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【連載小説】企業のお医者さん 第5話 #創作大賞2024

5 仙台
 登美子の両親に結婚を認めてもらうためにも最難関国家資格である公認会計士の資格を取得する断固たる決意をした久志は、実務経験を積むために公認会計事務所での就職先を探したが、当時の郡山市には公認会計士の事務所が無く帰郡することは叶わなかった。

 東北大学の教授やOBを中心として、伝手という伝手を頼り昭和34年8月になり、ようやく仙台にある織田敏夫公認会計士事務所に採用された。しかし正式な職員ではなくインターン(見習い)であり給料無しでの就職である。
 公認会計士の資格を取得するためには三年の実務経験が必要とされており、当時のインターンは無給で働くことが当たり前という時代だった。
 面接時に「次の二次試験で必ず合格します、採用してください」と宣言した久志を織田所長は手を叩いて笑った。何人かの公認会計士志望者をインターンとして採用していたが、経済学部や法学部の卒業性が合格率10%に満たない難関試験に返り討ちに合う姿を多く見てきたからである。畑違いである工学部出身の久志の言葉を身の程知らずと感じ、思わず笑ったのである。

二ケ月後、織田は面接時の態度を久志に謝罪した。
久志は宣言どおり公認会計士二次試験に合格した。

 織田は言葉で謝罪するだけではなく、久志に給料を支払うよう処遇を改善してくれた。月額8千円という当時の高卒の初任給程度の額であったが、三次試験に合格していないインターンに対して給料を支給することは破格の処遇だった。
 久志が登美子と婚約しており早く結婚したいと望んでいる事情を織田が知っていたことも給料を支給することにした理由だった。

 二次試験合格後に久志は登美子と入籍し仙台に呼び寄せた。登美子の両親から当初は「どこの馬の骨ともわからん奴に」と結婚を反対されていたが、何度か通い話をするうちに久志の人柄を知り「仕事に就いたら結婚を許す」との言葉を得ていたことから、二人は両家の祝福のもとに結婚を許された。
登美子の人柄を良く知る山部家では、久志の妻として迎えることを大歓迎した。
 祝福された二人だったが結婚式の挙行についてはシコリを残した。久志に結婚式をするような蓄えはなかった。山部家からも登美子の実家からも
「費用は出すから結婚式を挙げては」
という提案があったが、久志は登美子と相談し、分不相応なことをせず入籍だけにとどめた。「稼ぎも無いのに派手なことはできない」という、久志の意地を登美子と両家が尊重した形となったが「花嫁衣裳を着る機会を奪った」ことを久志は生涯に渡り後悔することになった。

 仙台での二人の新生活は、華やかさとか甘さは無く「赤貧洗うがごとし」「爪に火を灯す」という言葉を体現したようなものだったが、二人で暮らせることを唯々幸せに感じていた。久志の給料では毎日のおかず代にも事欠いたが、登美子の実家から救援物資として届けられる米や味噌、醤油などで凌いだ。
 朝食のおかずは納豆1個、卵1個だけという日も多く、それを二人で分け合った。夕食のおかずも肉や魚になどには縁遠い日々であったが、どういうやり繰りをするのか、久志の給料日には1本のビールが用意され久志を喜ばせた。
 ビールを飲むことが嬉しいというよりも登美子の心遣いが嬉しく、ビールの美味さ食事の楽しさを際立たせたのである。

 二人の新婚生活から50余年が過ぎた2013年、新見正則医師が「マウスとオペラ」に関する実験を基にした論文でイグ・ノーベル賞を受賞した。
『心臓移植をしたマウスに、さまざまな音楽や音を聴かせたところ、オペラを聴かせたマウスの生存期間がもっとも長く延びた』
という研究結果から
『病気には医学的対処はもちろん大切ですが、脳に影響を及ぼすような環境、希望や気合、家族のサポートなどが大切であることに通じる結果です。「病は気から」とよく言いますが、あながちウソではないのです』
と新見正則医師は自身のウェブサイトに掲載した。

 久志と登美子の新婚生活は、この実験と同じような効果をもたらしたのかもしれない。久志の健康を願い、食事や生活環境を整える登美子との生活を心から楽しみ、生きる希望を高め続けた二人の生活は、結果として久志のリハビリ効果をグングンと高め、普段の生活では一般成人男性に劣らない体を手に入れることに繋がった。

 翌年4月には長女が誕生し久美と名付けた。織田は少し給料を上げてくれた。

 仕事をして家に帰り妻子の顔を見て眠る。当たり前のような生活が大きな幸せを感じさせてくれた。守るものが増えた久志の体は更に丈夫になった。
 なお「飯を食うための仕事」として選んだ公認会計士という職業だったが、この時期から大きな違和感を抱き始めていた。仕事の楽しさを感じ始めていたのである。
 織田の薫陶を受けながら行う実務は実に楽しいものだった。当初は公認会計士の主たる業務について「監査」という役割、企業の財務や会計が適正に行われていることを検証することと考えていたが、織田は異なる考えを示した。
「山部君、公認会計士の主たる業務は企業を生かすことです。そのために何ができるかを考えてください。顧客となる企業を生かすために必要な知識を身につけるのです」
 この考えは久志の心に強く響いた。結核で闘病していた頃の鈴木医師の言葉も重なった。
「ワイが病気を治すんや無い。治すのは久ちゃんや。病名は一つやけど、体は皆、違うんや。久ちゃんの治療は、久ちゃんの体に聞かんとわからんは」
「知識だけでは駄目なんよ。久ちゃんと、一緒に知恵を出して、考えて行動しないと治るもんも治らんのや」

 公認会計士は企業の医者のようなものかも知れない。企業が死なないよう健全に成長するよう、病気を防ぎ悪いところがあれば治すように支援する役目を担うのかもしれない。
 僕は人間の医者になることはできなかったけど、企業の医者として自分の知識と経験を活かしていきたい。そのためにもっと知識と経験を身につけたい。
 公認会計士として企業の医者を目指す。と密に決意した。

 公認会計士の歴史を辿ると英国の産業革命に緒を発する。大きな経済・産業の発展を受け、安全な商取引を担保する必要性から、法人から独立した機能を持つ公認会計士が必要とされ制度化されたのである。
 そして英国産業革命が生んだ正の一面が公認会計士だとしたら、負の一面が結核である。産業革命とともに結核が大流行し、多くの死者を出したと言われている。大都市に人口が集中したことにより、貧困層を中心に結核の感染を広げ、さらに貿易活動とともにヨーロッパ諸国、アメリカ、そして日本へと伝わり、日本における国民病となったという説がある
 産業革命が生んだ負を克服した久志が、公認会計士を目指したことはある意味では天職だったのかもしれない。
 天から与えられた役割を果たそうとする久志は、織田も驚くほどの辣腕を見せた。自ら得た知識、織田や先輩の助言を活かし、企業に寄り添い企業の発展に力を発揮した。採用当初は久志の健康面への不安もあったが、登美子を迎えた後の久志は、日々命の輝きを増しているように見えた。

 久志が公認会計士二次試験に合格した翌年の昭和35年10月、織田は朝一番で久志を自席に呼んだ。
「山部君、相談と言うか業務命令と受け止めて欲しい。12月に織田会計事務所 郡山出張所を立ち上げる。ついては山部君には所長を務めて欲しい。これから2ケ月は今の業務の引継ぎと、出張所開設の準備を主たる業務としてくれ。郡山市経済も著しく発展しているが、公認会計士事務所はまだ無いようだ。郡山市にうちの顧客は今のところ5社しかないが、山部君なら顧客を拡大していく開拓者に相応しいと考えている」
「謹んで務めさせていただきます」
 条件も確認しないまま久志は内示を受けた。直感的に織田が自分のために郡山出張所設置を決断したと感じた。師匠としての織田の計らいに体が震え涙が零れそうになった。
 仙台での生活に戸惑うこともあった登美子の喜ぶ顔が目に浮かんだ。久美を母や登美子の両親と会わせる機会が増えることも有難いと感じた。そして郡山市の経済発展・産業振興に力を尽くせると考えると、その使命感と責任感で胸が熱くなった。
 結核で死を覚悟し、胸郭成形術の後遺症から満足に働くことができないと考えていた自分が、高校・大学の同級生から、社会人として大きく引き離されていた自分が、出張所長としての役割を担えることになった。
 言葉にならない喜びで、心が満たされた。

 登美子と婚約してからは良いことばかりだ、幸せが満たされていくばかりだ。
 登美子、ありがとう。久志の胸は妻への感謝の想いでいつも一杯だった。
(第5話終わり)

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