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わたしが考える「情報」
どの媒体からどの情報を得るか、
その選択のセンスのようなものが
非常に重要であると感じることが増えた。
手元にはいつもスマートフォン。
複数のSNS、発信者、データ、観点。
何から検索するのか、AIに答えを求めるのか、
はたまた誰かにアドバイスを求めるのか。
強い口調や言い回しに騙されてはいないか。
真の情報であるか。
情報を収集しすぎていても、
自分の現実はひとつしかない。
情報を取り入れすぎると脳がパンクしてしまう。
幸せになりたいから情報を集めてたのに、不健康である。
偶然が好きだ。
偶然、観たドラマで得る考え。
偶然、見かけて気になったお店。
偶然、通りがかった道。
偶然、思いついたアイデア。
でも、偶然にはどこかで形成された自分というフィルターが必ず。
個性をだそうとか、なぜか自分にはしっくりこない。
自分というフィルターはどこかで拾ってきたものの塊だと思っているから。この部分が矛盾していて、形のあるものではないから、
しっくりこないのだろう。
なにから情報を得るか、なにを根拠に決めるかが個性の素なのかも。
信じたい情報や根拠が見つかると安心する。
いつも探している。
本音なんてすぐ変わるし、隠れたりするし、あてにならない。
今日はここまで。2024年11月19日