生きていてくれれば、それで良いよ
離婚する際に考えていたのは、
「夫は辞めるが、父は辞めない」
ということ。なので、養育費を出すことは当然として、「面会権」には拘り、離婚の条件として
「月3回の面会」
を調停を通じて確保した。
が、この約束は数年後、
「県外に転居した」
という、元妻からの通告により、一方的に破棄されることになる。
「県外でも、会いに行く」
という私の願いは全く受け入れられず、その後、数ケ月に渡り、転居先も知らされずに、養育費を振り込むだけの日々が続く。身内の中には
「相手が約束を守らないのだから、養育費を止めるのも手では」
という助言をする方もいたが、
「それとこれとは、別。父として養育費は続ける」
と、振込みを続けた。その後、転居先が知らされたため、養育費とは別に、お菓子や本を贈り続けた。面会ができない日々が淋しいというのは本音だけれど
「生きていてくれれば、それで良いよ」
という想いを抱いたのも、本当のこと。面会の有無とか淋しさはさておき、娘たちが生きていてくれる。それだけで有難いと考えることにした。
数年後、元妻が養育を放棄するような形で、子どもたちは郡山にいる元妻の父母の家に入り、面会も復活したけれど、「月3回」の約束はなし崩し的に反故にされ、月1回が標準となった。子どもたちも、自分の世界が広がりつつあるだろうから、それも良いと考えることにした。
もちろん、子どもたちからの要望があれば、必ず面会に駆けつけた。お金を中心とした困りごとであろうとも、力になれることは嬉しいこと。
子どもたちの年齢が二桁になる頃、私が東京で勤務することになった。東京から駆けつける形で、月1面会は継続していた。
そして、2011年3月11日 東日本大震災が発生した。
ショートメールで二人の生存を確認し
「生きていてくれた、もう、後は何も望まない」
と、天に感謝した。
それから10年、幸運にも私も娘たちも、生を許されている。
今日、スウィングマンさんの中の人の一人である、せれーのさんが、スウィングマンさんから、離れるとの記事を拝読しました。
「もう、せれーのさんの記事を読むことができないのか」
悲しい、寂しい、残念、どうして、祝福しなきゃ、とか、色々な感情が駆け巡ったけれど、せれーのさんが
「生きていてくれれば、それで良いよ」
会えなくても、言葉を交わせなくても、記事を読めなくても、お互いに、辛いことや、しんどいこととか、ネガティブなことがあったとしても、
「生きていてくれれば、それで良いよ」
そう考えながら、明日も生きていく。
『世界中に定められたどんな記念日なんかより、あなたが生きている今日はどんなに意味があるだろう』
そう歌いながら、明日も生きていく。
せれーのさんから、たくさんのギフトをいただきました。ありがとうございます。
せれーのさん、あなたがいてくれて、生きていてくれて嬉しいです。