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黒田製作所物語 第13話 #創作大賞2024

13 憂鬱な融資課長

 西邦銀行田村支店の事務室に午後の始業を告げるチャイムが響いた。融資課長の鈴木が瞼を開き、マウスを動かしてパソコンのスリープ画面を解除、ログインパスワードを入力したタイミングで塚原支店長から「鈴木融資課長来てくれるか」と声をかけられた。
 融資課長という職名だが部下はいない。顧客向けの体裁の一つとして「課長」という職名を預けられているだけである。そして上司は支店長だけという貧弱な体制ではあるが、ほとんどの場合は自分の裁量で融資をさせて貰えることに鈴木はやりがいを感じていた。4月に新たに着任した塚原支店長もこの1ケ月半、黙って判子を押すだけだった。
(まさか朝一番で回した稟議書を昼まで放置されて、今頃ダメ出しかよ)
心の中で舌打ちをして塚原の前に立つ。塚原の顔は険しい。
「お前入行して何年目になる。よくこんな稟議を黙ってしれっと上げてきたな」
「入行8年目になります」
(なんだよ経営計画の見通しが甘いとか、金利が低すぎるとか融資条件が甘いのが気にいらないんですか。けどこの融資は何としても通過させたいです)
「8年目か。じゃぁ仕方ないか」
塚原はため息こそつかないものの、失望感を隠そうとせず稟議書に目を落とした。
(経験不足で審査が甘いということですか、これでも同期の中では成約件数はトップですし、これまで事故をおこした事案もありません。結構場数を踏んで鍛えています)
「修正が必要ならば、相手と協議してきます」
(前の中村支店長なら、こんな手間をかけずに決裁してくれたのに、復興に向けて大変な時期に面倒な支店長が送られてきたもんだ)
「不満そうだな。田村支店の融資課長はずいぶんと偉いらしい。事前相談もなくこんな稟議を回して、黙って決裁しろとはな」
お互いに相手に対する不満を隠そうとしていない対応なので、2人の険悪な雰囲気に周囲の行員の緊張感も高まっていた。
「不満などございません、至らぬ自分を恥じています、申し訳ありません。この支店では事前説明を行わないことが慣例でしたので、今回もそのようにしてしまいました、今後は相談させていただきます」
鈴木は慇懃無礼な態度で対応した。
「必ずしも事前相談が必要とは言わないが、この融資は相談して欲しかったな。東日本大震災の影響で今後1年の営業見通しがどん底、過去最低なのに新工場を建設する。しかも建設費は全額融資で、ほぼ最優遇金利。今の時期にこんな話を通すと思うのか。とは言え入行8年では仕方ない、お前の能力を否定している訳じゃない」
塚原は手にしていた稟議書を机の上にバサッと置いた。
「私が経験不足であることは認めます、申し訳ありません。確かに支店長のおっしゃるとおり、現状の営業見込みはどん底で、収益改善についての見通しは明確ではありませんが、東日本大震災で被災してもなお、経営を継続し雇用を守ろうと努力する地元企業を支援することは、地元銀行が果たすべき責務であると考えております。金利等の条件については相手と協議しますが、融資については前向きに検討していただけないでしょうか(顧客のため、自分の意見は言わせていただきます)」
鈴木は少し冷静になり、丁寧な応対を意識した。
「銀行が果たすべき責務ねぇ、ずいぶん高尚な意見をお持ちのようだが、お前ちゃんと勉強しているのか」
塚原は挑発的で嫌味な態度を改めようとはしなかった。
「支店長に勉強不足と言われたら、返す言葉もありません」
「まぁそういうことを補うために俺がいるわけだ。で、この融資を審査部に回す前に相手に2点確認してもらえるか。1つは新工場の建設スケジュール、少し遅らせることが可能かどうか。もう1つは、設備はこれで十分なのか、本当はもっと必要なのか。それを確認してから再検討だ」
「金利を上げることについては説明しなくて良いですか」
塚原の予想外に前向きな言葉に驚いた鈴木の、左眉がピクリと上がった。
「誰が金利を上げろと言った。現時点ではこの金利でいい。後で下がる分には相手は文句を言わないだろう」
「現状でもかなりの優遇金利ですが、上げなくても良いのですか」
「あぁ、逆に下げるようになるだろう」
「どういうことでしょうか(シテンチョウハ、ナニヲイッテイルノダ)」
鈴木の目が点になる。塚原は姿勢を正した。
「まだハッキリとした内容じゃないが、先刻のニュースで、政府が補正予算を組む方針との報道があった。数日のうちに閣議決定され、震災復興に向けた設備投資補助金や低金利融資が予算化されるだろう。相手がそこまで待てるようなら、新工場の融資計画はそこまで保留してもらいたい。補助金も優遇金利の活用も、制度が発表される前に事業に着手していると、対象外になる」
鈴木は(本当ですか)と口に出すことは抑えたが、顔には出ていることに塚原は気づいた。
「大規模自然災害が発生した後、補助金と低金利融資の施策は政府のセットメニューみたいなもんさ。福島県ではここ10年、大きな災害が無かったので入行8年目のお前が知らないのは仕方ない。お前の言うとおり
『企業支援は銀行として果たすべき責務』
だ。ということで、より有利な条件を活用できるなら、そうすべきとは思わないか。うちとしても補助金活用でリスクも減るし、復興融資の実績にもなる」
塚原はニヤリと笑みを浮かべ、鈴木も柔らかい表情を浮かべた。
「直ぐに企業さんに確認します」
「おう、黒田の女社長さんによろしくと伝えておいてくれ。そういや社長の名前は和美さんじゃなかったか。この書類は違っているぞ、お前の入力ミスか」
「和美さんは前社長さんで、今は娘の美希さんが継いでいます」
明るい声で鈴木が応える。
「それは俺の勉強不足だったな、すまん。俺は二代目の時に担当したことがある、三代目社長にもよろしく伝えてくれ。退職された田中常務が、強い思い入れを持っていた企業さんだ。俺たちの代でその火を消すわけにはいかない」
「承知しました」
鈴木は塚原に一礼して自席へと戻り、社長に面会するため黒田製作所に電話をかけた。声が弾むことを抑えきる自信がなかった。
(西邦銀行で、俺が何代目の黒田製作所担当になるのかわからないが、俺の代で潰させやしない、黒田の四代目、五代目社長までその灯火を繋いでいく。銀行は「他人様の上前を撥ねる口先だけの商売」と言われるけど、金を通じて企業を護る、それが金融屋の腕の見せどころというもんだ)
 鈴木の手に力が入り、目の輝きが増していた。
「はい黒田製作所、小沢でございます」
受話器の向こうから、女性事務員の爽やかな声が聞こえてきた。
(第13話 おわり)


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