかね」
 目を開けた私は、またあの男か、と思った。
「どうだね、体の調子は」
 男は前回と同じ、白衣。そして不気味な仮面だった。
 寝覚めは最悪だった。毎日寝覚めが悪いので、この男は関係ないのかもしれないな、と思った。
「目の方は、昨日のうちに調整しておいたよ。どうだろう、今は問題ないだろうか」
 確かに。昨日のような視界の乱れはない。
「大丈夫なようですね」
「そうか。それはよかった。ところで、このファイルを君は見たのか?」
 男は適合率のファイルを手にしていた。しまった。隠蔽する前に眠ってしまったのだ。
 こうなったら、開き直るしかない。
「おたくの患者リストですかね。個人情報を保管するのに施錠なしなんて。不用心ですね、訴えられますよ?」
「そうだな、気をつけないとな」
「それで、何の適合率なんです? そのファイルは」
「それはまだ言えないな」
 男はしれっと言った。やれやれ、まだ隠しごとか。やはりこの男は油断ならない。
「今日で三日目だ。午後には、君に退院してもらう」
「記憶が全く戻っていませんが」
 それは本当だ。
「そうだな。記憶も、午後には必ず」
 必ず? 何の確信があって?
 例の銃についても問い詰めたかった。だがこの様子だと、まともな答えは返ってこないだろう。別の質問を用意しよう。
「過去にこの部屋に、私のような患者が来たわけですか。何人も」
「そうだね。アユムから聞いたのか」
「ええ。全員が二日目に前後不覚になって、三日目に退院していると。えらく不自然ですね」
「君のような症例が私の専門でね。研究の結果、三日で治せる治療法を確立した。いまは最終試験の段階だ」
「私のような、雷にうたれた人の?」
「ああ」
「人間が落雷に遭う確率は、そんなに高いとは思えませんがね。ここに緊急搬送できる範囲内なら、なおさら」
「意外と多いものなのだよ。素人の君は知らないかもしれないが」
 専門家の立場を振りかざしてきた。やはり気に食わないな。
「それで、今日も思考実験をするわけですか?」
「そうだな。君の記憶を刺激するため、そして君を理解するために。準備はいいだろうか」
 私は肩をすくめた。他に聞くべきこともない。

臓器くじ

「君は『臓器くじ』という話を知っているかね。つまり、覚えているだろうか?」
 私は首を横にふった。まったくわからないが、おぞましい予感がした。
「健康な国民全員で平等にくじをひき、アタリが出た人間を殺すとする。その臓器を、移植が必要な複数の患者に分け与えるのだ。一人が犠牲になることで、五人程度が助かる。前提として、くじは必ず完全にランダムになる。臓器移植は必ず成功する。他に臓器を得られる手段がない。思考実験だからね。この『臓器くじ』について、マコト君は肯定するかね?」
 気に食わない。ものすごく気に食わない。なぜだかわからないので、喋るにまかせようと思った。
「厭ですね」
「ほう、それはなぜ?」
 私は息を吸って、心を整理した。
「まず、前提があり得ない。そんな都合のいい仕組みは、必ず権力に利用される。くじは敵の排除に利用される。患者は都合のいい人物に限定される。どんなルールを敷いたとしても、権力者はその誘惑に勝てない」
「なるほど、まずルールを疑うわけだね、君は」
「そうですね。それに、アタリの人が殺されるというのも気に食わない」
「どういうことだ?」
「その患者は、神がサイコロを振った結果、病気になったわけだ。そこで人為的にサイコロを振って、別の人を犠牲として運命づける、というのが気に食わない。まるで神様気取りじゃないか」
「それを言ったら、死刑制度はどうなるのかね?」
「厳密に決められた法律の枠内で運用されている限り、死刑は別の話だ。だが、言っただろう? そのくじは、厳密な法として執行するにはあまりに脆弱すぎる」
「つまり、手続きが重要ということか?」
「法治主義、民主主義の根幹だと思いますよ。手続きは」
「昨日はえらく概念的な話をしたと思ったら、今日は現実的だね」
「概念的な話がお好みですか?」
「ああ。君の気持ちが聞きたいね。君の大切な人が、臓器を必要としていたら、この制度はどう思うかい?」
「家族が患者だとしても、この制度は犠牲、つまり死の恐怖や政治不信と、利益のコストパフォーマンスが悪すぎる。まず家族に割り当てが来るとは期待できない」
「おや、君は、家族の記憶が戻ったのか」
 しまった。カマをかけられたのか。
 いや、今のは完全に私の失態だ。家族の記憶があるのがバレた。これで状況はどう変わる?こいつの反応は?  私は男を凝視した。
「マコト君の記憶が戻るのは喜ばしいことだ。話を続ければ、どんどん思い出すかもしれない」
 黙る私を見つめて、男は優しく言った。驚いた。この男は本当に障害ではないのか? では今までの不可解なパーツは何を意味するのだ?
「話を続ければ、もっと思い出せるかもしれないな。それで、一人を殺すことで数人を生かす、ということを君は認めないわけだね。逆を言うと、君は数人を見殺しにするわけだ。それでいいと言うのか?」
「ええ。命の値段は平等ではないですから」
「驚いた。君は差別主義者か」
「誰にとっても、命の値段は平等ではないですよ。例えば、ホームレス支援よりも、飼い猫の命を助ける技術開発に金が集まる。わかります? 人の命は地球より重いと言いながら、ホームレスよりも猫のほうが命の値段が高い。これが現実です」
 男はあごをさすって沈黙している。
「『一人を殺すか数人を生かすか』って、トロッコ問題ですよね? 暴走するトロッコの先には複数人の作業員がいて。ポイントを切り替えれば一人の作業員にぶつかる。どちらに切り替えるか? という」
「ああ。やはり知っていたか」
「それくらいはね。答えは単純だ。作業員たちと私の利害関係次第。どちらが私にとって命の値段が高いかだ。すべて利害関係がない人間だったら、黙って立ち去るのが正解だ。私のせいで死んだ、などと遺族から逆恨みされたらたまったものではない。命は足し算できないが、値段は計算できる」
「君は冷たい男なんだな」
「誰だってそんなものですよ。例えば、私プラス四人と、アユムさん独りが別の線路上にいたとして。あなたはアユムさんの路線にポイントを切り替えますか?」
 「切り替えないな」男は即答した。決意を込めた強い声だった。
 五体満足の人間五名よりも、体が動かない役立たずの娘のほうが価値が高いのか? と言ってやろうかとも思ったが、さすがにやめた。同じ子を持つ親として、発していい言葉ではない。
「マコト君。たとえば、自ら犠牲になって他の人を生かす、という場合はどうだろう」
「制度は関係なく、ですか? 自らの意思のみで」
「ああ」
「それ自体は美しい話ですし、否定する理由はないです。人はときに、より大きな物語のために死ぬ勇気がある。その勇気は素晴らしいと思う。ただ、それが規範化するとなると話は別だ」
「規範化とは?」
「人のために犠牲になるのは素晴らしいことだ。ここまでならいい。だが『人のために犠牲になるべきだ』だといけない。『なぜお前は犠牲にならないのか』という話になる。全体の都合優先になるのですよ。例えば『お国のために死ね』って奴です」
「ああ」
「そもそも民を生かすのが統治者の仕事でしょう。それを怠った上で死ねって、債務不履行でしょう。税金を返せって話ですよ」
「興奮してきたな。どうか落ち着いてくれ」
「自己犠牲が必要な局面というのは、たいてい極限状況です。その極限状況を引き起こした責任者がいるケースが大部分でしょう。だから自己犠牲の称賛は、責任者の吊るし上げとセットにしないと危険だ」
「マコト君は、自己犠牲を強いられていたのかもしれないね、今までの人生で。そんな体験があったのか?」
 それはありうるな、特に仕事で、と思った。
 何の仕事かは思い出せないが。「さあ」と答えた。

アユム(三)

 男は芝居がかった仕草で両手を広げた。
「ふむ。ここまでにしよう。マコト君、大変参考になったよ。ありがとう。午後には退院だ。手続きをするとしよう。退院までには必ず記憶も戻るだろう。しばらくここで待っていてくれたまえ。では失礼するよ」
 そう言って、男はドアから出ていった。
 私は体の筋を伸ばした。昨日よりは体が軽い。そういえば頭痛もおさまっていた。
 午後には退院か。あらためて思い返すと、男からは敵意が感じられなかった。素直に帰してくれるかもしれない。
 しかし、いくつかの話をはぐらかされた。未だ不自然な点も多い。
 適合率と他の患者。銃もどき。放置された工具。落雷。病院スタッフは未だ見たことがない。
 男は大事なことを話していない。私には確信があった。
「おじさん!」
 アユムの声だ。
「こんにちは、アユムちゃん。今日も元気そうだね」
「うん! あのね、おじさん、今日で退院なの?」
「お父さんが言うには、そうらしいね」
「そっかー。さびしいな。ねえ、退院するまえに、あたしに会いに来てよ!」
「いいの?」
「うん! 目は見えないけど、おじさんと近くでお話したい!」
 今日は部屋を出られるのだろうか。ドアに手をかけると、あっさりと動いた。
 そうだな。アユムの顔を見てから、荷物を探すのもいいだろう。
「わかった。今からいくよ」
 そう言って、私は三日間をすごした手術室から出ていった。

断絶(一)

 部屋から出て廊下を伺った。誰もいなかった。白くて清潔な、なんの変哲もない病院の廊下。やはりここは嫌いだと思った。
 私がいた手術室は、廊下の突き当りにあった。アユムがいるという部屋への壁はすぐにわかった。
 私はできるだけ素早く、隣の部屋のドアに張り付き、音を立てないように開けた。昔、こんな映画を見た気がするな。いや、ゲームだったか。鍵はかかっていなかった。
 部屋は暗かった。常夜灯だけが灯っていた。突き当りの壁際に、緑色の光が見えた。
 目が慣れるのを待ってから、改めて部屋を見渡した。ベッドが一つ。その上には人が寝かされていて、枕元には点滴が吊るされていた。ベッドの人は顔まで包帯で巻かれ、人相はわからない。明らかに九歳の大きさではない。成人男子のサイズだった。
「アユムちゃん?」
「あ、おじさん!」
 声は部屋の奥から聞こえた。緑の光のところから。
 やはり、この寝かされた人物はアユムではない。ベッドの患者を確認するのは後回しにして、私は光に近づいた。
 光源は、異常な機械だった。
 小柄な女性ほどの大きさの、筒状の機械だった。光っていたのは、その上部。水槽のようだった。中は液体で満たされており、時たま水泡が上がっていた。その液体が緑色の光を放っていたのだ。
 水槽の中には、人間の脳があった。
「アユムちゃん」
「来てくれたんだね、ありがとう! あたし目が見えないけど、声が近くで聞こえるからわかるよ!」
 機械の上部には、受話器のようなモノが取り付けられていた。アユムの声はそこから聞こえた。まさしく受話器のように、音の受信と発信の機能があるのだろう。目の前の光景が理解できず、現実逃避のために、そんなことを考えた。
「あたし、体も動かないから、変なかっこじゃないかな? 髪がぐしゃぐしゃになってないかな?」
 彼女は自分の状況を理解していないのか。そんなことをぼんやり考えた。
「見られてしまったね、マコト君。この部屋に来られるほど快復していたとは」
 振り返ると、仮面の医者が部屋の入口に立っていた。
「あ、お父さん!」
 アユムの嬉しそうな声だ。
「これは、どういう事なんですか?」
 頭が回らない私は、間抜けにもそのままの質問を投げかけた。男は私の質問を無視し、脳が浮かんだ水槽に手を当てた。
「アユム。これからお父さんは、マコト君と大事な話があるんだ。少し、眠っていてくれないかな」
「えーっ、もうちょっとマコトおじさんとおしゃべりしたいよ! お願い、お父さん」
「ごめんな、アユム。おやすみ」
 そう言うと、水槽の光は消えていった。アユムの声も、もう聞こえない。なんだ? どういうスイッチになっているんだ?
「マコト君、少し昔話をさせてくれ。君が知っている通り、私達家族は交通事故にあった。アユムは酷い状態だった。助けられたのは、この部分だけだった」
 男は、脳が浮かぶ暗い水槽を撫でた。
「私は、ある種族と以前から親交があった。こんなアユムを助けられる技術をもった種族。その力を借りて、アユムはこうやって生きている」
「これは、生きていると言えるんですか」
 思わず出た言葉の残酷さに、私自身が驚いた。
「言えるさ。君の言葉を借りると、私は『恣意的にそう断定する』よ。そうだろう?」
 テセウスの船。ここで繋がってくるのか。
 他の思考実験は、どう繋がってくるんだ。まさか。
「その種族には、機械の体を造る技術があった。私はアユムに機械の体を用意した。でも適合しなかった。こうなってから、時間が経ちすぎていたんだ。そこで、私は人間の体を用意することにした」
 男は、ベッドに横たわる人体を指した。
「これは、何だと思う?」
 まさか。
「これは、君の元の体だ」
 血の気が引いた。
「そして君の体は、機械の体だ」
 いや。待て。血の気が引くほどの精密さをもっているのか、この体は。
 無意識に握っていた手を開いた。手のひらを見ると、爪の跡がついていた。この体は、ふつうの人体にしか見えなかった。
「君の脳を移植させてもらった。よく馴染んでいるだろう。君は、機械の体への適合率が97%だった。そして君の体は、アユムへの適合率が98%だ。この数年、ずっと探し続けていた。君のような人を」
 テセウスの船。概念レベルでは恣意的という結論を私は提示した。
 だが現実レベルでは、機構全体がそうだと言ったのだ。
「機械の体は、極めて精巧にできている。君の顔や体つきを含め、完全にコピーできている。生活を送るのに支障はないだろう。三年程度しか持たないだろうが、私が責任をもってメンテナンスする。必要とあらば、新しい機械への再移植も行おう」
 体の機構が、完全にコピーされているというのか。
 この爪の跡も。この血流も。
 腹の底で煮えたぎる感覚も。
 わからない。記憶がないから。
「私からのお願いだ、マコト君。君の体を、アユムに譲ってくれないだろうか」
 男は悪魔のように手を広げ、最も言いたかっただろう言葉を吐いた。

 私はスイッチを必死に切り替えようとした。
 荒れ狂う感情を押しのけ、理性に判断を切り替えようと努力した。
 私の無意識が、再び強く手を握らせていた。手のひらに爪が食い込んだ。これで緑色の血が出たら笑えるな、いや泣くかな。感情が迷った隙に、理性が質問を絞り出す。
「なぜ私なんです?」
「理由などないよ、マコト君。君が臓器くじに当たっただけだ。機械の体とアユムの脳、2つの適合率に高い君が、たまたま見つかっただけだ。マコト君がいてくれれば私は、アユムと君のどちらとも、トロッコから救うことができる」
 心臓が跳ねた。本当に精巧な体だ、忌々しい、と思った。
「ノーと言ったらどうします?」
「君の脳を君の体に返すだけだ。あのリストを見ただろう。他の患者も、そうやって帰した。そして私は新たな体を探すことになる。何年、何十年かけたとしても。しかし信じてくれ、その場合は必ず元の体に戻す」
 男は真摯に語っているように見えた。心臓がまた跳ねた。信じるなと言っているようだ。
「嘘ですね。あなたにメリットはないでしょう」
「医師としての良心だ。と言っても、君は信じないだろうな」
 そうだな。信じろだなんて、虫のいい話だ。
「君の信念からしたら、今の君を君だと恣意的に断じればいいはずだ。そうすれば娘は助かる。お願いだ。君も親ならわかるだろう。私の、アユムを想う気持ちが。頼む、体を譲ってくれ」
 男は必死に訴えていた。私の理性は、それを遠くから冷たく見ていた。ドクドクという心臓の音がうるさかった。
 なんて都合の良い物言いだ。
 私の脳が熱くなるのを感じた。血管が膨張し、血流が増した。視界が赤くなったように感じた。

 ああ、それが体の、心の出した結論か。
 私は、怒り狂っていたのだ。
 私は、感情に屈服していた。理性は心の従者となった。

 私の体だったモノに繋がれた点滴。私はその袋をスタンドから外すと、床に叩きつけた。点滴袋から液が染み出した。汚いなと思った。
 私はスタンドに持ち上げて振り回し、槍のように肩に構えた。
 男はうろたえていた。ざまあみろと思った。
「体を譲るか譲らないか? 他にも選択肢はありますよ。
 一つ。あの体を破壊する。
 二つ。アユムを破壊する。
 三つ。あなたを殴り殺す」
「正気か!?」
 男は悲鳴を上げた。
 私は思わず笑みを浮かべた。いつも余裕があったあの医者が、いまは悲鳴を上げている。なんて愉快なんだろう。
「落ち着いてくれ、マコト君。君はもっと冷静な人間なはずだ」
「冷静になれっていうんですか? 私の許可なく、私の体を取り上げたあなたが!」
 私は叫んだ。男は黙った。
「一つ目。この国では自殺は犯罪ではない。私の体を私が破壊したって問題ないはずだ。あなたとアユムは体を得られず、私は元の体を失う。三方一両損だ。
 二つ目。この国では脳だけの人間を生きていると認めない。脳死だったら判例はあるだろうが、逆というのはね。それに、あなたが私を元の体に戻さないインセンティブを潰せる。
 そして三つ目」
 私はスタンドを床に叩きつけた。がしゃんと、思ったより大きな音が出た。
「あなたが提示したのは無意味な選択だ。あなたが私を、元の体に戻すとは思えない。
 ここの記憶が残ったまま解放される場合。私が警察に駆け込めば、あなたとアユムは終わりだ。だから譲渡の合意いかんに関わらず、あなたは私を消すしかない。
 ここの記憶が消えた状態で、解放される場合。私はなぜこの体になったのかを知らないまま、機械の体で過ごすことになる。三年後の不調についても、あなたに相談することを思い出せないだろう。つまり消極的に、あなたに消されることになる」
 するすると言葉が出る。この病院に来て、一番気分がいい。
 男は私の提案を聞きながら、アユムの脳を背に、馬鹿っぽく突っ立っていた。
「マコト君、そこまで私を信用できなかったのか」
「ゲーム理論的な考え方です。だから三つ目の理由は、正当防衛。そして私の復讐だ」
 いや、なにかがおかしい。理性が違和感を感じていた。
「そうか。マコト君、私は君を、そこまで怒らせてしまったのか。そこまで信じてもらえなかったのか。本当に申し訳なかった。本当に申し訳なかった」
 男は涙声でうめき、無防備に、頭を深々と下げた。
 話していて思った。この男の頭を叩き割るのが一番、安全で確実だ。
 私はスタンドを振り上げた。

再構築

 おかしい。待て。
 男の様子に違和感があった。
 男は相変わらず頭を下げたままだ。かすかに肩が震えていた。
 不可解な思考実験を偉そうに投げつけ、こちらの疑問は煙に巻く、あの気に入らない医者とは思えなかった。
 あの様子はまるで、本当に許しを乞うているようではないか。
 待つんだ。私は勘違いをしているかもしれない。
 心を鎮めるために、時間稼ぎをすべきだ。
「他に、何か隠していることはありますか?」
「マコト君。君が落雷にあったというのは嘘だ。君の適合率が高いことを偶然知り、電撃銃で君を撃ち、ここまでさらってきた。君の荷物もこの病院にある。本当に申し訳なかったと思う」
 電撃銃? 聞いたことのない単語だ。ああ、ロッカーの銃モドキのことか。
 あれがまだ動くなら、持ってきたほうが早かったかもしれないな。
 いや、そうじゃない。そうじゃないんだ。
「他には?」
「君の記憶が戻らない理由。半分は手術の後遺症だが、三日目の今日ならば快復しているはずだ。そしてもう半分は、私がプロテクトをかけている。これもあの種族の技術だ。だが、後で必ず戻す。信じてくれ」
「それで全部ですか?」
「それだけだ! 他にはなにも隠していない」
 アユムは。アユムのことが気になった。
「アユムさんは、このことを知っているんですか?」
「知らない。自分の状態さえ伝えていない。怖かったんだ! 何と言われるかを思うと」
 男は震えていた。

 そうか。違和感の正体がわかった。
 目の前の男は、不気味な医者などではなかった。
 ただの不器用な父親だ。
 娘を傷つけるのを恐れ。自分が傷つくのも恐れ。異形の技術で一方的に治療するために、他人を一方的に拉致し、脳を摘出した。
 それでも自分の心を守るため、説得の上で体を譲ったという形を取ろうとした。
 事情を話しても理解されないと決めつけ、怪しげな話で信頼関係を築こうとした。
 そのせいで私に警戒され、今、自分と娘の命を危険に晒している。
 自分を仮面で守って。自分の都合を押し付けようとしたから、このような結果を招いたんだ。
「マスクを、取っていただけますか?」
 私は可能な限り、穏やかに言った。
 男は黒い仮面に手をかけると、ゆっくりと外していった。ひどい火傷の痕だった。その目は怯えの色が濃い。だが瞳の奥に、強い決意を感じた。
 それもそうか。娘を守るために、こうやって私に立ちはだかっているのだから。
「マコト君。君が怒るのは当然だ。すまなかった。君を必ず元の体に戻すよ。記憶も戻す。私が信頼できないなら、そのあとで私を殺しに来ればいい。だからお願いだ、アユムにだけは手を出さないでくれ」
 先程までの私なら、嘘だと断じただろう。
 だが今は、本当は善良な男なんだな、と思ったのみだった。
 私は男を信用したんだな、と感じた。
 私は、改めてこの部屋を見回した。
 常夜灯だけが光るこの部屋は暗い。あの白くて忌々しい手術室とは大違いだ。
 いや、違う。この病院の禍々しさは、私の幻想だったのだ。
 ここは狂気の医者が生贄を捧げる、邪神の祭壇ではなかった。
 不器用な父親が哀れな娘のために、必死に祈る礼拝堂だ。
 その祈りを実らせるかは、私の意志次第なのか。

 意志。
 私自身の。
 恣意的に決めていいと言ったもの。
 では、誰が恣意的に決める?
 決めるのも意志だ。

 哀れな親子を見捨てて、私が帰還するだけでいいのか?
 私は後悔しないのか?
 トロッコ問題。利害関係がないなら立ち去ればいい。
 でももう、私は深く巻き込まれている。
 単なる第三者ではない。

 もし、彼らを助けるとしたら?
 足りないのも、意志だ。 

 この状況を、この物語を、どういう結末にするのか。
 恣意的に決めるべきだ。我々の意志の力で。

 私は振り上げていたスタンドを下ろした。
 そして、私は言った。
「交渉をしましょう」
「交渉?」
 男は怪訝な眼差しを向けた。視線も立派な情報だ。やっとスタートラインに立てた、と思った。
「私は、あなたを信じることにしました。」
 私はスタンドを床に立てた。そして手をかけ、寄りかかった。
「信じてくれるのか!?」
「ええ。ですから、交渉をしましょう。条件次第では体を譲ります。先程の狼藉も謝罪します。ただ、条件が折り合わなければそこまでだ。どうでしょう?」
「わかった、条件を聞こう」
 男は息を呑んだ。
「まずは、もうひとりの関係者を呼びましょう。アユムさんを」
「アユムを巻き込むのか!?」
「彼女はもう巻き込まれているじゃないですか。彼女抜きで交渉を進めるのは、不公平だ。彼女にとって」
「そうか。そうだな。君は公平性を大切にしていたな。アユム、起きてくれないか」
 機械に手をかけて男が言うと、水槽に緑の光が戻った。
「あ、お父さん、おはよう」
 アユムの可愛らしい声だった。
「おはよう、アユムちゃん」
「あ、マコトおじさん! よかった、またお話できるね、うれしいよ!」
「そうだね。アユムちゃん、お父さんからお話があるみたいだ」
 男は驚いて私を見た。
「ではあなたの口から、彼女の状況と、私がここにいる理由を説明してください」
「なんだと!?」
「必要なことです」
 私もまっすぐに彼を見た。
 男は少し逡巡したが、やがて決心を固めたのか、ぽつぽつとアユムに話し始めた。
 アユムは小さく相槌を打ちながら、しっかりと話を理解した様子だった。やはり聡明な子だ。自分の状況、そして父がやっていたことを以前から感づいていたのかもしれない。
 話が終わり、二人は黙っていた。
 アユムは何を話すのか。
「お父さん」
「なんだ、アユム」
「ありがとう、話してくれて。それに、今までつらかったでしょ。ごめんね」
「いいんだ。いいんだ、アユム。お前のためならば」
 男は肩を震わせて、泣いていた。
「マコトおじさんも、ごめんなさい。あたしのせいで、お父さんがひどいことをしちゃったんだね」
 君は本当に優しい子だな。
「アユムちゃん。私は、私の体を君に譲ってもいいと考えている」
「え!? ダメだよ、そんな!」
「私がいいと言っているんだ。もし君が望むなら。君のお父さんは、それを心の底から望んでいる」
 男は嗚咽を漏らしながら、頷いた。
「だけど、条件がある」
「じょうけん?」
「君は、こんなおじさんの体を得ることになる。元の女の子の体じゃない。普通の生活に戻るためには、地獄のようなリハビリが待っているだろう。手足の長さが全く違うからね」
「うん」
「それに性別も違う。この先脳が成長していったら、体との違いに苦しむことになる。年齢だって大きく違う。まともな恋愛はできない。結婚なんてなおさらだ。小学校には行けないだろう。医者になるための学校にも行けるかどうか。友達すら、できないかもしれない」
「うん」
「私の体を得た君は、これから何度も、死にたくなるような試練に出会うだろう。それでも君は、私の体と君自身を大切にしてくれるだろうか。最期まで諦めずに生きていけるだろうか」
 そう。体を譲ったとしても、彼女がこの先、自殺を選ぶ確率は高い。
 残酷な質問だろう。しかし、彼女の覚悟なしに体を譲ったところで、確実に無駄になる。
 男は沈痛な面持ちで、アユムの脳を凝視した。
 重苦しい沈黙が部屋に満ちた。

「お友達ができないって言ってたけど、マコトおじさんは、友達のままだよね?」
 声を上げたのはアユムだった。
「ああ。そうだな。いや同じ体だったら、兄弟みたいなものだな」
「ほんと!? あたし、お兄ちゃんがほしかったんだ。マコトお兄ちゃんだ!」
 お兄ちゃんお兄ちゃん、とアユムは無邪気に笑い声をあげた。
「それならあたし、がんばれると思う! ううん、絶対がんばる!」
 少女は力強く言った。

 これで、条件はそろった。必要な意志はすべて。

 娘を思う、父の意志。
 父を赦す、娘の意志。
 強く生きるという、彼女自身の意志。
 そんな親子を応援したい、私の理性と感情。

「わかりました。体を譲ります」
 私は男に言った。
「いいのか、マコト君!?」
「ええ。条件は達成されました。そしてここまでの狼藉、大変申し訳ありませんでした」
 私は頭を下げた。
「いいんだ、いいんだよマコト君。本当にありがとう。本当にありがとう!」
 男は私に駆け寄り、手を握った。
「メンテナンスはお願いしますよ?」
「もちろんだ。任せてくれ。アユムのためにも」
 男は力強く頷いた。
「うまくメンテナンスすれば、元の体より健康になったりしませんかね?」
「できるかもしれないな。これは研究しがいのあるテーマだ」
 男は微笑んだ。私も笑った。
「お兄ちゃん、ありがとう。あたし、がんばるね」
「ああ。今までありがとう。これからもよろしく。頑張れよ、アユムちゃん」
 アユムも微笑んでいるような気がした。
「では、記憶を戻す準備を始めよう。改めて、本当にありがとう。おやすみ、マコト君」
 男の手が私の額に触れた。
 温かい手だな、と思いながら、私の意識は混濁していった。

断絶(ニ)

 これが、あの三日間で起きたことだ。
 あと、私が歳を取らなくなった理由。
 そして、彼女の正体の物語だ。

 きっと君は「彼女は女じゃないか」と言うだろう。そうだ。あれから一年、彼女がリハビリを卒業した七月九日。私と彼は相談して、彼女に性転換手術を提案したんだ。最初は固辞されたよ。「体を傷つけることになってしまう」と。怒ってすらいた。でも、彼女の脳の成長を考えるとそのほうがよかったし、性はあの体の本質なんかではない。そう説得したら、わかってくれたよ。

 彼はあの病院の経営を続けながら、私のメンテナンスをやり続けてくれた。本当に律儀な男だったし、いい友人だった。何度も呑みながら、あの三日間の話をしたよ。最初はあんなに警戒してたのにと、いつも大笑いされた。
 彼は数回、体の交換もしてくれた。歳相応にしてくれと頼んだが、彼の技術では難しいと言われてしまった。ITエンジニアだった私としては、これ以上体力が減らないのはありがたかったし、肩が凝らなくなったのが最高だ。貫禄が足りない分、仕事に苦労したが。

 先日、その彼が死んだ。それが、これを書いた理由だ。
 彼女と私に看取られ、満足そうな顔で死んでいった。
 彼はあの技術を誰にも明かさなかった。私や、彼女にすらだ。
 彼女は、それを人類の科学で再現するため、ある研究所に入っていた。私を助けるためらしい。
 彼女は葬式で号泣し、必死に私に謝っていたよ。君も聞いていただろう。ごめんなさい、研究が間に合いそうにない、と。一番辛いのは自分だろうに。本当に優しい人だよ。
 ちょうどこの体も耐用年数が過ぎようとしていた。脳の命令どおりに手足が動かなくなってきた。消化器系も、呼吸器系も機能が低下していた。何度も起こったことだから、わかるんだよ。
 それに、いま機能を停止したら一騒動だ。事情を知らない医者に体を見られてしまったら、君やお母さんにも迷惑がかかってしまう。

 だから、彼女のところに行こうと思う。残り少ない時間を、彼女の近くで過ごすんだ。

 生きているうちに、たっぷりデータを取ってもらう。
 そして、死にたてのこの体を解剖してもらう。
 それで、彼女の研究は飛躍的に進むだろう。
 これは、人類への貢献だ。ああ、私らしくないな。
 彼女の研究所はそうとう機密性が高いらしい。一般人は立ち入りできないそうだ。
 だから、私を探さなくていい。心配も無用だ。
 私が死んだら、きっと彼女が連絡してくれる。
 前から覚悟していたことだ。問題はないよ。

 それに、私は満足だ。
 君やお母さんにまた会えた。
 君の伴侶、そして孫まで見ることができた。
 もし君に困ったことがあったら、彼女を、アユムさんを頼るといい。お母さんにもそう伝えてくれ。
 それじゃあ。
 ありがとう。
 さようなら。

(了)


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