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黒田製作所物語 第2話 #創作大賞2024

2 街を駆ける


 俗な言い方をすれば、「黒田商店は当たった」。

 終戦前後のモノ不足、大東亜戦争が終結したことによる復興需要は黒田商店への追い風となった。鍋、釜などの什器、家財道具はもとより農機具などの補修、機械の修繕、小型工作物の製作など、多くの物資に対する需用が生まれていたが、それに対応する生産力は小さく溶接機による鋳物・溶接を行うことができる黒田商店は郡山においても稀有な存在となった。
 モノは富の象徴となり人は多くのモノを要求した。また郡山の中心産業である農業・工業界は生産力向上のための道具を必要としていた。このような時運が黒田商店に味方をした。
 地の利もあった。溶接機には安定した電力が不可欠であるが、当時の郡山は全国的にも珍しい安定した電力を比較的安価に仕入れることができる都市であった。明治初期に行われた「安積疏水の開さく」と言われる大型の国営事業は、広大な荒野に農業用水・飲用水の恵みばかりではなく、水力発電による豊富な電気をもたらしていた。この電気が軍需産業の立地につながり郡山大空襲を招いた面も否定はできないが、復興に向けた都市において安定した電力供給は生命線であり、黒田商店には大きなアドバンテージとなった。当時は個人宅のような黒田商店においても事業用の大型電力契約が可能であり、電力供給と設備を増やすことで高まる需要に対応することができたのである。
 また、郡山駅があることも優位となった。国鉄の東北本線・磐越東線・磐越西線が交わる郡山駅は鉄道の要衝であり、国鉄から直接には発注されないものの、国鉄関連業務が黒田商店の主要な業務として経営を支えた。店が駅に近接していることもあり、夜間に突発的な業務が飛び込んだ時も虎一は断ることなく現場に駆けつけ働いた。

 そして、何よりも大高に代表される人の縁が黒田商店を支えた。帝国紡績郡山工場は撤退することなく再建された。大高は継続して工場長を務め手腕を発揮した。大高に対しては役員として本社に招こうとする誘いもあったが工場に残り続け、紡績から建材、産業機械など多角的に生産品目を増やしていく工場と従業員を支えた。そして自社の仕事を黒田商店に発注するばかりではなく、地元経済団体での寄り合いでは虎一を積極的に紹介し、己が持つ人脈を引き継ぐかのような振舞いをすることが多くあった。
 業種を問わず溶接の技術を必要とする企業は多かった。また、虎一の溶接技術は様々な依頼を受けることにより腕に磨きがかかり、さらに顧客を呼び込む結果となった。溶接業を中心とする黒田商店は、1年を要することなく郡山という都市に必要不可欠な存在となっていた。

 晩年の虎一が当時のことを語ることがあった。
「会社として大きくなる時期もやり甲斐はあったが、楽しかったのは店を立ち上げ、数人の弟子と柱と屋根しかないようなバラックで仕事していた時だな。毎日仕事が来るかどうかもわからない、どんな仕事が来るのかもわからない。けどそれがまた面白いのさ、何をどうするか手探りで作業して、夢中で取り組んで、お客に喜んで貰えて、機械が故障すれば自分達で修理して。明日のことも覚束ない毎日だったが不思議と仕事と飯は続いたんだ」
 個人商店ではあるが仕事があるので「働きたい」と願う者も集まってきた。作業場の狭さや設備の関係から全員を受け入れることはできなかったが、可能な限り受け入れ仕事を教え賃金を渡した。
 虎一は口数が少なく手取り足取り教えるタイプでは無いが、弟子から尋ねられれば自分の知識と経験を惜しみなく伝えた。
「黒田は給料を払いながら、商売敵を育ててやがる」
と揶揄する者もいたが虎一にしてみれば同業者は敵では無い。寧ろ「溶接道」という悠久の昔から続く遙かな道を歩む仲間であり、弟子たちは未来への希望であると考えていた。

 この頃の虎一は、起き抜けに家の外に出るのが習慣となっていた。天気商売ではないのだが雨の日は客が少ないこともあり、天気を確認しながらその日の作業工程を考え、朝日を受け生があることへの感謝を天に祈る日々を続けていた。特定の宗教に拠ることがないことから無神論者に見られることもあるが、目に見えぬ何かに生かされているのではないかと思うことが多くあった。
 終戦間際に所属していた隊が縮小され帰国できたことが「生かされている」という思いを強くしていたのかも知れない。あの時期に帰国できなければ自分は生きていないかも知れない。異国で命を落とした者や帰国できずに残された者を思う時、自分が生かされていることの意味を考えた。誰にも語ることができない暗い意識が常に胸の中に存在していた。
 いつものように玄関を出たところ足元の大根が目に入った。思い当たるのは前日の夕暮れに訪れてきた農夫である。
「持ち合わせがねぇんだけど、コレ使えるようにして貰えんか。今直ぐ」
猫背姿が特徴的な農夫はおずおずと切り出すと、柄と歯床部がグラグラに緩んでいる鍬を虎一に見せた。虎一は無言で受け取ると、目で椅子を勧め直ぐに作業に取り掛かった。柄の部分にある楔を溶接して補強するとともに金具で繋ぎ、刃先を研いで農夫に戻した。
「このくらいで良いか。銭はある時でいいから他にもあれば請ける。まぁ手間賃と仕事が見合うと思ってくれたらだけど。今回はそうだなぁ」
虎一は少し思案した後、かけうどん一杯程度の対価を示した。只で引き受けるくらいの気持ちで鍬を受け取ったが、大切に使用してきたことが感じられる道具に対し対価を受け取らないことは失礼だと感じた。また今後も顧客として付き合うためにも一定の対価を受け取ることが必要だとも考えていた。
 農夫は金額を了とし、何度か礼をいうと来た時とは別人のような晴れやかな顔で背を向けた。店を出る時に「後で届けるから」と話したような気もしたので、それがこの大根なのだろう。実直そうに見えた農夫は夜明け前に置いて去ったらしい。

 (人の営みというのはそう変わらないのかもなぁ)
 溶接の技術は奈良や鎌倉の大仏にも使われていたが、弥生時代にも金属を溶かし繋げる技術は存在していたという話を聞いたことがあった。その頃からこうして道具を直すことで糧を得る者もいたのかも知れない。虎一が住む町の東には大規模な古墳跡がある。その時代から農業を営む者、溶接の業を活かす者、支え合いながら人は生活してきたのだろうか。
(昭和になっても同じか)
 戦火により家財や建物が、命が奪われたとしても残された命はまた未来に向かい歩みを続けるのだろう。自分もあの農夫もその歴史を紡ぐ一人なのだろうか。自分が歩く溶接道はこの先どこまで行くのだろう。近年では大きな造船工場にも溶接技術が取り入れられているとも聞く。いずれは航空機や宇宙船にまで溶接技術が必要とされるのかも知れない。
(まだまだ精進しなければ)
 朝日を浴びる虎一の体に気が満ちてくる。顧客のためにも次代のためにも自分の腕を磨いていく、技術を誰かの力にするために歩み続ける。今の自分の技術は溶接道の中で、どのような位置にいるのか。近隣の同業者と比べたら技術は負けないと自負しているが、全国では多くの熟練工が鎬を削っているだろう。平和な世界が続けばその猛者達と腕を競うこともできるのかも知れない。その日が来たら是非競い合いたいものだ。
 夢のようなことを考えた自分を打ち消すかのように、首を横に振り一度大きく背伸びをした後、足元にある大根の束を抱える。昨日の手間を考えればこれだけでも十分な対価になり得るが、あの農夫はいずれ金を持参するだろう。できればもう一仕事、二仕事をしてやりたいものだ。
 そんなことを考えながら家の中に戻った。

 時代が進み、店が大きく日本が豊かになるにつれ、農具や鍋・釜を持ち込む客が少なくなることに寂しさを感じる時もあったが、仕事に対する虎一の姿勢は変わらなかった。
「誰かの役に立つために腕を振るう」
黒田商店の原点であり全てとも言えた。自分が腕を磨くことが顧客のためになる。自分の技術を弟子に伝えることが次代のためになる。腕の良い職人を多く生み出すことが地域のためになる。口に出すことは無いが虎一の根底にある理念だった。
 弟子たちが独立や引き抜きの相談を申し出た時に、虎一は反対をしないだけではなく、外に出た弟子に仕事の斡旋をすることも多かった。特に弟子の成長に繋がるような仕事は積極的に斡旋した。そして下請けとなる弟子から「手数料を取る」、いわゆる「ピンハネ」をすることは無かった。
「口先だけで仕事をするのは詐欺師とか金融屋に任せておくさ。俺は職人だから腕を貸したら金を貰う。舌を貸しただけで金を貰えるか」
仕事を預けた弟子にそう語ることもあったという。
俺はみんなに生かされてきた。今は俺が生かす番だという想いは心に留めていた。

 創業期における黒田商店の経理は母のシカが担っていたが、弟子が増え取引の規模が大きくなるにつれて、親子とは言えというか親子だからなのか、経理でギクシャクすることが増えてきた。
「仕事があり、売り上げがあるのに金が足りない」
ということがまま見られるようになり、虎一とシカの双方に不満が溜りだしていた。当時の虎一は職人としては超が付く一流と言えたが、経営者としては未熟であり、現代でいうところ「キャッシュフロー」について感覚が鈍いところがあった。
「職人がこまごまと計算なんかできるか。腕を磨けば仕事と金はついてくる」
シカにそう語ることもあったらしい。しかし毎日のように寝食を忘れ仕事をしているのに、金が足りなくなるというのは、虎一には何とも承服しがたいことであった。シカがごまかしたり間違えたりしていないことは理解できるのだが、感覚として受け入れることができないのである。
 シカにしてみれば虎一と弟子たちが仕事に励む姿は心強いものの、虎一が「今日は若いのと飯に行くから、少し融通」、「あそこには資金繰りが厳しいようだから前払いをしなきゃならん」ということが繰り返される度に、どのように帳簿を付けることが正しいのか、また入金日やその他の支払い日との遣り繰りにヤキモキしてしまうことがあった。稼ぎ頭の虎一の機嫌を損ねることも悩ましく、女性やギャンブルに使う訳ではないことを考えると、虎一の指示を強く否定しにくい状況でもあった。

 そんなある日、帝国紡績に顔を出していた虎一に大高が妙な相談をしてきた。
「虎、事務員を雇う気はないか。知り合いの娘さんが仕事を探している。お前のとこも仕事が増えているようだしシカさんを楽にしてやれよ。若いけどしっかりした子だぜ」
「若い子がうちで勤まりますかね…。とは言え大高さんからのお話ということであれば無碍にもできないですから。一度仕事場を見てもらいますか」
「近々行くように話をしておく。けどお前の店はお前の城だ。採用するかどうかは、俺に余計な気を使うな。仕事に支障が出ちゃ本末転倒ってもんだ」

 数日後、黒田商店を訪れた斎藤和美を一目見た虎一は
(これは無理だ)
と心の中で呟いた。東京で数年勤務していたと聞いていたが、割烹着やモンペではなくブラウスにパンツ姿という今時の垢ぬけた服装に包まれた華奢な姿は、デパートガールやバスガイドなどの制服が似合いそうに見えた。熱と土と油にまみれた作業場では、とてもじゃないが勤まりそうには見えなかった。
「来てもらって悪いけど、こんな場所だからあんたみたいなお嬢さんが働くようなとこじゃない。あんたからは断りにくいだろうから、大高さんには俺の方から断りをいれておく」
隣にいたシカは目を丸くした。シカは一目で気に入り仕事を任せるつもりでいたのに、虎一がいきなり断るとは考えていなかった。
「採用の連絡をしてはいただけないですか。今日から働くつもりで来ています」
斎藤は虎一の目を見据えながらしっかりとした口調で話した。今度は虎一が目を丸くした。
「こんな汚い鉄火場だぜ、給料の話もしてないのにうちで働くつもりだったのかい」
斎藤は少しはにかみながらもすぐに応えた。
「確かに綺麗とは言えないですね。掃除のし甲斐があります。大高さんが『黒田は良い仕事をする』と教えてくれました。お給料はもちろん欲しいです。けどそれよりも、誰かの役に立てる良い仕事がしたいです」
虎一は気づいていなかったが、斎藤の瞳は仕事と対峙する虎一と同じ輝きをしていた。シカは歓喜の笑みを浮かべながら虎一を肘で突いた。虎一が顔を向けるとシカが大きく頷き、釣られるように虎一も頷いてから斎藤に向き直る。
「じゃあ今日から働いてもらうか。仕事の内容はこの婆さんに聞いて欲しい。基本的には経理と受注になる。俺から一つお願いしたいのは、仕事の依頼は絶対に断らないで欲しい。最初は良く解らないと思うが、仕事の大きさや個人とか会社、納期に限らず一旦は話を受けてくれ。その上で無理なら俺から断りを入れる。皆、困ってうちに話を持ってくるから、できればその人たちの役に立ちたい。そのために仕事をしている。あんたにも同じ気持ちで働いて欲しい」
「わかりました」
躊躇うことなく頷く姿に、第一印象で抱いた「華奢」に「芯が強そう」が加わった。今日から働くつもりできたという心意気に好感を抱いた。

この斎藤和美が後に虎一の妻になる。

 斎藤が経理を担当するようになり「若いのと飯に行くから少し融通」に代表される「丼勘定」は通じなくなるとともに、その事務能力の高さで黒田商店のキャッシュフローは大きく改善されたらしい。斎藤が働き始めて2ケ月後には、
「良い娘に来て貰えたよ。私は安心して引退できるよ」
とシカが呟くことが黒田家の日常になっていた。
(第2話 終わり)

第3話

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