黒田製作所物語 第10話 #創作大賞2024
10 虎娘
いきなり代表取締役社長に就任ということではなく、柳沼に続く2人目の常務取締役に就任した美希は、会社に対する自分の認識が甘すぎたことを痛感した。経営が安定しているので外から見ただけでは気がつきにくい状況だったが、黒田製作所は「老舗病」に罹患しているように見えた。
「うちじゃぁ昔からこうなんだよ」
加藤工場長を中心とした職人たちの間では、前例踏襲の意識が強くなりすぎていて顧客はもとより、現状と未来が見えていない社員が散見された。老舗ならではの実績により培われた技術はあるが、美希はガラパゴス化している部分もあると感じた。職人の中には新しい技術を取り入れて技術を高めようとして努力をしている者もいるが、職人ごとに温度差があり、見ている方向がバラバラで組織を軋ませていた。さらに職人と事務員との間に溝があるようにも見えた。
(私に、ものづくりの技術は無いけれど、人づくりや組織づくりはできるはず)
美希は父が残し母が継いだ経営理念を想った。
・顧客第一主義
・妥協を許さないものづくり
・和を大切に
(ごめんねお父さん、和を乱すかもしれない。けど私が嫌われてもいいの、社員から反発されて社長になれなくてもいいと思う。けど、会社を良くするために、自分の顧客とも言える社員たちのために妥協はしたくないの。お父さんとお母さんが創りあげた経営理念を具現化して、肌で感じることができるような会社づくりに挑戦させてね)
虎の娘は、やはり虎であった。
難しい現実を前にして更なる意欲を高め、改善のための行動に移した。まず会社としての研修体制を充実させることとし、職人・事務員を問わず、座学を中心として基礎から学び直す機会を設けた。
一定のレベルの職人には外部研修など、より高度な研修機会を設けるとともに資格取得や技術競技会参加への支援、技術の承継のための社内講習会など直接的な利益に繋がらない、ある意味では社員の負担が大きくなるような事業を次々に展開させた。
並行して社員が自分の意見を伝えやすくする体制の整備、会社としての情報発信機能を高めるため、ウェブの開設やメールマガジンの発行にも取り組んだ。さらに中高生の職場見学やインターンを積極的に受け入れ、未来の人材育成にも取り組みを進めた。
美希が常務に就任してから数ケ月が経ったある夜、柳沼は工場長の加藤を飲みに連れてきた。料亭というほど高級ではないが、居酒屋にはない落ち着きと格式がある「割烹岩水」の個室で、柳沼と加藤は向い合せに座った。
加藤は生ビールを一気に半分近く飲み干すと、ジョッキをドン!とテーブルに置き口火を切った。
「柳沼さん、最初に面白くない話を1回だけさせていただけませんか。酔ってからする話じゃないので、少しだけ話をしたら終わりにしますから。よろしいですか」
柳沼は静かに頷いた。加藤を飲みに連れてきた意図は感じているらしい。
「ありがとうございます」
加藤はもう一度ジョッキを呷り空にした。
「大恩ある先代社長の娘というのはわかります。大株主の一人というのも、わかります。けどです、けれどです。会社を支えてきたのは、支えているのは、俺たち社員じゃないですか。俺たちがを汗かき泣き泣き仕事して稼いでいるんですよ。
取引先の無茶に堪え、頭を下げ体を張って自分たちの給料どころか、会社の設備資金や役員、事務員の給料を稼ぎ出してきたじゃないですか。なのに、よく会社のことを知りもしない、現場を偶に冷やかしに来ていただけの女が常務取締役ですって。柳沼さんと同格ですって、俺には納得できないです。俺には信じられないです。
先代社長の一番弟子として、30年以上もの間会社を支えてきたのは柳沼さんじゃないですか。こう言っちゃあ何ですが、もっと給料の良い職場への引き抜きもあったのに断って会社に残ってくれたじゃないですか。俺だって柳沼さんが居ると思えばこそ、この会社を辞めずにいた部分がありますよ。それはいつか、柳沼社長の下で一緒に仕事をしたいという気持ちがあったからです。
「技術の黒田」という名は虎一社長から柳沼さんにバトンを渡されたんです。和美社長でもなければ、美希常務でも無いんです。
そして俺はそのバトンを、そのバトンを受け取るのは俺でありたいと願い腕を磨いてきました。それなのにトンビに油揚げじゃないですけど、いきなり横入りした美希常務に社長の椅子を取られたんでは、腕を磨いた甲斐がないです。
あの方何がしたいのかわからないですけど、今から社長気取りで溶接技術の基礎研修だ、ポリテクセンターだかポカリスウェットだか知らないですけど、外部講師による実技講習だなんて余計なお世話です。俺らは黒田虎一の直系なんですよ。あげくに今度は高校生のインターン受け入れだなんて。利益にもならないような負担ばかり現場に押し付けて、俺らの話は聞きもしないでやりたいようにやりやがって。
ここまで我慢してきましたけど、今度『提案』なんてふざけたことを言いやがったら、工場長として、職人の代表として美希常務の解任を要求します。あっちが虎の一族なら、こちとら『虎退治の加藤清正』ですよ」
加藤の目は座っていた。柳沼はジョッキを口にすると、インターフォンで2人の2杯目をオーダーしてから加藤に向き直った。
「俺を慕ってくれること、会社のために怒ってくれること有難い、礼を言う。お前が正直にそう言ってくれることを感謝している」
柳沼は、穏やかな表情で頭を下げた。
「加藤、お前が会社を好きなこと、誇りに思っていること、これまでのことを大事にしたいと考えていることよくわかる。俺も一緒だ。そして美希常務も一緒なんだ。だから俺は美希さんにお願いして常務に就任してもらった。
これからの黒田には加藤工場長と美希常務の2人が必要だと考えている。お前が美希常務に意見を言うのも良い、無理に仲良くしろとも言わない。ただ、一つだけ心に留めて欲しいことがある。
『顧客第一主義』だ。
お前がお客さんのために考えていてくれるのか、その意見がお客さんのためになるのか、その精神(こころ)を、真ん中に置いていてくれればそれでいい。これからも加藤らしくいてくれればいい」
追加のビールが運ばれ会話が途切れる。2人が2杯目のビールを口にしてから加藤が尋ねた。
「美希常務は、顧客第一主義を理解していると思いますか」
酔っていないはずの加藤の目が、少し虚ろになる。
「理解も何も、お嬢はそれしか考えていないだろう。顧客のため社員のためと思えばこそ、社員に嫌われる覚悟をして皆に提案しているんだろう。あの腹のくくり方は、昔の師匠とそっくりだよ」
笑顔で師匠を懐かしむ柳沼とは対照的に、加藤は苦い表情を浮かべた。
「ビールは体が冷えますね、次は日本酒を頼んでもいいですか」
「みりんでも、構いやしないぜ。それとも群馬の酒を頼もうか」
加藤は何を言われているのかピンとこなかったが、地酒を頼み、その後は食事と地酒を味わいながら、穏やかに夜を重ねた。
その後も美希が実践する改革や提案に対する古参社員の反発は大きかった。あからさまに美希の発案を否定する者もいた。加藤が職人の代表として意見を取りまとめ、美希に撤回を求めることもあったが美希は容易には引かず、職人たちへの理解を求めた。
(経験ややり方に違いはあるとしても、社員たちも根底には黒田製作所を愛する気持ちがあるはず)と、美希はその想いに賭けた。
そしてこれらの美希が提案した事業は数年をかけながら社内に浸透し、経営理念とともに、新たな「黒田スタイル」として積み上げられていった。
和美と柳沼が第一線から勇退し、美希が代表取締役に就任することが発表された時、社内は大きな歓迎ムードに包まれた。
黒田製作所は、後数年で創業50周年を迎えようとしていた。
(第10話 おわり)
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