【駄文】曲がりくねった道を来た
お読みいただきありがとうございます。いつも駄文を投稿していますが、本日は「駄文 of 駄文」の自分語りです。何となく「曲がりくねった道を来た」というタイトルを使いたい気分だったのです。
公タマ伝第2集に掲載している稿に「係長ですかフラフラしています」という題があります。不惑を10年以上前に通り過ぎ、知命を過ぎても、「フラフラしている」というのが、自分の本質的な生き方なのかも知れません。
少し過去を振り返りますと、市職員、県職員、国家公務員と3種類の職場を経験し、家を建てること2回、18歳から42歳までの間に住民票を移すこと10回という生活をしてきました。
そして結婚と離婚は1回づつ、はい、結婚だけは1回で終わりそうですね。別に何かから逃亡しているという訳ではないのですが不思議です。
そして、現在は「駄文屋 福島太郎」と称し、かなりの熱量を持ちながら、稼げもしない「副業」をしています。儲からないのに「副業」ということについては疑問もありますが、「開業届」を提出していますので、良いということにしましょう。
で、転居生活の話をしますと、18歳を過ぎてからは3年半以上同じ住所に住むことがありませんでした。たいした理由がある訳ではないのですが、横浜税関の研修や独身寮のルール、そして、結婚・子育て・離婚という生活環境の変化に伴い、結果としてそのようなことになりました。
今の住所に住民票を移してから、もうすぐ丸9年になります。できれば終の住処としたいものです。これまで転居生活が多かったため、ミニマリストでもないのに、物を所有しない傾向がありましたが、この1年くらいは、少し物が増えたような感じがします。少し断捨離をする必要がありそうです。
また、時々、柔道のネタを上げることがありますが、これも一般的な愛好家とは異なり、小・中・高という学校生活では柔道を経験せずに、就職してから柔道を始め初段を取得。約5年間、柔道を楽しんだ後に休止して、40歳を過ぎてから再開し、41歳で弐段を取得ということになります。講道館柔道では昇段するためには、通常は一定期間を必要とします。例えば初段を取得してからは4年間を経過しないと弐段を取得できません。このため、私が弐段の申請をしようとした際、柔道の先生に
「太郎さん、初段取得してから4年経った?」と尋ねられ
「20年経過しているので、期間は大丈夫です」と応えて、キョトンとされましたが、講道館のデータベースに、20年前の初段取得日が記録されているのには驚きました。
そして、ちょっと自慢になりますが、こんなインチキのような柔道愛好家でありながら、
・日本マスターズで3位に入賞しました。
・日本武道館で試合をしました。
・全日本柔道選手権大会(日本武道館)の畳に立つ(スタッフとして)
という経験をしてます。御縁というのは不思議なものです。
その他、10代、20代、30代、40代、50代で1回づつ入院し、姉に「あんたは良く入院するねぇ」と呆れられ、しかも、20代で職場から、30代で自宅から、40代では道端から救急搬送されるという経験もしました。
救急車に乗る度に、次は霊柩車かしらなどと、不安になっています。
こんな生活をしてきたため、穏やかに暮らしていきたいと思うのです。
地味が良いのよ、滋味を目指すのよ、とか考える背景にある出来事でした。
なお、40代、不整脈で入院した際には除細動器により3回ほど心臓を止められました。手術は30代と50代に経験しましたが、30代に腹膜炎で手術を受けた際には、執刀医が開腹し、腹の中を見た瞬間に
「きったないなー」
「きったないですねー」
と呟くほど、腹の中が汚いということが判明しました。(おそらくですが、炎症の結果、膿が大量に生じているため、汚いということであり、私が腹黒いとか、汚い考えをしているということではないと認識しております)
ということで、いつもより長くてすいません。曲がりくねった道を来た話でした。写真は北九州市の平尾台になります。
そういえば、国立博物館は東京、京都、九州をクリアしましたが、奈良が未訪問のままとなっています。コロナが治まったら、奈良に行きたいです。
こんな変わった生活をしてきたということは、こんな変な本を執筆するのも、ある意味当然ということですか。