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共感の程度

これまでパネテリエを運営していて、私はある種の表現者として、その価値や想いをアイテムに込めながら、掲示物やプライスカードなどにもその一部を記載して、お客さまへ訴えかけるように我々の作品のような商品を世に送り出してきました。

安く手軽に何でも手に入る今の世の中で、本来の「豊かさ」や「本質」などを訴え続けて参りましたが、プレゼンテーションの方法が悪いのかもしれません。
それが全く伝わらない方がいらっしゃいます。
肌感覚で言うと、多分、場所にもよりますが、路面店などに出店しても道ゆく人の10人に1人くらいの方には全く伝わっていないように思います。多くの方に支持いただけない事は慣れているので、それを深追いすることは避けるように決めています。

しかし、見過ごすことのできない存在として、お客さまではなく、我々を応援するような立場の方々の中に、「商売とは、仕事とは、豊かさとは」という風なところの考えが私とは全く逆であるにもかかわらず、賛同する立ち位置で会話を進める方がよくいらっしゃいます。

表面上ではとてもにこやかだったり、売り上げを気にしてくれたりするものの、世の中を図る「ものさし」なのか、会話をする「言語」なのか、尺度や世界が違うところで共感、応援してくださいます。

本来、これが単なるビジネスで、消耗品のようなブランドであればニコニコしながら揉み手の中の手の甲をつねり、頭を下げていれば良いのだと思います。しかし、どちらかというと我々は「商売人」ではなく、「表現者」として世の中に「食」というパフォーマンスを通じて訴え続けるために日々仕事ではなく活動をしているつもりでいます。寝ずともパンを焼いたり、真剣に動物達と会話したり、巨大なテーブルをいちいち運んだり。そうやって自己主張を諦めず表現を続けています。

色々な表現方法がありますが

その表現のひとつとして、百貨店で「街のパネテリエ」というイベントをやらせていただいています。その店内に掲示しているものを少し披露させていただきますね。
文字だけの白い写真サイズのポップです。

給食で
小さな頃、メラミンの食器に白いご飯。飲み物は牛乳で育った私たち。
これは廃校になった小学校の給食かご。
安心、安全だと思ってた無菌の牛乳、機械で作るために均質化されたジャムやパン。
親を離れ、大人になって、自分で食器を選び、自分で食べるものを選べるようになって、本当にちゃんと選べているのか、与えられたものではないから不安だったり、安全安心な食品って、具体的にはどういう事なのだろう。なんて、そんな事を考えています。
美味しいという事への基準、まだまだ伝えきれない事がたくさん。作っている私たちと直接お話する事で、たとえばこの給食カゴをきっかけに、知っていただきたい、考えていただきたい。
そんな気持ちでお持ちしました。

例えばテーブル
霧の深い京都の北の山の中。巨大な杉の林の間に突然現れる集落の片隅で古い古い日本家屋に暮らす2人に出会いました。
2人の名前は2m26。メラニーとセバスチャン。
日本の建築が大好きでフランスから飛び出してきた二人は、日本の古来からの木造建築などを学び、
やってみて、眺めて、考えて。
まだ日本語のわからないセバスチャンとの朝ごはんで、私の口からTerroir(テロワール)の言葉を見つけて、突然嬉しそうに話し始めてくれました。
そんな二人の作ってくれたこのテーブルには、二人のパネテリエへの気持ちがしっかりと乗っている気がします。とっても重たいから、なんだか嬉しい、車に入りきらないなら、車の方を大きくすればいい。そんな什器で今回もお邪魔しました。

テーブルがさらに大きくなりました
パネテリエのある田舎町では古くからある最後の製材所も随分前に閉鎖となってしまいました。
その倉庫に眠るたくさんの角材たちを譲り受けて、荒いながらもテーブルを仕立てました。
買った方が、注文した方が、早くて安くて安心です。なのにわざわざ、閉鎖した製材所の持ち主を尋ねて、話して、作って、運んで。世の中の流れにちょっと逆らった活動を通じて、今の時代の消費について皆様と一緒に少し考えられたらなと、そんな思いでお持ちしています。
一見すると何とも雑なテーブルですが、家になることも、納屋になることもなく埃をかぶって眠り続けたこの角材が、今日、広島の街の真ん中でスポットライトを浴びて他の柱の羨むような檜舞台になりました。

例えばレモン
普通の栽培では出せない丸い酸味と透き通る香り、心地よい苦味に理由を見つけました。
レモンって、辛いほど酸っぱくて、皮はゴリゴリ硬くて苦くて。僕たちがこのレモンに出会うまではそれが当たり前でした。
その畑では、効率的に収穫するために規格化された栽培計画とは全く異なるものでした。
私の知っている苦いレモンはレモンの苦味ではなくて薬の苦味、むしろ辛さだったのです。
肥料を与えるくらいなら、そっと話しかけてあげる。そんな育て方のレモンは、とても美しく大きく育っています。人の都合よりレモンの都合。果実はレモンの木からのご褒美なんだと気づかせてくれた瀬戸田のれもんだに農園さんと佐木島の子供たちの未来農園さんに感謝。

プリンなんて
パネテリエにはたくさんの鳥たちがやってきます。お庭に暮らすアヒルが苦しそうに卵を産むのを目の当たりにして、鳥の産卵について、真剣に考えました。今朝食べた卵はどんなニワトリが産んだんだろう。そう考えはじめると止まらないのがパネテリエ。それまでプリンなんていらないよと、お店の商品リストから外していました。
卵を産んでくれる鶏は必ずお母さんで、何年か生きてきて、安全そうな場所をソワソワ探して、こっそり産んでしゃがみ込んで、しばらく遠くを見つめて...。
パネテリエの卵は全部、幸せに暮らしている事がわかった養鶏場さんから購入して大切に使わせてもらう事にしました。
命ってなんだ。そんなことを思いながら割る卵に、ありがとうと自然に声の漏れる、そんなプリンです。

パンやお菓子
パネテリエで作るパンやお菓子たちは普通の物ばかりです。
パンって、小麦粉をコネて、時間をかけて酵母で膨らんで、しっかり焼いて。お菓子って、大切に卵を割って、砂糖を混ぜたらバターを溶かして。お家で作るのとほとんどおんなじです。
もっとたくさん作るための便利な機械や、もっと原価を安く作るための添加物や材料がたくさんあって、ただ普通のパンを焼きたいだけなのに、技術なのか奇術なのか、お客さまの想像を超えた作り手売り手に便利なやり方がたくさんあります。
それも進化で、寝不足のたくさんのパン屋さんやケーキ屋さんが救われています。
夜明け前、普通にパンを焼いて、普通に動物たちと暮らし、寒い冬種を撒いて、朝日の中で花を愛でる。
ただそれだけなのにいつの間にやら、私たちが珍しい存在になってしまっているようです。

百貨店1階の正面入り口前で4店舗分も使わせていただきながらやる「街のパネテリエ」という販売会は、本当はお客さまとこんなお話をしたいからやっているようなイベントです。伝えたい事だらけです。

本物を提供したい

台風の中駆けつけてくれたムッシュ トマ


この度、そのイベント内で友人の手回しオルガンを演奏してもらいました。偶然居合わせた方々はその風貌と大きな音で目を丸くして集まっていらっしゃいました。

そして、その人混みの中に一人の上品そうな白髪のお婆さんが、目を潤ませて、体を揺らしながら聴いているのを見つけました。
私は「近くで聴いてくださいね」とお伝えしましたが、1曲終わるたびに立ち去る方も多く、いつの間にか一番前の真ん中になってしまいました。
立ち尽くす小さく丸い背中、みんながスマホをかざしている中で、ひとり俯き両手を合わせ、オルガンに吸い込まれてしまいそうなくらい前のめりの小さなおばあちゃん。
約20分全ての曲が終わってから私に近寄り、マスクの下から震えるような声、少し覗いた頬は赤らんでいて「本当にいいものを聞かせてもらったわ。本当に良かった。本物よね。本物。ありがとうね。ありがとう。」
そう言ってくださいました。

この出会いをつくりたかった。ただそれだけ、街のパネテリエは今回も大成功です。街のパネテリエとしては本当にこれで充分なんです。あとは百貨店さんが喜んでくれるような売り上げになれば尚良し。です。お金は後からきっとついてくるんです…多分、きっと…。わかりますよね?

これを客寄せだと思う方もいらっしゃると思います。しかし、私の大切な友人にそんなことはさせませんし、決して安いものでもありません。

せっかくの檜舞台でいつも遊んでばかりだと自分でも思うことはありますが、真剣に遊ぶと、おばあちゃんが喜ぶ。

パネテリエは、いつでも「その程度」共感を求めて、本気で取り組んでいます。そして、こんな風な事すれば、お客が増えるのか…とか、パネテリエはうまいことやってるな。とか。きっとそういう世界の人は感じるのでしょうね。そして、お客さまです。わからないでしょうけど。

という自己主張です。ややこしでしょ?
また人が離れていきますね。


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