これまでパネテリエを運営していて、私はある種の表現者として、その価値や想いをアイテムに込めながら、掲示物やプライスカードなどにもその一部を記載して、お客さまへ訴えかけるように我々の作品のような商品を世に送り出してきました。
安く手軽に何でも手に入る今の世の中で、本来の「豊かさ」や「本質」などを訴え続けて参りましたが、プレゼンテーションの方法が悪いのかもしれません。
それが全く伝わらない方がいらっしゃいます。
肌感覚で言うと、多分、場所にもよりますが、路面店などに出店しても道ゆく人の10人に1人くらいの方には全く伝わっていないように思います。多くの方に支持いただけない事は慣れているので、それを深追いすることは避けるように決めています。
しかし、見過ごすことのできない存在として、お客さまではなく、我々を応援するような立場の方々の中に、「商売とは、仕事とは、豊かさとは」という風なところの考えが私とは全く逆であるにもかかわらず、賛同する立ち位置で会話を進める方がよくいらっしゃいます。
表面上ではとてもにこやかだったり、売り上げを気にしてくれたりするものの、世の中を図る「ものさし」なのか、会話をする「言語」なのか、尺度や世界が違うところで共感、応援してくださいます。
本来、これが単なるビジネスで、消耗品のようなブランドであればニコニコしながら揉み手の中の手の甲をつねり、頭を下げていれば良いのだと思います。しかし、どちらかというと我々は「商売人」ではなく、「表現者」として世の中に「食」というパフォーマンスを通じて訴え続けるために日々仕事ではなく活動をしているつもりでいます。寝ずともパンを焼いたり、真剣に動物達と会話したり、巨大なテーブルをいちいち運んだり。そうやって自己主張を諦めず表現を続けています。
色々な表現方法がありますが
その表現のひとつとして、百貨店で「街のパネテリエ」というイベントをやらせていただいています。その店内に掲示しているものを少し披露させていただきますね。
文字だけの白い写真サイズのポップです。
百貨店1階の正面入り口前で4店舗分も使わせていただきながらやる「街のパネテリエ」という販売会は、本当はお客さまとこんなお話をしたいからやっているようなイベントです。伝えたい事だらけです。
本物を提供したい
この度、そのイベント内で友人の手回しオルガンを演奏してもらいました。偶然居合わせた方々はその風貌と大きな音で目を丸くして集まっていらっしゃいました。
そして、その人混みの中に一人の上品そうな白髪のお婆さんが、目を潤ませて、体を揺らしながら聴いているのを見つけました。
私は「近くで聴いてくださいね」とお伝えしましたが、1曲終わるたびに立ち去る方も多く、いつの間にか一番前の真ん中になってしまいました。
立ち尽くす小さく丸い背中、みんながスマホをかざしている中で、ひとり俯き両手を合わせ、オルガンに吸い込まれてしまいそうなくらい前のめりの小さなおばあちゃん。
約20分全ての曲が終わってから私に近寄り、マスクの下から震えるような声、少し覗いた頬は赤らんでいて「本当にいいものを聞かせてもらったわ。本当に良かった。本物よね。本物。ありがとうね。ありがとう。」
そう言ってくださいました。
この出会いをつくりたかった。ただそれだけ、街のパネテリエは今回も大成功です。街のパネテリエとしては本当にこれで充分なんです。あとは百貨店さんが喜んでくれるような売り上げになれば尚良し。です。お金は後からきっとついてくるんです…多分、きっと…。わかりますよね?
これを客寄せだと思う方もいらっしゃると思います。しかし、私の大切な友人にそんなことはさせませんし、決して安いものでもありません。
せっかくの檜舞台でいつも遊んでばかりだと自分でも思うことはありますが、真剣に遊ぶと、おばあちゃんが喜ぶ。
パネテリエは、いつでも「その程度」共感を求めて、本気で取り組んでいます。そして、こんな風な事すれば、お客が増えるのか…とか、パネテリエはうまいことやってるな。とか。きっとそういう世界の人は感じるのでしょうね。そして、お客さまです。わからないでしょうけど。
という自己主張です。ややこしでしょ?
また人が離れていきますね。