【連載小説】企業のお医者さん 第2話 #創作大賞2024
2 高校
昭和15年郡山市の西に隣接する富田村に陸軍部隊が設置され、17年には東に隣接する守山町に海軍航空部隊が設置された。
第二次世界大戦の戦火が増し郡山市も戦時色一色に染まろうとしていた昭和19年4月、久志は旧制安積中学校に入学した。同年、郡山市は国から軍都の指定を受け、これまで以上に陸軍・海軍の拠点や軍需工場が整備されることになった。
先の見えない戦争、将来の見通しが立てにくく食料や物資が少ない生活であったが、久志の兄姉はそれぞれに働き口を見つけ家族の糊口を凌いだ。郡山に転入してきた純粋な街っ子である山部家族には、田んぼも畑も頼る親戚も無く、この時期の食糧事情はかなり苦しかった。家族で稼いでも、稼いでも食糧や燃料の高騰に追いつくことができず、食糧事情は困窮する日々だった。
「俺もどこかで奉公して稼ぎたい。兄さんや姉さんのように、家にお金を入れたい」
久志は何度か家族に提案したが、誰からも賛同は得られなかった。
「久志はせっかく勉強が出来んだから。上の学校を目指して、医者とか弁護士になって、稼いだ方がいい」
というのが久志以外の家族の総意だった。そして口には出さないものの
「久志は虚弱体質な上、左耳も聞こえが悪いようだ。普通の働き口では勤まらないだろう。せめて勉強して資格を得ることで、将来食うに困らないようにさせたい」
というのが家族の想いだった。
昭和20年5月、久志が中学2年の春から夏にかけての激しい戦禍は、郡山の軍需工場や軍基地を中心に大規模な空爆被害をもたらした。学徒動員されていた高校生にも多くの犠牲者が出た。
戦争による死の影におびえた日々は、同年、太陽が照り付ける8月15日に日本が敗戦を受け入れることで終結した。
この日を境に久志は「学校を止めて働く」という話をしなくなった。戦後の激動の時代が来ることを感じながら、将来のために勉学に励む意識をより強くしたようである。
この時期、山部家の近所では夜に道案内をする際に
「あそこの灯台を過ぎて、右手の三件目ですよ」
「あそこの灯台を過ぎて、2番目の角を左に曲がってください」
という話がされていることがあった。もちろん福島県の内陸地である郡山市清水台に「灯台」は存在しない。夜中まで勉強に励む久志の部屋の電灯がほぼ一晩中灯いているため、「灯台」と称されていたのである。偶に電気が消えていると
「故障(病気)でもしているのかねぇ。心配だね」
という会話がされることもあったらしい。
トキ子の仕事が産婆という命を扱うものであり、また自身の虚弱な体を何とかしたいという想いもあり、医師を目指したいと考えていたことも、久志が勉学へ取り組む力となった。
そのためには大学に進学する必要があり、家族に負担をかけることに抵抗感を抱いたが、家族は誰一人反対しなかった。反対どころか
「久志を何としても大学に行かせよう」
と一致団結して応援することで家族の絆が強まった。家族にとって久志の進学は家庭の未来だけではなく、敗戦から復興を目指す希望の象徴となるものだった。
昭和21年に郡山市は戦災復興都市の指定を受け、商工業都市へと大きく舵を切った。海軍航空部隊の跡地は、日本大学工学部が誘致されるとともに、住宅地や工業団地として整備されることになった。
久志は家族の期待に応えるべく勉学に励んだ。昭和23年の学制改革により、旧制安積中学校は新生県立安積高校となり久志は6年間同じ場所で学んだ。
安積高校では校訓として「文武両道」「質実剛健」「開拓者精神」を掲げ、総称して「安積の精神」としている。久志もこの精神を心の柱とし、勉学だけではなく化学クラブ、生物クラブ、ハーモニカクラブを掛け持ちして、クラブ活動にも熱心に取り組んだ。
特に化学クラブと生物クラブは、医師を目指す上で役立つことと考えており、将来の夢に繋がる活動として夢中で取り組んだ。
ところが高二の進路相談の際に医師への夢は絶たれた。幼少の頃から左耳の難聴を抱えていたが、その難聴が医師に必要な能力が欠けることにあたるとして、受け入れる医科大学が無いことが判明したのである。多感な高校生であれば、自暴自棄となり道を踏み外してもおかしくない状況だったが、久志は踏みとどまった。医師への道が消えても、母や兄姉の期待に応えたい。自分が生きる道を自分で狭めては勿体ない。
『オレハ ナガイキガ デキナイダロウ』
その影は高校時代にも消えることは無かった、家で勉強しているふとした拍子にその影に全身を包みこまれ一人涙することもあった。
「だけど、だから、自分の命を無駄にはしたくない」
確固たる意志が久志の心身を支え、安積高校の中でも抜群の成績を残すことに繋がった。東大に進むことも期待できる成績だったが、治安や食料事情が悪い東京で、病弱な久志が生活することを懸念したトキ子を安心させるため、東北大学に進学することにした。
高校卒業時には、成績人格が優秀な生徒に贈られる「樗牛賞」を授与され家族を喜ばせた。
同級生の中で三人だけに贈られた栄誉である。
(第2話 おわり)
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