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黒田製作所物語 第14話 #創作大賞2024

14 未来へ駆ける


 東日本大震災から数年を経て黒田製作所は平常を取り戻した。その日いつものように届いた郵便物を仕分けしていた小沢は、見慣れない封筒に気づき手を止めた。角2の黄色い封筒には「一般社団法人日本ボイラ協会」と記載されていた。
 封を開けることなく社長室に郵便物を届ける。社長が待ち焦がれている手紙のはずだった。毎年想いが届かず、毎年落ち込む社長の姿を見るのは辛いものがあったが、それでもなお挑戦させたくなる魅力があるのだろう。

 社長室から戻った小沢が、落ち込んでいるだろう社長のために3時の珈琲を出す時にチョコを添えようかと在庫を確認していた時、社長が事務室に駆け込んできて尋ねた。
「冨塚さんは、今日は工場それとも現場。今はどこにいるの」
「今の時間は、第一工場にいるはずです」
「直ぐに呼んでくれる。工場長もいたら一緒に来るように伝えてください」
先刻届けた手紙のことなのだろうと思いながら、ただ事ではない雰囲気に押し出されるように事務所を出て、駆け足で工場に向かった。

 数分後、美希、加藤、冨塚の3人が事務室に入り、加藤が一度咳払いをしてから話しを始めた。
「皆さん、手を止めてこちらにご注目ください。過日行われた全日本ボイラ―溶接士コンクール『被覆アーク溶接中板の部』において、冨塚さんが見事に優勝、日本一となりましました」
事務室に沸き上がった拍手が治まるのを待ち、加藤が続けた。
「冨塚さん、一言お願いします」
立ち上がった社員たちが冨塚の言葉を待つ。冨塚は腰を90度に曲げて深々と頭を下げた。顔は少し紅潮しているが落ち着いているように見える。
「お時間をいただき申し訳ありません。工場長から『冨塚が優勝』と紹介していただきましたが、正直、私が優勝したのではないと感じています。社長、工場長、事務の皆さんを含めた『黒田製作所』というチームが優勝、日本一なのだと思います。皆さん、おめでとうございます、私も日本一のチームの一員になることができて嬉しいです。これからもよろしくお願いします」
再度、深々と頭を下げた。そして大きな拍手を受けると、社長と工場長も深々と頭を下げた。おめでとうとありがとう。祝意と謝意が満ちる不思議な空間が生まれていた。冨塚は余韻に浸ることはなく、工場長を促すようにして工場へと戻った。途中にしてしまった作業が気になるようだった。工場で働く社員への報告は業務終了後に行うことにして、美希は社長室に戻り、この社長室で初めて冨塚を見た日のことを思い出した。

 6年前の12月、吹き荒れる強風の中、女子高生を連れて来社した郡山西工業高校の渡辺教諭は、受付で手続きをすると社長室に向かった。美希とは高校生のインターンや採用などを通じて旧知の間柄であり、社長室も何度か訪問したことがあることから、社長室に入ると慣れた様子でソファの前に進む。
「どうぞ、おかけください」
美希の言葉を受けた渡辺は、同行してきた女子高生に座るように促すと、落ち着いた様子で腰を降ろした。美希も事務机からソファに移動する。渡辺が生徒を連れてくるのは初めてのことである。女子高生は少し青い顔をしていた。寒さのせいだけではなく緊張しているのだろう。小沢が運んできた珈琲に手をつけることもなく、美希を真っ直ぐに見つめていた。渡辺が来社理由を告げる。
「御社が来年度は新規の社員を募集していないことは存じております。が、無理と無礼を承知でお話したいことがあり、本日は参りました。お時間をいただき恐縮です」
一度大きく頭を下げ、その後に姿勢を正し真摯な態度で話を続ける。
「仲人口と思われても良いのですが、この冨塚は本当に優秀な生徒なのです。成績も技術も今年の卒業生どころか、僕が見てきた歴代の生徒の中でもトップクラスです。性格も素直で、物事にも意欲的でとても良い生徒なのです」
(だけど、就職が決まらないのです)
とまでは言わず、鞄から角2の封筒を取り出してテーブルの上に置く。
「もし御覧いただけるなら、成績とか履歴書などの資料はこちらです」
美希は渡辺が嘘を言うような男でないことは承知している。本当に優秀な生徒なのだろう。
「ここまで、(就職を)何とかできなかったのですか」
何故に優秀な生徒をこんな時期まで就職させることができず、辛い思いをさせているのか。渡辺が生徒想いであることを知るだけに、非難と疑問が入り混じった言葉を投げかけずにはいられなかった。その理由に納得しない限り、書類を見るつもりは無かった。
「本人が事務とか営業の職を受け入れられず、溶接工を強く希望しているのです」
「‼・・・・・・(もしかして、女性だから溶接工としては採用されないということですか)」
と確認はしない。ただ小さく顎を引き息を飲んだ。

 男女雇用機会均等法があるとは言え、未だに職人界では「男の世界」という意識が根深く残っている。ただそれは女性を排除するということだけではなく配慮に近いとも考えていた。肉体的に楽な仕事では無いし危険もある。現場での作業もあるが、着替えやトイレなど女性に寄り添うような環境が十分であるとは言えない。敢えてそういうところで働かなくても良いだろうという優しさが、溶接業界において女性を積極的に採用する方向には機能しないと感じていた。
 冨塚と美希の視線が交わる。
「溶接が好きなのです。もっと勉強したいのです」
冨塚は緊張で体を固くしたまま思いを伝えた。なぜか隣の渡辺が照れるような表情を浮かべる。10代の若者特有の素直さが眩しいのかもしれない。美希は身を乗り出して尋ねた。
「溶接は面白い?」
「はい、すごく面白いです。魔法みたいです」
満面の笑顔で頷く。輝くその瞳が在りし日の虎一と重なる。
『どんなに頑張っても、まだその先があるんだ。面白ぇなぁ』
美希は少し考えた。
(社長である自分が「採用したい」と言えば、社員達は最終的には賛成してくれると思うけど、反発は受けるわよね。未だに女性の職人を採用したことは無いし、皆もちゃんと受け入れることができるか、不安を抱くだろうし、不満を持つだろうな。まして、こんな遅い時期だし。だけど『黒田は仕事を断らない』だよね、お父さん。家で何度となく聞いていた父の言葉を思い出した。
『皆、困って我社に話を持ってくるから、できればその人たちの役に立ちたい。そのために仕事をしている。和美も社員も同じ気持ちで働いて欲しい』
これが社長として果たすべき仕事なのだとしたら、逃げちゃ駄目だよね、お父さん)

 美希は一度目を瞑ると、背筋をピン伸ばしてから瞼を開き、2人を見つめて伝えた。
「社内で相談して、採用枠を創れるか確認して渡辺先生に御連絡します。その上で採用試験を受けていただけるか、あらためて相談しましょう。この書類はお預かりして良いですか」
「はい、御検討のほど、よろしくお願いします」
「よろしくお願いします」
立ち上がり、深々と頭を下げる2人を前に、美希も慌てて立ち上がった。この場で「4月の入社を楽しみにしている」と、本音を告げることはできなかったが期待で胸が弾んだ。
(お父さんや柳沼さんと同じように輝く目をしたこの女の子が、加藤工場長たちと新しい黒田を創るのかもしれない。我社の魔法使いの弟子になって、どんな魔法を見せてくれるのかしら)

「あの時の女子高生が日本一か」
1人呟いた美希は社長室に飾られ、あの日の3人を見守っていただろう虎一の肖像画に視線を向けた。
『俺が直接教えたわけじゃねぇが、黒田の弟子だぜ。日本一くらいは当然だな』
虎一が語りかけてきた。嬉しさに少しの悔しさが混じるような声だった。
 平和な時代であれば、お父さんも全国の職人と技術を競い合いたかったのかも知れない。
(あの子『黒田製作所というチームが日本一』って言っていたよ。お父さんとお母さんが創ったチームだから、お父さんとお母さんも日本一だね。けど、まだ終わらないよ。これからも、お父さんを喜ばせて悔しがらせてあげるから、ずっと応援してね)
心の中で虎一に応える。
 額の中にいる虎一が微笑んだように見えた。
(第14話 おわり)


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