【創作SS】月の耳
月の耳?
初めて聞いた言葉に、酒井は目を丸くした。薄暗いバーのカウンターに座っていた二人だったが、表情から酒井の戸惑いが高津に伝わり、同じ言葉を繰り返した。
「月の耳、おばあちゃんが教えてくれた話。昔の月には耳があって、地球の声を聞こうとしていたの。けど、地球が嘘ばかりつくから嫌になって、耳をブラックホールに捨ててしまったの」
高津は、いたずらっ子のような笑みを浮かべ、グラスを口元に寄せた。
その艶めかしさもあり、酒井の心臓はドキンと動いた。動揺したことを気づかれないように、静かに尋ねた。
「どうして急にそんな話を。確かに今夜は月が綺麗だったね」
バーテンダーは無言でグラスを磨いている。
「自分の胸に聞いてみたら。貴方の言葉は、もう私の心に届かない。私の心の耳も捨てたわ。今日、正直に話してくれたらと、信じたい、関係を続けたいと思ってたけど、嘘や誤魔化しばかりなのね」
高津が椅子から降りた直後、小気味いい破裂音が店内に響いた。
そして速いテンポの足音が続いた。
カラの二つのグラスを前に、残された酒井にバーテンダーが尋ねた。
「同じもので宜しいですか」
「そうね、水割りをください、思い出の数だけ。みたいな気分だね」
前に置かれた琥珀色の液体を身体に注ぐようにして飲み干した。
(しかし、何で高津にバレてたんだろう)
「昔から、壁に耳ありと言われてますので、隠し続けるのは難しいかと」
酒井の疑問に応えながら新しいグラスを置く。
「月も、耳は捨てたけど、目は残してるかもね。いつ、どこで見られてるか、わかったもんじゃない」
そう呟くと酒井はグラスを口にし、苦さに顔をしかめた。
(本文ここまで)
#シロクマ文芸部
小牧幸助さんのシロクマ文芸部に参加です。
ビターエンドではありますが、この経験を踏まえ、二人は幸せになると信じています。