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そこで完結するデザイン。

地産地消、”コト“、民藝など多くの言葉が生まれ、もしくは再利用され消費され忘れ去られて行っているのだと思う。結局、そこに乗る人たちはその波に乗ってさえいればそれで良く、事実を置き去る事で次に進む原動力にしているフシすら感じられる。“毎日が新しい”果たしてそうだろうか。
ただはっきりしているのがその波がバイブルの様な物に書き加えられる事によって再度消費されるのを待っている。

田舎が大きくコロナ禍で注目される中、言葉だけが先走り、都会で編集され消費される。この構造が悪いとは全く思わない。
ただ根本的な地方のデザインの問題は何なのか。地方で有名な産地には必ず最盛期がある。その産業が大きくなる時、街の人口が増え仕事が分業制になり効率が良くなる点が過疎化に向かう事でそこで仕事効率が悪くなる点では無いか?と仮説を立てている。
話しをウィーン/オーストリアに移す。
私達のカバンに使われている牛の角は実はウィーンで生産されている。最盛期にはオーストリア全土で80社程あったそうだが、第二次大戦で減産が進み、戦後、多くの需要をプラスティックに取られ、今では彼ら1社のみ。とても悲しいストーリーに感じるが彼らに悲壮感がある訳でなくとても楽しんでやっている様に感じる。生産の方法に目を向けてみたいが、想像をして欲しい角の形、角の先は詰まっていてその部分をティップと言う。そこを切断すると空洞の円柱形になりその1箇所を切り熱し、特殊な機械に入れる事で平らになる。そこからプレス器で更に圧力をかけ平にしていく。そこで恐らく昔は手作業で切ったりして整形していた工程に今はCNCマシーンが取り入れられデータ入稿するとアームに取り付けられたドリルが形を切り取るという効率化が見られる。恐らく多くの最盛期を迎えた工場に年代から考えるとこの機械は無かった様に思われる。会社の規模にすると小さな会社だが、多くを手作業で賄っているのは変わらない事実だが、所々に効率化の跡が見える。この小さな工夫に分業化した地方を支えるヒントがあるのでは無いかと感じている。

少し視点を変える事で見えなかった問題が理解出来る様になる。自分の理解力の無さはそこまで時間が掛かるというデメリットがメリットに繋がるケースが多くある様に感じる。
そんな事を考えながらペッツの工場から角を受け取り、カールオウボックのアトリエまで路面電車に乗りながら、考えたデザインの距離と物流。
という、そこで完結するデザインというお話し。

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